【16号】成長ゼロの社会/小林宏治

昨年9月、ニューヨークの郊外で第2回イノベーション国際会議が開かれ、それに参加した。日本から私、アメリカからは、ハドソン研究所のハーマン・カーン氏、ベル研究所のモートン博士、RCAのヒリアー博士、ヨーロッパからフィリップスのラティノー博士など、著名人がおよそ40人ほど集まり、イノベーションについて討論した。

その時のテーマは、”クライシス・オブ・コーポレイト・アイデンティテイ”、つまり企業は一体どうあるべきかというものであったが、このパネル討議の一つで、ゼロ・グロース(経済成長ゼロ)の社会が考えられるだろうかということが話題になった。

その場では考えられるという結論になったが、私も、日本は100年以上前に成長ゼロの社会を持ったことがある、徳川時代250年間の社会がそれで、国外との出入りを禁じ、人口を三千万人に制限して平和なゼロ・グロースの社会を造った、という話をして参会者の関心を集めた。

ひるがえって歴史を顧みると、戦いに明け暮れた戦国時代に倦み疲れて国民の中に平和を求める声が強まり、天下泰平の徳川時代が生まれたのではないかと思う。三代将軍家光の時には、おそらくその平和をできるだけ永く維持するために、国を閉ざして外国へ出ていかず、代りに外からも入れない、また身分制度を採り入れるという閉鎖的政策をとったのであろう。これが全く奇跡とも言える250年の平和な社会を出現させた。

しかしこの間、日本人のバイタリティは内に閉じ込められてしまった。戦国時代には国の中は乱れていたが、なお国外との交渉があった。外国からは、ボルトガル人などの宣教師が訪ねてきたし、日本人も中国の沿岸で貿易を行ない、時には倭寇という海賊の姿にもなった。また中には、山田長政のように海外進出して、シャムにコロニーを作った者もいる。外に出る、外も受け入れるという空気があったわけである。徳川時代は、鎖国によりこれを閉ざすという代償を払って、平和なゼロ・グロースの社会を築き上げたのであろう。

ところが、これも250年立つと、外からの圧力により保持が困難になり、また一つには国民がそういう社会に倦み疲れて、国を開くべしということになった。明治維新である。いったん国が開かれると、外敵に侵略されては困る、逆に外国へ出て行かねばならないということになる。ここに250年間圧縮されていた民族のエネルギーが爆発するように噴出した。明治維新の先覚者が富国強兵を唱えたのも、そうせざるを得なかったからであろう。その後、日清、日露の両戦争を経て第一次世界大戦にも参戦し、我が国の文明開化は富国強兵と共に進んだ。そしてこれは、第二次世界大戦に捲き込まれるに及んで行き過ぎを露呈し、気が付いた時には全てが灰になっていた。それでも再び立ち上がろうという力は僅かに残されていた。これを頼りに戦後25年間に驚異的な経済復興をなしとげたわけである。

こうして明治維新から100年後、未曾有の経済繁栄を見出しているのが今日であるが、果して現状は満足のいく状態であろうか。

端的に言えば、現在の日本は世界中から、エコノミック・アニマルとしてひんしゅくをかっている。日本だけが高度成長を続ければ、いずれ問題の生ずることが分っていながら、外国、特にアメリカから非難されて愕然としている姿である。明治の先達が描いていた社会に波瀾を経て到達してみると、必ずしも良い社会とは言えない、今後日本は一体どこへ行けばよいのか、という問題に直面しているわけである。これは深刻に考えねばならぬ問題であり、子孫のためにも新しい道を見つけ出さなければならない。

そこで、私ども企業にある者としては、企業はどうあるべきか、つまり“社会の期待する企業像“とはどういうものかを探すことに努めている。昔の自由経済のように、企業は利益を上げればよいということでは済まされなくなっている。

むろんこれは簡単に答えが出てくるものではない。私自身は、経済同友会で経営方策審議会の委員長として一昨年から模索を続けているが、取り組むほどにますます難しさを感じている。

時には徳川時代のゼロ・グロースの社会に思いを至し、経済成長と社会について思索を廻らしている昨今である。

(昭和4年卒 日本電気(株)社長)

<16号 昭47(1972)>

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