【19号】アメリカ惚けの記/山田尚勇
大学を出て一年程で渡米し、大学院生を6年、産業界で6年、大学教授として6年の、都合18年をアメリカに送って帰り、理学部に奉職する私にとって、もともとが台湾育ちの身だけに、 日本という国は不思議に見えて仕方がない。それで、本人は生真面目に事実を述べている積もりなのだが、いつの間にか「奇想な事を歯に衣着せずに言う男」とされてしまった様で、今年の幹事に狙われたのもそんな所なのかなとつい勘繰ってしまう。それでも、帰国後3年も経てば言う事もそんなには「アメション」の裏返しでもなかろうと、随想欄の執筆を引受けたりするので、やはり評判の正しさを裏付けするに破目なる。
日本に暮していていつも感じるのは、個人の尊厳が全々確立していないという事が、 日常生活のあらゆる面に顔を出している事である。一事が万事という事を、これ程如実に表わしている例は少ないのではないかと思う。
日本の社会で独創性が評価されないのもその顕現の一端である。私がアメリカのある大会社の一研究所で、マネジャーをしていた時に知り得た事実であるが、その会社の造船部門であった話である。昔の貨物船はデッキが何層にもなっていて、貨物は何等かの形で梱包されてから荷積みされるのが常であった。第二次世が界大戦中に、ある「街のギリシア人」この造船部門に私信を送り、船倉を今で言う所vertical holdにして上から下まで通した小部屋に割り、例えば小麦の様なものはばら積みにして各種の効率を上げる事を提案した。その当時は未だ造船技術も、積荷の技術もそれを可能にしなかったので、その手紙はそのまま出し表に返された。しかし、戦後間もなくその技術が実現し、vertical holdの船が続々と造られるようになった時、彼の「街のギリシア人」は、そのアイデアの先取権を主張して裁判になった。会社は彼のそうした手紙を受け取った事がある事を認め、何百万ドルというアイデア料を支払った。
これは私が研究所の一マネジャーとしての特訓を受けた時に、個人から会社に寄せられた時にいかに対処するかという教育の一例として聞かされた話であったが、この話からは私は二重の感銘を受けた。 第一に、大会社が、何年も前に一個人からそうした私信を受取った事を潔く認めた事である。個人の尊厳に対する深い認識無くしては出来る事ではない。 第二に、簡単な私信に盛られた、時期尚早のアイデアに対して払われた莫大なる報酬の額である。個人の創造性に対する評価の高さは、やはり個人の尊厳と密接に結び付いている。この個人を信頼するという思想は、アメリカで一寸した公文書を作った経験のある者はよく知っている筈である。大抵の場合に、文書は簡単な書式で、記入の後で街のnotary public(公証人)の処で署名して印章を貰えばよい。この公証人の印章が保証して呉れるのは、本人が文書に記入した事項は事実である事を誓った、という事だけであって、仮りにその文書が全くの出たら目であったとしても、公証人には何の答も無い。その代り、公文書で虚偽を述べた本人に対する処罰は実に重い。何処かの国の様に、一寸したした事の為に、 どうせ読みもしない書類を山程作らせるくせに、虚偽の申告に対しても大したお咎めのないという制度は、個人の無視が極度の非能率と煩雑に繋がる結果となる一例であろう。
上に書いたギリシア人は孤立した例ではない。ベバトロンの先取権を主張してアメリカ政府から巨額の金を貰った、別の「狂気のギリシア人」の話は諸兄の御存知の事と思う。そんな実利に繁がる話でなく、もっと知識の為の知識、即ち情報というものの評価に於ても、彼我には懸崖の差がある。アメリカのある大会社の研究所で、ノーベル物理学賞を受けたロバート・オッベンハイマー教授に講演を依頼したのは10年一寸前の話であるが、約2時間半の講演と質疑応答に対する礼金が2500ドルで、今の価値にすれば少なくとも百万円にはなろう。同じノーベル物理学賞受賞の江崎礼於奈博士に講演を依頼した日本の会社が、いくらお礼をしたのか、諸兄とて、意地悪でなくても聞いてみたくならないだろうか。
そんな具合だから、有形の物に関しての情報にはまだしも、無形の物に関する情報の価値の判断の実力がなかなか付かない。今仮りに何か簡単なオモチャを作った人が、そのオモチャについて書いた文を、機械とか電気の学会雑誌に論文として投稿したらどうだろうか。勿論相手にされないだろう。しかし、事がコンヒュータのソフトウェアとなると、少し話が違って来ないだろうか。諸外国で立派に実用になっているプログラムの、小さい小さい真似をして、従って速度その他でもオモチャとしか思えない様なものが、一人前の顔をして居ないだろうか。
独創力とか知識とかが尊重される例として、アメリカの大学の教授のコンサルティングの事を少し書いてみよう。私の教えていた大学の工学部の例であるが、第一に、教授は産業界に於てコンサルタントとして週に一日働く事を奨励される。それは、少なくとも工学部の先生は現実の問題に接触なしには机上の空論におちいるからである。(勿論学部長とか主任教授等は仕事が多いので、コンサルティングはあまりしない人が多い)週休2日であるので、後4日は大学に来る事を要求される。また、他大学での授業担当は(原則として)禁止されている。従って学生は充分教授との接触は出来る。さて、報酬であるが、大学の申し合わせとして、一日のコンサルタント料は大学の年俸の1%以上となっている。これは少なくとも一日200ドル位になるが、私の同僚の父は某州立大学の化学の主任教授で、一日のコンサルタント料が1500ドルとの事であった。こうした額はアメリカとしても少ない高ではない。従って、 日本に於ける名目だけの顧間などと異なり、会社は大体一年契約で、毎年の更新には部長クラスの決裁を必要とする。これは権限の分散しているアメリカの組織では重要項目に入り、従って、コンサルタントが本当に会社に知的貢献をしたかどうかの厳しい評価が更新の前提となる。だから、どこからもコンサルタントとして口の懸って来ない教授はその鼎の軽重を問われる事にもなる。
大学教授は只で使えると思っているどこかの国の政府や産業界は、結局は国民に安物買いの銭失いを強いている事にならないだろうか、自動車排ガス規制をめぐる中公審の節操の無さを見るにつけ、実に不思妻な国だと思う。
(昭和28年卒 東京大学理学部情報科学研究施設教授)
<19号 昭50(1975)>