同窓会報アーカイブ

会報1号(昭32)から8号(昭39)まで

東京大学電気系同窓会は今から遡ること半世紀、昭和31年の電気工学科同窓会準備会にその起点があります。そして、翌昭和32年4月から正式に同窓会として活動を始め、同年9月に会報1号を発行しました。この会報1号では、渋沢元冶理事長の挨拶や同窓会の準備会報告が掲載されています。渋沢先生の「電気工学教育の発端」では、明治の工学寮電信科に英国から招聘されたエアトン先生や当時の学生の逸話など黎明期の電気工学教育の様子が語られています。

会員の皆様にこの貴重な資料をご覧いただけるように、第1号からの会報をアーカイブとして復刻します。具体的には、各号より2件の記事を「セピア色の三号館」に掲載すると共に、会報全体をPDF化したファイルを「同窓会報:Web縮約版およびアーカイブ」(同窓会員限定)に格納します。

【1号】電気工学教育の発端(Ⅰ)/渋沢元冶

エアトン先生-電信学-ポールエンジニア この度、東京大学電気工学科卒業生諸君が、相互の親睦を密にするため、同窓会を組織し、会誌を発行することになり、余にその第一号に挨拶の語を述ぶるように委託された。そこで余はまず諸君に電・・・・つづき

【1号】同窓会準備会報告/山下英男

昭和31年5月の同窓会懇親会の席上、同窓会の組織を作ることが発議され、ただちに準備会を組織し次の32名の委員を委嘱して検討を開始した。 関義長(大4)丹羽保次郎(大5)大山松次郎(大5)高井亮太郎(大9)石川潔(大10)・・・・つづき

【1号】第21回 同窓懇親会記事

5月19日午後1時より、戦後永らく米軍に接収されており、昨年暮に返還された一ツ橋学士会館において、第21回の東大電気工学科同窓懇親会が催された。まず講堂に一同参集して同窓会発会式が行われ、山下英男教授(大12.3)から発・・・・つづき

【2号】電気工学教育の発端(Ⅱ)/渋沢元治

電信学を電気工学に改正(明治17年) 志田林太郎教授― 中野初子教授 志田先生の卓見 明治17年工部大学校では従来の電信科を電気工学科と改めた。而して電信のみでなく電燈、電力、電鉄、電話等電気工学一般の講義を始めた。この・・・・つづき

【2号】質と量/瀬藤象二

昨年ソ連が長距離誘導弾と人工衛星の打上げに成功したことに端を発して、米国があわて出し、わが国でも科学技術を画期的に発展させなければならないという議論が、平生あまりこの方に熱心でなかった政治家諸君の間にも行われるようになっ・・・・つづき

【3号】定年退官に際して/星合正治

来る昭和34年3月31日,定年の故を以て東京大学を退官致すことに相成りました。大正11年4月に、東京帝国大学工学部講師嘱託の辞令を頂戴してから、満37年、本学に入学して以来を数えますと、丁度40年という長い年月を本学の中・・・・つづき

【3号】わが国原子力平和利用研究の出発当時の回顧/駒形作次

回顧などいうと、とても古い話でないとピッタリしない。この場合はせいぜい4、5年というところなのである。しかし、色々なことのある点では相当なものと思う。ともかく、昭和29年頃に大分一般に読まれた「ついに太陽をとらえた」を繙・・・・つづき

【4号】37年の大学生活を顧みて/山下英男

大正12年3月東京帝国大学電気工学科を卒業しまして、直ちに工学部講師嘱託、その後助教授、 教授として電気工学科に在職37年、 あと十数日でいよいよ定年退官することになりました今日この頃、改めて「光陰矢の如し」の言葉をしみ・・・・つづき

【4号】Second Childhood/古賀逸策

電気工学科の同窓会報のために何か書くようにとの御注文を幹事から受け、また原稿を書かされるのかという感じがした。しかもそれは筆者が還暦に達したからだという。還暦の御祝いの意味だといわれると一応有難く御受けするのが当然だとは・・・・つづき

【5号】電子工学科の生立ち/阪本捷房

科学技術の振興が叫ばれ電気に関係したこととしては電子工業の発展がここ数年を振返ってみても非常なものであることは数字を挙げなくても明らかである。大学に電子工学科をおいてこの方面の技術者を養成してほしいという希望はかなり前か・・・・つづき

