【17号】無限・有限/北川 一栄
観念的には宇宙の拡がりは無限だと思う。しかしわれわれにとって実在する宇宙は有限で、たとえば望遠鏡で観測できる距離を半径とし、地球を中心として描いた球体と考えることができよう。ある日、新しい望遠鏡ができて、可測距離が100倍に拡大されたとすると、その日から、われわれの宇宙の拡がりは、半径の3乗、すなわち1000000倍となる。われわれの宇宙、研究対象、仕事が一挙に100万倍に拡大されたということで、これに処する態度も革新的に変えなければならないであろう。
工業社会では情報処理はほとんど人間が行なっていた この場合の処理能力は文字でいえば、最大1時間数万字であったが、コンピュータの出現により、一部については、一挙に10万倍、100万倍に飛躍させる可能性がでてきた。
200年もつづいた工業社会の現象はこの間いろいろ究明せられたが、人間の情報処理能力には限界があるため、たとえば学問別に法・文・理・工科とか、機械・冶金・電気などに専門化して学習せられ、また企業では職種別・機能別などにわけて処理されてきた。しかし分化の過程で相関関係が一応解明せられているから、一つの専門に従事していても、この相関関係を通じて総合し、お互いが話し合えた。
コンピュータの活用により、工業社会ではとり扱えなかったような広汎な範囲、複雑な現象を処理しうる可能性がでてきたが、その程度と精度が10の4乗~ 10の6乗。と一挙に飛躍したため、 われわれの工業常識とのかい離をつねに念頭におかなければならなくなった。同時に問題究明のために新しいアプローチの技法を開発する必要がでてきた。
デルファイ法、関連樹木法などによる予測技術、テクノロジー・アセスメント等々新しい技法と科学がこのため、めまぐるしく発展しつつある。いわゆるsoft science、soft technologyが開発されているわけで、この処理にはコンピュータが必要である。
さきの日本列島改造論とか、公害対策、福祉社会への追究などには、すべてこうした新しい技法を用いる必要があると考えられるにも拘らず、案外工業社会の常識で、ことに年長者が大声をあげて論じているのではないか。新しい技法を展開していってもなかなか解けないであろうが、さりとてこの展開とともに取組まなければ、またそのために肉体的頭脳労働に適した若い人達の力をかりなければ、工業社会から一歩も前進しないことだけは確かである。
Soft science、soft technologyの開発は、いわゆる知的創造で、資源を浪費するものではない。現在の農業、工業自体の中で、これを展開することが、知識集約化を進め、また情報化社会への進行を、福祉志向へと具体化していくこともできるのだと思う。これに関する概念と教育とが一日も早く社会に拡散する努力を希うものである。
一方、上記の考え方とは反対に、有限の宇宙の中の相関関係を真剣に考え直さなければならない現象がでてきた。その一つはローマクラブで唱えられるように地球資源の限界である。資源のみならず、社会・産業・技術・経済などの仕組みについてもその成長の限界・質的変換、つまりエコロジー的に考えなければならなくなった。
考えてみると、宇宙の現象は無限というべき法則にしたがって存在していると思われる 一部解明せられたものを科学とすると、その中で人間に役立つように利用したものが技術といえる。その技術も経済的なもののみが主として活用されてきた。その経済のメカニズムも人間の欲望の対象として価値あるものについて考えられてきた。
しかし有限の中でこうした部分的な科学・技術・経済が異常にのびると、残りの部分との間に大きな摩擦・矛盾を生じる。公害、円切上げ等々今日の大きな問題は主としてこれに属する。また、今まで経済のメカニズムにおりこまれていなかった公共投資(公園をつくるのには投資が必要だが、使用は無料)とか、大気・水などを有料として考えなければならなくなった。人間経済学への転換がいそがれるわけで、従来の生産主体の経済に対し、さらに経済のメカニズムの中に社会現象・福祉・人間の心理をどう有機的に結合させるかということを質的量的に考えなければならなくなったということである。
また、世界の中での日本ということから考えると、10年以内に従来の重化学工業重点の産業構造の知識集約型への移行も必至という結論となるが、さてこの具体的な移行措置も判っていない。
有限の人間社会の中でこうした各種の活動が錯綜し複雑化してくると、従来の考え方の外挿的延長では福祉社会への移行は不可能で、 ここでも常識の転換、新しい指標の発見と複雑な情報を処理する技法の展開がいそがれるわけである。無限の成長を前提とした考え方から、成長の限界を考え、人間を主体として、社会・産業・経済・技術の新しい質的量的整合を考え直さねばならなくなった。大へんなことではあるが、それだけ若い人にとってやりがいを感じさせる、ものだと思う。
(昭和2年卒 住友電気工業(株)会長)
<17号 昭48(1973)>