【12号】アメリカ人との会話から/黒川兼行

同窓会報に寄稿するようにとの御依頼を受け、頂いた随想欄目次を拝見致しました所、第1号から第11号迄、すでに功なり名遂げた大先生、大先輩の御執筆ばかりであることを知り、どうしたらよいのか解りません 多分通算して7年間も遠い外国に住み世界各国からやってくる技術者の間に混ってどうにかこうにか生 きているらしい奴の随想も又一興との思召しかと拝察して筆を取らして頂きます。しかし筆を 取っても適当な話題を持合せているわけではありませんから、アメリカ人と食事を共にした時 の差障りのない話題でも想像しながら書いて参りませう。

作今の日本の目覚しい発展ぶりには多くの外国人が驚異の目を見張っておりますが、食事の時よく何故だろうと質問されます そんな時次のように答えることにしております。百年位前 に施行された義務教育制の成果が少しづつ表われてきた結果でせうと戦前は紡績工業が、戦後はエレクトロニクス、光学機器が日本の花形 産業のように言われていますが、いづれも多くの熟練工、若い女工さん等の力に支えられた産業であると言って差支えないように思われます。そうしてこういう難しい産業を支えられる 優秀な工員さん等を多数作り出した日本の底力というものは義務教育によって培われたと申上 げたら間違っておりませうか。つまり智識人と呼ばれる少数の人々を除いた残りの平均値が他の国の同程度の人々の平均値に比較して圧倒的に高いという所に差異を見出すわけでございま す。読み書きが、小説等を読んで楽しめる程自 由に出来るということは日本人にとって当り前のことですが、他国ではどうもそうではないような気が致します。先進国の代表のように言われるアメリカですら上のような平均値の取り方をすると日本より大分落ちるのではないでせうか。新聞の発行部数を比べたり、町を歩いて本屋さんの数を数えてみるとよく解るような気が 致します。日本の小学生の算数の学力が他国の同年配の子供さんに比べて非常に高かったということが昨年でしたかテストの結果明らかにされましたが、これ等も上の平均値の考え方を支持しているように思われます。こんな風に説明 すると次の質問はそういう工員さん等を低賃金で使っているのだろうという事になります。ドルに換算すれば確かにそうですが、日本の給与体系がアメリカのそれと全く異っていますから 必ずしも低賃金にならないのだということを説明しなければなりません。そうして最後にアメ リカのある会社が日本の安い労働力を使って稼ぎまくらうと、厚生施設の費用、その他を入れて計算した所とても採算に合わないことがはっきりしてあきらめたというタイムに出ていた本当か嘘か解らない話を引用することにしています。そうすると私自身もなんとなく納得するような気持になりますし、相手も鋒先きを収めてくれます。

次に話題は家族のことに移ります。私には女の子が二人あって共に私立の学校にやっている のだというと大抵のアメリカ人はびっくりしてしまいます。というのは公立学校の費用一切が税金でまかなわれ、私立に子弟を送るのは教育費の二重払いに相当して大変な贅沢と考えられ ているからです。そこで又長い説明をしなけれ ばならなくなりますが、簡単に言えば恥ずかしくない礼儀作法を身につけさせようとの考えからです。例えばスープを飲む時音を立てないということは私も小さい時から教わっておりましたが、お茶を飲む時も、水気の多い果物等を食べる際も絶対に音、つまりSucking Noiseを 立ててはいけないのだということは、大学を卒業する頃アメリカ人の子供に指摘されるまで存じませんでした。大人はこういうことを決して 指摘してくれませんし、こんなことはあまりに当然なことで礼儀作法の本を見ても書いてあり ません。そこてこの外知らずに過ごしてしまっていることが沢山ある筈で、小人数のクラスで 教育を受けさせれば先生の監督も行屈いて自然にこういうことも習得出来るだらうと考えられ ます。大きい方の子供の話ですと、言葉使い等 も私立の先生方は直して下さっているようです。こういうことは大きくなって余裕が出来てもその時訓練の仕直しが出来るというものでないことを説明致しますと安月給なのに大変だらうというような顔をしながら納得してくれま す。

家では何語を使っているのかということもよく質問されることです。日本に帰った時のことを考えて家では専ら日本語を使うようにしておりますし、子供等には夕食後テレビを見る前に必ずノートー頁分日本語を書かせるようにしております。そんなに努力していても私達の日本語に対する答はよく英語で返ってきてしまいます。あんまり私の英語が下手なせいか、その次の質問で、お前は日本語で考えるのか、英語を使っているのか等と言われます。私自身、研究所にいる時はどうも英語で物を考えているらし く日本語のお電話を頂くととまどってしまいます。更にこちらでお電話を頂いたり、お目にかかる日本の方々は凡て偉い方々ばかりですので 敬語を使わなければならないことに大変な苦労を致します。そうしてそういう難しい日本語を使った後はしばらく英語が出なくなってしまう のにも全く困ってしまいます。自宅に帰りますとその逆で英語の電話を受けると普通以上にしどろもどろになってしまいます。こんなに困まる語学ではありますが、稀には面白いこともないわけではありません。私の属する部門で数日前、他部門からスベイン語の公文を受取り、止むを得ずスベイン語の解る人に訳してもらったらしいのですが、返事を日本語で書こうということになり、短い英文でしたが日本語に訳して、もう一度英語にして日本訳の正しいことを 確認、その日本語の手紙に送り返しました。今頃、相手方はねじり八巻きでその日本語を英語に訳していることでせう。

(昭和26年Ⅱ卒 ベル電話研究所勤務)

<12号 昭43(1968)>

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