【5号】学生時代の想い出/池田洋一

電気工学科の同窓会報に何か随想を書くようにといわれましたので、どうして私のような若輩が書かされるのかと聞きました所、今迄の例では毎年定年になられる先生方に御執筆願って来たが、今年は生憎(?)定年になられる先生が居られない・・・・つづき

【6号】「捕雷役電」/渋沢元治

私は昭和15年であったか、大戦前の自宅書斉に掲げてあった「捕雷役電」の額を東京大学電気工学教室へ寄贈した。それが同教室会議室に掲げられているのでその謂れを述べる。 私は昭和12年であったか、ある雑誌から「書斉漫談」と題し・・・・つづき

【6号】電子工学科新設に伴う工学部3号館増築/阪本捷房

昨年の同窓会報にも述べてあるように、電子工学科は電気工学科と非常に密接な関係があるために、電気工学科と地理的に離れることは教育上にも研究上にも不便が多いことと、電子工学科新設に伴う建物の割当が約440坪で極めて狭隘であり・・・・つづき

【7号】伝送系としての東海道新幹線電気設備/国松賢四郎

鉄道が、人と物の輸送の面で、人間の社会活動に大きな貢献をしていることは申すまでもありませんが、丁度それと同様に、鉄道の中の電気部門は、電力と情報の伝送系として無くてはならないものとなっております。勿論、伝送だけが電気部門・・・・つづき

【7号】太平洋横断ケーブルの話/木村光臣

国際電信電話会社ではアメリカ電話電信会社及びハワイ電話会社との共同事業として、今度大平洋横断電話ケーブルを建設することになった。大平洋横断といってもハワイ、サンフランシスコ間には既に1957年に布設さてた海底同軸ケーブル・・・・つづき

【8号】古賀先生のこと/飯島建一

今回同窓会の幹事の方から古賀先生の文化勲章御受賞をお祝いして親しく指導を受けている一人として一文を草するようにとのお話がありましたので、他の諸先輩をさしおいて御引受けするのもどうかと一応考えましたが、誠におめでたいことで・・・・つづき

【8号】科学のオリンビック/安川第五郎

オリンピック東京大会は開期まで余すところ僅かに二百余日に迫ってきた。本年に入り何かと話の本筋の如何にかかわらず必らず本年はオリンピックの年だという言葉がはいってくる。さすがにのん気坊の筆者も何だか気ぜわしい気分にいささか・・・・つづき

【9号】東京大学宇宙航空研究所創設について/高木昇

昭和30年来、東京大学生産技術研究所では観 測ロケット研究班を結成し、これが中心となっ て観測ロケットによる宇宙科学の研究にかなり の成果を収めてきた。しかし宇宙科学の進歩は きわめて急速であり、これに対処するための将 ・・・・つづき

【9号】卒業後40年を回顧して/吉田確太

私が東京大学工学部電気工学科を卒業したの は大正の最後の年である大正15年の3月でし た。大正12年の春、六高を卒業して電気工学科 に入学してみると昔ながらの練瓦建てのちょう ど英国のイートン中学の中廊下のある平家建て ・・・・つづき

【10号】同窓諸君に望む/渋沢元治

「捕雷役電」という額が東大電気工学科の会 議室に掲げられている。これは私の書斎にあったものを過ぐる大戦の 際戦災焼失を恐れて大学に寄贈したものであ る。その謂れについて同窓生諸君にも知って頂 きたいのでここに御話する。 ・・・・つづき

【10号】電信電話事業の現状と問題点/米沢滋

日本電信電話公社は、昭和27年8月1日にそれまでの国営形態から公共企業体として発足したが、その翌年の28年度から電信電話設備拡充第1次5ヵ年言計画に着手した。最近公共施設ないし社会資本の長期計画にどこでも力を入れるように・・・・つづき

【11号】うちあけ話/古賀逸策

先日、編集担当者から本誌に寄稿するように との注文があったので、なぜ筆者にそのような 相談を持込むのかを質問したら、 日本人が国際 電波科学連合(*)の会長を務めたなどは、 比較的 珍しい例であるから、それに因んだ、何か・・・・つづき

【11号】定年に当り/阪本捷房

ラヂオの初まったのが大正14年、その翌15年が私が学生として大学の門をくぐった年でした。それから3年間諸先生の御教導によって昭和4年に卒業することが出来、引つづいて講師を拝命しましてから今日まで38年間同じ教室にいて先輩・・・・つづき

