東大航研での電波報國隊/丹羽登

期 間:昭和18年10月~19年3月および4月19~29日
分遣先:東大航空研究所(多摩陸軍技術研究所駒場研究室)
分遣者:安達芳夫、妻藤達夫、津澤正巳、丹羽登、藤井忠邦

1.その頃の航空研究所

駒場の航空研究所には正門正面の本館の上に大きな時計塔があり、さらに其の上にはフィリピンのコレヒドールで捕獲した米軍のレーダーのアンテナが聳えたっていた。周囲の建物は昭和初期からの荘重な煉瓦作りであった。(なお当時航研があった敷地は現在は駒場リサーチキャンパスと呼ばれ、東大生研をはじめ種々の研究施設が建ってしまったが、時計塔のある本館は歴史的建造物として残され、昔の面影を伝えている。)

航研へ派遣された我々の所属は第二工学部電気工学科主任の星合正治教授が兼務しておられる研究室で、井上均助教授と庄野久男技官が専任で直接ご指導をいただいた。

我々の電波報國隊が発足した直前に、電波兵器の劣勢を補うべく多摩陸軍技術研究所が創設(昭和18年6月)され、星合研究室は多摩研駒場研究室となっていた。キャンパスの中央列南端に16号と呼ばれる木造3階建てがあり、波長1.7m(タキ1)、0.8m(タキ2)、4m(タキ3)のパルスレーダーの研究が進められていた。屋上のやぐらにはヤギアンテナが林立していた。

その頃陸軍では警戒機・標定機など航空関係の電波機器を「タ号」という略称で呼んでいた。機上搭載用は「タキn」、地上用は「タチn」で、nは順次つけられた番号である。なお地上用は(た号三型、た号改四型)などと省略した呼びかたも使われていた。

また同研究室ではパルスエコー方式の高々度用電波高度計(タキ11)と、FM方式による低高度用電波高度計(タキ13)の2種(双方とも波長0.8m)につき改良研究、試作が活発に続けられていた。この高度計の開発は多摩研創設以前からの、同研究室による先駆的研究によるもので、星合教授・井上助教授ほか数名の関係者は陸軍大臣から表彰されたと後で知った4)。

電波報國隊が始まった最初には井上助教授から電波兵器の概説と現状についての講義があった。我々は入学した直後(昭和17年4月18日)の書休みに東京奇襲の米軍双発機を見て驚いた。それは外房に設置されていた俗にワンワン式と呼ばれる超短波連続波の警戒機で捕捉されていたにもかかわらず、東京への通信連絡系が不備で空襲警報が遅れたのだという話が耳に残っている。その警戒機とは銚子・白浜に設撞された70MHz帯連続波の送受信地点を結ぶ警戒線を航空機が横切ると直接波と機からの反射波との干渉でワンワンと聞こえる(タチ6)だったようである4)。

多摩研からは唐津一先輩(後に松下通信㈱/東海大教授)が中尉として常駐され陣頭指揮をとっておられた。星合教授は(タキ11)の高高度飛行試験の際、空気が希薄で息苦しくて寒かった話を繰りかえされた。

2.我々の業務

我々は全員が同一行動ではなく、適宜仕事を分担していたのと、古いことで、不正確かつ断片的ではあるが、記憶に残るものを列挙する。

①電波高度計の研究・試作の応援

②反射波の遅れ時問を知るための、繰返し周波数(1KHz)の移相器試作

③レッヘル線、立体回路による超再生受信器の試作。波長α8m帯用

④1.7mレーダーの操作:時計塔上のアンテナと、屋上の木造小屋の送受信機とは太い同軸ケーブルで接続されていた。CRT上のAスコープ波形を見て塔上と電話で連絡しながらパルスレーダー習熟のための操作・特性測定を行った。アンテナ係は地上高44mの、寒風でかじかんだ手で、方位角用の大きなハンドルを操作してアンテナアレーの架台を回し、別の1人が上下角用のハンドルでビームアンテナの迎角を変える。エコーの源である航空機はめったに飛んでいなかったが、容易につかまる秩父連山やその後方の富士山の冬景色が瞼に残る。

⑤平磯実験:昭和19年3月末電波報國隊は終了し、4月から卒業研究の準備が始まっていたが、航研組は4月19日一29日茨城県平磯での多摩研の演習への参加を要請された。海岸の崖の上に多摩研傘下の波長の違う各種のレーダーが集められていた。水平飛行の試験機を追跡し、飛行高度をかえて繰り返す大規模な総合演習であった。古賀逸策教授が総指揮をとっておられた。我々は航研班のレーダー機材を駒場で梱包して唐津中尉運転の輸送車に積み込み、同乗し、現地では装置・アンテナの組立て、調整、操作運用などを行った。

3.その頃の電気知識

電波報國隊の開始まで入学から1年半、2回あった夏休みは短縮され、直前の夏期実習も例年どうり実施されていた。それまでも講義は充実して行われていたが、動員先で指示された業務をこなすには電気工学科の3年生としての知識は不足だったと言わざるを得ない。その頃使っていた筆者のメモ帖(いわゆる大学ノート)には必要に迫られて読みまくった参考書・便覧の要旨が細かく書き込まれているが、紙が黄色くなり装丁も悪く、バラバラになりかかっている。

