【23号】定年を迎えるに当たって/瀧 保夫

私は本年3月を以って満60歳の定年を迎えることになりました。大学を卒業し、初めて講師の辞令を頂きましてより、足掛け37年になります。考えてみると誠に長い年月ではありますが、自分にとっては本当に昨日のことの様に感ぜられます。その間、私を育てて頂いた先生方を初め、先輩、友人、後輩の多くの方々に一方ならぬお世話になりましたことをつくづく感し、感謝の気持で一杯であります。

私は、昭和13年に大学に入学しましたが、1年生の時に健康を害し1年間休学して、昭和16年12月卒のクラスと一緒に勉強をして参りました。このクラスは御承知の通り、戦争に備えて卒業が急に早められたクラスで、私共は実習先から急きょ呼び返されて面くらったことを思い出します。私は、同窓会等では便宜上、16年12月卒として居りますが、厳密に言いますと、卒業間際にまた病気をして論文提出ができず、半年遅れの17年6月という日付で卒業させて頂きました。

卒業後は、講師として教室に勤めさせて頂くことになり、直ちに1年生の弱電実験を担当することになりました。その頃は戦争もたけなわとなり、私と近い年齢の者は多く陸海軍に採られるのが普通で、大学でも、近い先輩の岡村先生、山村先生は海軍に、次のクラスの柳井先生は陸軍に入られました。そんな関係で、鳳先生の次は私しか居ないという状態で、いささか心細い気持を味わったことを思い出します。

研究面におきましては、卒業論文以来御指導を頂いた阪本先生の研究室に入れて頂き、通信関係の勉強を致すことになりました。その頃は、矢張り軍関係の研究が中心で、先生の御指導でレーダ受信機の雑音の問題をテーマに頂きましたが、これが私のその後の方向を決めることになったと考えて居ります。

終戦と共に、日本全体は大変苦しい状態に置かれた訳ですが、大学では、軍に行って居られた先生方も復帰され、にわかににぎやかになりました。その頃の、物に不自由しながらも、活気に溢れた雰囲気を懐しく思い出します。私も、引続いて雑音の研究に携わって参りました。その頃は、いわゆる通信理論と言われる部門が急速に発展して来た時代で、私もそんな方面に興味をひかれ、通信方式の研究に手を染める様になり、更に通信理論の応用としてレーダの信号設計とか、テレビジョン信号の帯域圧縮、画像信号の高能率符号化といった方面で仕事を続けて参りました。いま振り返って見ますと、自分の好きなことを好きなペースでやらせて頂けた事を幸に思って居ります。しかし同時に、果してどれ程の事をなし得たかと省みますと、内心忸怩たるものが御座います。

私が大学にお世話になって来ましたこの37年は、誠に変化の激しい時代でありました。日本としても、敗戦から戦後の混乱、復興、高度成長、そして現代の低成長期と、目まぐるしい変遷をして参りました。また、技術的にも、この30年の間の進歩は、眼を見張るものがあります。そんな時代に生きて来られたこと自体一つの幸せであるとも言えますが、それを大学という恵まれた環境の中で、良き師、良き先輩同僚、良き後輩に囲まれて過ごすことが出来ましたのは本当に幸福であったと思って居ります。

私は、この40年に3度大病をし、2度の手術を経験しました。その間、多くの方々に御心配を頂き、御迷惑も掛けて参りましたが、いづれの場合も、以前よりも元気になる程完全に回復することができ、健康で還暦を迎えることが出来ますことは、本当に有難いことだと考えております。幸にして、まだ元気で御座いますので、これから自分の出来るだけの仕事をし、少しでも皆様のお役に立ては幸だと考えております。今までお世話になりましたことを感謝致しますと共に、今後もお世話こなると思いますので宜しくお願いを致します。

(昭和17年6月卒 東京大学電気工学科教授)

<23号 昭54(1979)>

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