【12号】電気脱線記/大来佐武郎

電気工学科同窓会から日本経済発展などの問題について何か書くようにとの御依頼を受けた。平ぜいあちこちで日本経済や国際経済を論じているので、ここでは、同窓会幹事先生の許可なしに、テーマを変更し、電気脱線記を書いてみる気になっ・・・・つづき

【12号】アメリカ人との会話から/黒川兼行

同窓会報に寄稿するようにとの御依頼を受け、頂いた随想欄目次を拝見致しました所、第1号から第11号迄、すでに功なり名遂げた大先生、大先輩の御執筆ばかりであることを知り、どうしたらよいのか解りません 多分通算して7年間も遠い・・・・つづき

【13号】我が国の製鉄の発展と電気・電子技術/野坂康雄

同窓会名簿を見ると当然のことながら、卒業 生の就職先は機器製造と電気事業関係が圧倒的 に多く、電気応用分野の製造工業にはごく少いことがわかります。特に戦前は重化学に見られるだけで、製鉄には極めて稀でした。ところが戦後は、・・・・つづき

【13号】古都ウィーンにて/戸谷深造

早いもので、ウィーン着任以来もうすぐ一年 になります。昨年の今頃、着任の夜に早速ウィーンの名所の一つである「グリンチング」なる所に出かけ、新緑の木蔭で、数名の音楽士の演ずるラィーンの歌などをききながら「ホイリ ゲ」(ブド・・・・つづき

【14号】日本経済の成長力/鹿野義堆

日本経済は、昭和40年の不況によって、いよいよその成長路線にも屈折が生じ、成長のテンポもややにぶるのではないかと思われたが、多くの人々の予想を裏切って、不況からの回復後は年平均の実質成長率が13%をこえ、しかも今までにな・・・・つづき

【14号】電子交換/山内正弥

昨年10月のPOEE誌上に英国郵政庁のMr.J.S.Whiteの「来たるべき30年間における電気通信」という論文がのっているが、その中で彼は次の世代をコンヒュータ、コントロール、コミュニケーションという3Cを中心とする情・・・・つづき

【15号】大学改革について/尾佐竹徇

会員諸兄御承知の、通称「安田講堂事件」か ら、もう満2年以上が過ぎ、久方ぶりに本郷を訪ねられる方々は、相変らず立並ぶ「タテカン」 を御覧になると「まだやっているのですね」という感想を持たれる方もあり、また、一方では 「案・・・・つづき

【15号】東南アジアと日本の技術協力/野沢陞

私が始めて東南アジアヘ出掛けたのは、昭和29年の秋でしたが、それ以来ビルマの9年を始めとして、東南アジア8ヵ国に延べで12年の生活を送って参りました。卒業してから18年になりますので、3分の2は海外にいた勘定となります。・・・・つづき

【16号】成長ゼロの社会/小林宏治

昨年9月、ニューヨークの郊外で第2回イノベーション国際会議が開かれ、それに参加した。日本から私、アメリカからは、ハドソン研究所のハーマン・カーン氏、ベル研究所のモートン博士、RCAのヒリアー博士、ヨーロッパからフィリップ・・・・つづき

【16号】脱皮/沢井善三郎

昭和10年電気工学科を卒業、航空研究所(いまの宇航研)の研究嘱託として東大に就職して以来ここに37年、生産技術研究所勤務を最後として、このたび定年で退官することになりました。最近各方面で脱何々といわれています。私の場合は・・・・つづき

【17号】無限・有限/北川 一栄

観念的には宇宙の拡がりは無限だと思う。しかしわれわれにとって実在する宇宙は有限で、たとえば望遠鏡で観測できる距離を半径とし、地球を中心として描いた球体と考えることができよう。ある日、新しい望遠鏡ができて、可測距離が100・・・・つづき

【17号】放電屋放談/鳳 誠三郎

本年の3月末日で、東大を定年退職させて戴くことになりました。専任講師を拝命したのが昭和11年4月でしたから、37年間東大に御厄介になったことになります。学生時代の3年間を加えると、丁度40年になります。亡父秀太郎も東大に・・・・つづき

