【18号】イランの事情/松木昭
にわかに高まったエネルギー危機の中で、イランという国の名は、日本の方々にもすでにおなじみのものと思います。どんな所か、色々と情報はえられるが、そこに住んでいる人間の話も聞いてみよう、というのが幹事の御意向かと思います。
イラン王国は、面積165万平方粁(日本の約4.5倍)人口約3000万人、北部カスピ海寄りにアルボルス山脈が東西に、西部国境寄りにザクロス山脈が南北に走り、国土は、これら山岳地帯、カスピ海沿岸、中央高原、ベルシャ湾沿岸に大別されます。
カスピ海沿岸は、緑豊かな穀倉地帯で、オレンジ・茶・水稲の田畑が続き、わらぶき屋根の農家も見えて、穏やかな日本の田園風景さながら、首都テヘランからは、山脈をこえて車で約4時間、夏季には海水浴客でにぎわい、むし暑さも格別、 日本を思い出すには最良の所です。カスピ海は蝶鮫の生息地としても知られ、港にはイランの軍艦やソ連の貨物船が係留されています。
中央高原は砂漠地帯で、遠近の山々には一木もなく、奇怪な山容は異様な威圧感をもって迫ります。時に、遠く塩湖を望んだり、羊の群を見たりしながら、道路は赤茶けた砂礫の平原に、真すぐに果てしなく続きます。
ベルシャ湾沿岸は、亜熱帯性で、港には大型外航貨物船が着き、古い船着場は、シンドバッドを思わせるような、アラビヤ風の漁船や船員達でざわめいています。
国民の98%がイスラム教徒で、シーエ派に属し、黒いマスクとチャドールで顔をかくした婦人を見る地方もありますが、一般的には、実生活面での宗教の影響は、速かに後退しつつあるとみてよいでしょう。
テヘランは東京とほぼ同緯度、アルボルズ山脈南麓、海抜1200米の斜面にあり、人口約340万人。夏暑く冬寒い気候ですが、春から秋までほとんど晴天続きで湿度が低く、真夏でも日蔭ではさして暑さを感じません。冬季は雪が降って湿度が上り、風がないので寒さが緩和されます。茂ったすずかけの並木の下は、 トップモードの人々でにぎわい、自動車は街々にあふれています。あちこちで建築工事が盛んに行なわれ、次々と入居して行きます。大学出の初任給は、ばらつきがありますが、私のいるセンターで10万円程度、民間や地方都市ではずっと高くなります。日本のバーのような酒場、食事とショーを楽しむカバレ、映画館、バレーや音楽のホール、ゴルフ、ボーリング、水泳、スケート、近郊には非常に雄大なスロープに空中ケーブルを備えたスキー場があります。アパートは冷暖房つきで、暴風雨も地震もありません。
パーラビ王朝、第2代の現国王は、1941年即位、1949年以事逐次経済計画を進め、一方1963年には、農地改革等12項目の白色革命を提唱、鋭意近代化につとめています。今年度は、1978年に終る第5次計画の初年度に当り、総投資額約360億ドルで、GNPを年平均15.3%、 1人当り481ドルから851ドルヘと増加させる計画です。国際収支計画では、石油・ガス収入が経常受取りの78%、財政計画では歳入の約47を占め、他に対イラン投資・借款があります。近頃の情勢からみて、この比率がさらに高まることは想像に難くありません。
増加する石油収入の使途として、初中等教育を無料とし、1/2ℓミルクとクッキーを与え、教育TVに国内衛星を使用する。カナグから原子力発電所を購入する。これは今年2月24日付英字新聞の記事ですが、このような話題が連日紙面を飾ります。遠くペルシャ帝国の栄光をかりずとも、誇りが高くなるのも無理はありません。
強いて彼等に欠けるものがあるとすれば、それは技術です。先の5か年計画にも、現在いる外国人をイラン人に切り換えて行く方針が明記され、意気込みの程が伺われます。全体としてみれば、GNPはまだ低く、石油資源の枯渇に備えて手を打っておくことは当然の施策です。しかし、当分は安泰である強みが、かえって障害になる心配はないでしようか。知識層は、すでに石油の恩恵を受けており、欲しいものは輸入できます。
技術は、生活の必要から生れ、体験的なものをメンタルなものへと帰納させたものでしょう。これを逆の手順で行うことは、工業国でも未経験の分野ではないでしょうか。
人生観に優劣をつけることはできません。押しつけはいけない。相手の真に欲するものを与えよ。これが国際協力の原則です。欲しいものが物であれば問題は少ないでしよう。しかし、技術となると、単なる知識をこえた、行動を伴う精神活動のパターンの問題です。同じ技術という言葉を使っても、異なるパターンの間では認識は異なり、初めから噛み合わないところが出てきます。彼等も日本人も、おかれた環境からそれぞれのパターンを作った。結果として、日本人は技術を持ち、彼等は持っていない。彼等のパターンは、それ自体価値あるものであるにしても、私達の技術とは異質のものです。他人の精神活動に干渉し、是認されてきたものを排除して、なじまぬものを据えることは、特に異国民の間ではきわめて微妙な問題です。これを避けて手際よく伝える方法はないか、模索を繰り返していますが、いつも同じ所に戻ってしまいます。日頃の接触によって何等かの共感を持ち、何とか共通の場を作って行くより、 よい方法が今の所みつかりません これは、特に初期においては効果の測定は不可能に近く、無為の言い換えにすぎないととられなくもありません。当事者としては、忍び難いことです。
現在の恵まれた条件を、どの程度の歩どまりでマンパワーに変換できるか。これがこの国の将来をきめる鍵になるでしよう。ひるがえって、日本には資源がありません。
資源が無かったから今の日本ができたと考えることもできます。日本が人的能力の開発に全力を傾けるなら、資源・汚染等の袋小路を抜け、新しい道を開くことは不可能でないでしよう。その道はまた、世界の進むべき将来を示す道となるのではないでしようか。
(昭和30年卒 日本電信電話公社海外連絡室)
<18号 昭49(1974)>