五角形の工学部三号館/岩崎敏夫
工学部三号館は昭和16年(1941)7月に、電気工学科・船舶工学科の建物として建てられた。地上3階(一部4階)地下1階、延べ面積6,285㎡と記されている。
この建物は少し変わった所がある。緩い傾斜地に建てたため南側の入り口は1階にあり、東北側の入り口は地階にあリ、うっかりしていると階数を間違えることがある。また、西側部分の2階の床が西側以外の2階の床と高さが違い廊下に数段の階段がある。私が古い職員に聞いたところによると、西側部分は前にあった建物を壊さずに残し、タイルで覆ってあるのだとのことだった。何故そうしたかという理由は伝わっていない。
三号館の一番の特徴は、東北の角を切った五角形の形であろう。1階の廊下は館内を一周しているが、歩いていて今どの辺まで来たか分からなくなることがある。何故五角形にしたのか、いくつかの説があるが、設計者に聞けない今となっては本当のことは分かりようもない。
弥生門を入ったところにあるので、門から建物を見たときの景観を良くするため、門に対した東北の角を落とし、玄関を設け玄関の左右を見た目で対称になるように造ったという説、確かに玄関の上方に4階(旧31号講義室)を乗せ地上の人を圧倒する観がある。さらに穿った見方としては、この東北側の玄関は建物の正面玄関として設計されたとする説もある。しかし正面玄関説には同調しづらい。その訳は、たしかに玄関は広いが通常玄関に設けられる受付け用の窓がなく、1階に上がる階段も狭く、事務室・用務員室用と思われる間仕切りも近くにない。また単に景観だけを考えた設計とも思われない。
私は、奇抜な考えかも知れないが、「陰陽道(おんみょうどう)」でいう「鬼門」を避けた設計だと思っている。鬼門は場所や建物の東北(うしとら)の方角をいい、鬼や凶気が出入りするという。三号館自体10万坪の旧加賀藩上屋敷の中で「うしとら」の方角に位置し、ために「処刑場」として使われていたと伝えられている。そこに建てた建物ゆえにことさら鬼門の対策を考え、鬼門にあたる東北の角を落とし「鬼門封じ」をしたのではなかろうか。建物の鬼門の角を落とす工夫は、古く京都御所にもみられる。御所を囲む長い塀の東北の角は1間にわたり内側に凹ませてある。この手法は陰陽遣では「欠け」と称している。明治になり、陰陽道は公には禁止・廃止になったが、鬼門等の禁忌は民間に伝えられており、三号館の一隅をとったのも鬼門を避けた設計者の思惑ではないであろうか。