【18号】イランの事情/松木昭

にわかに高まったエネルギー危機の中で、イランという国の名は、日本の方々にもすでにおなじみのものと思います。どんな所か、色々と情報はえられるが、そこに住んでいる人間の話も聞いてみよう、というのが幹事の御意向かと思います。 ・・・・つづき

【18号】ある海外援助―エチオピアを訪ねて―/荒川文生

(1) 昨年7月から9月にかけて、東アフリカは高原の国エチオピアを訪れる機会を得ました。エチオピア帝国政府の依頼で、同帝国の長期電力計画を策定するのが目的です。「長期とは何年か」とは現地でも議論になりましたが、電力需要の・・・・つづき

【19号】不惑すぎれば/大越孝敬

ジュネーブ在住の同級の新井彰君(郵政省よりITUに出向中)が、デビ夫人とブリッジをした話を書いてくれるはずと聞いていたのですが、公務多忙の為、急に小生が埋草を書く破目になりました 世代間の共通の話題として、ひとつ年齢(と・・・・つづき

【19号】アメリカ惚けの記/山田尚勇

大学を出て一年程で渡米し、大学院生を6年、産業界で6年、大学教授として6年の、都合18年をアメリカに送って帰り、理学部に奉職する私にとって、もともとが台湾育ちの身だけに、 日本という国は不思議に見えて仕方がない。それで、・・・・つづき

【20号】車両の磁気浮上の研究/山村昌

我が国では鉄道は交通量(man-km)の半分以上を運んでいて、依然として最も重要な交通手段であるが、いろいろな問題に直面している。技術的な面では騒音と保守の問題がある速度を増すと、加速度的に騒音と保守量も増加するので、こ・・・・つづき

【20号】核融合の研究開発と電気工学科の人々/山本賢三

核融合という新らしい核エネルギー利用の可能性が高まってきて以来、昨今はしばしば新聞にその名が登場するようになった。日本でこの研究が始ったのは、米・ソを除けば西欧諸国と同じく20年前である。それは核分裂原子力開発のため原子・・・・つづき

【21号】東大を去るに当って/尾佐竹旬

私が終戦の年の4月に、通信院工作所東京第一工場長から東京大学に移って満33年目を迎えることになった。昨年10月還暦を迎えたとき、何かと御祝詞を戴き、 自分としては一所懸命に還暦の意味をかみしめてみた。私の愛車も、走行距離・・・・つづき

【21号】超LSIのはなし/垂水忠明

昭和30年代の後半、現在では電卓業界の一方の雄であるシャープ(株)が、トランジスタを使った電子式卓上計算器を発表した当時のことを覚えておられるであろうか。その最初の製品は、機械式のものに比べれば、無音、高速ではあったが、・・・・つづき

【22号】思い出/岡村総吾

大学を卒業して直ちに本学の講師を拝命してから38年の歳月が立って、この13月で東京大学を定年退官することになりました。 月並みな表現ですが、今更ながら月日の経つのは早いものだと感無量です。 卒業後すぐ一年生の弱電実験(今・・・・つづき

【22号】ディジタル画像情報処理/尾上守夫

「百聞は一見に如かず」ということわざにもあるように人間が外界から情報を取り入れる手段として、画像は情報量からいっても、音声や感触によるものよりけた違いに優れている。また処理という点から考えても「パターン認識」という言葉が・・・・つづき

【23号】定年を迎えるに当たって/瀧 保夫

私は本年3月を以って満60歳の定年を迎えることになりました。大学を卒業し、初めて講師の辞令を頂きましてより、足掛け37年になります。考えてみると誠に長い年月ではありますが、自分にとっては本当に昨日のことの様に感ぜられます・・・・つづき

【23号】神話時代の同窓会-桜岡会のこと-/古賀逸策、斉藤忠夫、川上潤三

同窓会もお陰様で会員数4,000名を越え、益々盛大なものになっておりますが、戦後生まれの会員も1,000名に達し、同窓会が現在の姿になるまでの経過などについては、ほとんど知らない世代が増加しております。そこで、この際、同・・・・つづき

【24号】定年を迎えるに当たって/斎藤成文

私は昨年9月17日、満60歳の誕生日を迎え、本年3月をもって、足かけ39年お世話になりました東京大学を定年退官いたすことになりました。 我々のクラスは第2次大戦のため3か月の学年短縮が実施され、大戦突入直後の昭和16年1・・・・つづき

