まえがき

私たちが東大電気工学科に入学し、同期生として初めて顔を合わせたのは、今から70年余り前の昭和14年4月であった。この際それからのお互いが過ごしてきた人生と社会、お互いの絆を顧み、記録したいと思った。

まず私たちの入学した時代を顧みると、昭和12年に始まっていた支那事変がすでに長期化し、国内では戦時色が濃くなっていた。入学した年に欧州での大戦が始まり、この影響を受けた日本は戦争への歩みを早めて行った。

さらに卒業した昭和16年12月は、日本が大東亜戦争に突入した月である。昭和14年4月に入学した私たちは、本来翌年3月に卒業する予定であったが、時局の緊迫化に伴い16年夏に、すべての大学・高専の学生の卒業繰上げが決定されたのである。

そして卒業した学生は一応社会で就職したのであるが、大部分の者は徴兵制度により直ちに軍務に服することになり、軍隊教育を受けた多くの若者が戦地に赴く苛烈な運命を甘受せざるを得なかった。その中にあって電気工学科卒業生は、陸海軍の必要とする技術系要員として多くの者が活用され、専門を生かせる処遇を受けたので、法文系を主とする一般学徒より、戦争による犠牲者は少なかった。

昭和20年の敗戦後、お互い軍務を終え、本来の仕事に戻ることになった。この中で戦陣に倒れた者、帰るべき職場を失った者、外地にあって復員が遅れた者も多い。しかし敗戦に伴う経済・社会の混乱と貧困の中、多くの仲間は立ち直り、若手技術者としての誇りを持ちつつ、それぞれ戦後の復興のために働いた。我々は後に達成された日本の国民経済の発展のために大きな役割を果たしたと胸を張っていえる世代である。

我が同級生も近く卒業後70年を迎え、残った者はいずれも卒寿といわれる年になった。仕事も終え余生を楽しむ年代であり、健康を損ねている者も多い。ここで我々が過ごしてきた社会と会員の歩みを総括し、記録として残したいと思い立った。これがこの小文の目的である。

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