また、例えば動員直前には「広帯域増幅器の特性」についての森脇助教授の番外の講義があった。その時は内容を充分には理解できなかったが、後日パルスエコー方式の回路を自作するようになって、パルスの波形を崩さずに増幅するのに有効と知った。

この電波報國隊の初期(昭和18年12月)にレーダーを中心とした「超短波技術講習会」が科学動員協会主催で開かれ、それに出席したという修了讃書が手許に残っている。海軍技研・陸軍多摩・電波研・電気試験所・NHK技研・東芝・住通などからの極めて著名な講師陣による送信回路・受信回路・非正弦波回路・警戒機・標定機・・・などの講義名が記入されたA3版の立派な免状である。会場は本郷の東大法文系の大講義室だったように思うが、講義日数・時間などの記憶は無い。休憩時間に、他大学の電気工学科へ進んだ昔の同級生に会ったので、我々に続いて第2期の電波報國隊が計画されているらしい、と気付いた記憶がある。(当時は接している軍関係の仕事については、みだりに聞いたり話したりしない習慣があった。)

4.電波報國隊のあと

電波報國隊が3月に終わって大学に戻り卒業研究が始まった頃定められた「決戦非常措置ニ基ヅク学徒動員実施要領」によると「理科系ノモノハ其ノ専門ニ応ジ軍関係工場…ニ配置シ…」とあり、他学科の諸君も既に内定していた就職先などへそれぞれ動員されていたようである[文献1)p.142~p.144]。なお、この種の動員は昭和18年6月に「学徒動員体制確立要綱」で決まり、電波報國隊が発足した10月初日の直後、10月21日には小雨の明治神宮外苑で出陣学徒壮行会が行われた。

このような情勢下で実施された電波報國隊では、レーダーなどに直接関係する電気工学科学生らしい仕事もあったけれども、単純作業・肉体労働で、つらいことも多かった。航研分遣組は恵まれていた方であろう。級友の評価も感想も種々まちまちである。文書として残っている例を引用する。

宮崎仁君は「浜名海兵団を経て中尉に任官後海軍電測学校に入った。そこはレーダー関係の研究・教育機関で、僕は大学のとき動員でレーダーをやっていたから、こっちが先生方を教える立場になっちゃてね。」と電波報國隊の効果を語っている。[文献1)p.173]

また藤井忠邦君は我々を代表した思い出の記[文献2)p.179]の中で「電波報國隊の期間中一部の人は軍の研究の手伝いをしたが、多くはタ号電探の据付調整、電源の運搬など並大抵の苦労ではなかった。浜名海兵団の後は沼津海軍工廠無線部で電探関係の技術に従事したことになっている。然し敗戦直前の混乱期で、目先の応急対策に追い回され、建設的な仕事は出来なかった。終戦は工廠の疎開先、伊豆長岡の洞窟の中で迎えた」と記している。

筆者は電波報國隊のあとも多摩研の分室になっていた高木昇教授の研究室でレーダー校正装置の研究開発を続ける事が出来た。試験器をかついで関東地区のレーダー陣地を回った3)。直接接した標定機は稲毛・銚子の高射学校を含め10基余であったが、主力は電波報國隊の本隊が住通で苦心惨濾した「タ号3型」であった。「タ号2型」は1基だけ残っていた。「タ号1,2,4型」の長所をまとめた「タ号改4型4」は陣地に1基と高射学校の他はメーカーである東芝の小向調整場で接しただけであった。優秀な分隊長がいてタ号を良く使いこなしている陣地もあった。このことは記録に残したい。

さらに電波報國隊でも接していた(タキ1、タキ2)が既に双発機に搭載されているのでその較正装置も、との指示が来て(昭和20年6月)、徹夜を繰り返して製作した。上記のタ号陣地回りと時期が重なってしまい、6-8月は極端な過労の連続であった。同期生は皆軍服なのだからという緊張感で体力を持たせていたらしい。新作の機上用較正装置と電源箱をかつぎ、空襲や機銃掃射でヅタヅタの列車を乗り継いで富山の飛行基地へ通うこと3回、敗戦は富山で迎えた。

卒業式で卒業証書と共にもらった学士資格の免状(全取得科目名・卒論題目など記載)の欄外に「在学中大東亜戦争学徒勤労動員出勤」と朱印が捺してある。つまり動員のため大学での実質的勉学時問は短かったと証明されているのだ。戦時の「非常措置」によるとはいえ、電波報國隊によって貴重な学生時代を労働に費やしたとも言えるし、その体験・知識を後日に生かし得た例もあった。想いは複雑である。

電波報國隊を内側から見た記録を作ろうと試みたが、忘れかけていることも多いので(下記の)文献や当時のメモを活用して極力正確を期した。しかし、その内容は電波報國隊の一員である学生として、またその後も多摩研の分室である東大の研究室に所属する民間人としての見聞に過ぎず、軍のレーダー担当者としての正確な記述ではないことをお断りしておく。

参考文献

1)今岡和彦:東京大学第二工学部。講談社(1987.3)

2)東大電気電子工学科同窓会編・刊:東大電気工学科のあゆみ(1983.5)

3)丹羽登:超音波をレーダーの校正に、超音波TECHNO、日本工業出版㈱刊、8巻7号38-41頁(1996.7)

4)石川俊彦編著1軍用無線機概説、資料編Ⅱ、(1996)、(自費出版)

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