【24号】北海道-本州電力連系について/竹之内達也

昭和54年12月1日北海道と本州をつなぐ本格的な直流送電設備が15万kWの出力で運転を開始した。昭和55年6月には30万kWとなる予定である。函館と上北に変換所を設け、40 kmの海底ケープルと120kmの架空線などをも・・・・つづき

【25号】定年を迎えるに当たって/柳井久義

私もこの3月で定年退官する事になりました。考えてみますと昭和17年9月半年短縮で大学を卒業し、直ちに講師として奉職してから既に38年半という歳月が経ちました。私としてはついこの間のようにも感じますが、履々申します通り38・・・・つづき

【25号】藤岡市助博士の銅像/佐波正一

現在の東芝は、軽電関係をその主要製品としていた東京電気株式会社と、重電を主体としていた芝浦製作所が、昭和14年に合併してできたものであるが、国電川崎駅西にある堀川町工場は東京電気の本拠として、マツダ照明学校やマツダ研究所・・・・つづき

【26号】第二工学部の卒業生として/丹 羽登

東大の電気工学科に入学したのが1942年4月、第二工学部の第1回生としてでありました。丁度40年昔のことであります。そして昨年還歴を迎え、本年東大を定年退官するにあたり恒例によってこの会誌に誌面を与えられましたので、学生・・・・つづき

【26号】定年を迎えて/宇都宮敏男

昭和16年4月から学生として2年半、大学院特別研究生として5年、文部教官となって33年余り、通算40年を本郷の、しかも工学部3号館を主たる拠点として通い続け、間もなく定年を迎えることになった。還歴までの3分の2という長さ・・・・つづき

【27号】古賀逸策先生を偲ぶ/坂本捷房

古賀先生は東京大学を御退官後、国際電信電話会社で研究生活をしておられましたので同社の難波捷吾氏からは時々先生についての情報が私の許まで伝えられておりました。先生が脳硬塞のため東京逓信病院に入院されているということを聞きま・・・・つづき

【27号】大山松次郎先生を偲ぶ/高木 昇

昨年8月2日、東京大学の工学部電気・電子工学教官及び名誉教授が相集い、学士会館で大山松次郎先生の米寿のお祝を挙行しました。先生は、極めてお元気で、若い時代の思い出話、例えば、浅草の浅草寺の依頼で本堂内の照明を改良した話な・・・・つづき

【28号】商事会社と私/高原 靖

1.研究所と商社 ○研究所は情報を作るところである。作られた情報が世の中に有用であればある程、また独創的であればある程研究者は評価される。商社は情報を売るところである。その情報がお客様にとって有用であればある程よく売れて・・・・つづき

【28号】毛並みの悪い東大出/山本卓眞

もうかれこれ二十年前になろうか、電車の中吊り広告の雑誌(サンデー毎日)の記事見出しに“毛並みの悪い東大出”とあるのを通勤途上で見つけ、何やら面白そうではないかとつぶやきながら買って読んでみた。昭和二十一年からの二、三年間・・・・つづき

【29号】西千葉に学んだ頃/三田勝茂

昨59年11月、東大第二工学部電気工学科を24年に卒業した私達の35年会が高輪の八芳園で開催された(ちなみに30年会は一工、二工の電気合同で開かれた)。 私の学部生活は終戦の直前から直後のことで、特に戦後は電力不足のため・・・・つづき

【29号】定年を迎えて/飯口眞一

私は、昭和60年3月を以て、東京大学を定年退官致しますが、恒例により、この会報に紙面をいただきましたので、諸先輩と同じ様な調子で書かせていただきます。 私は、昭和23年3月、一工の電気工学科を卒業しましたあと、通信省から・・・・つづき

【30号】阪本捷房先生を偲ぶ/宇都宮敏男

阪本捷房先生は昭和42年に東京大学を定年ご退官になり、引続き東京電機大学教授、同学長、同名誉学長として、また株式会社東芝顧問として、まことにお元気でご活躍になっておられました。その阪本先生が昭和61年4月2日東京電機大学・・・・つづき

【30号】木を伐らないで年輪を観る/尾上守夫

奈良の大仏殿は今でも世界最大の木造建築物であるが、往時はもっと大きかった。それが火災にかかって何度か建て直しているのである。とりわけ史家の筆に残っているのは平家物語にも出てくる平重衡による南都焼打である。それを歎いた俊乗・・・・つづき