【2号】質と量/瀬藤象二
昨年ソ連が長距離誘導弾と人工衛星の打上げに成功したことに端を発して、米国があわて出し、わが国でも科学技術を画期的に発展させなければならないという議論が、平生あまりこの方に熱心でなかった政治家諸君の間にも行われるようになった。而してそのためには科学技術教育を積極的に推進すべきであるとの意見も活発に交わされている。もっと早くからこの様なことに熱心であるべきであったのだが、今からでも遅くない。
大いに議論し、その結果を実施に移すべきであると思う。科学技術教育の振興には小学校から大学までバランスのとれた体勢を整えなくては真に効果を挙げられないが、茲では大学の場合を取り上げて見たい。
別行支部省調査局が出した統計によると、大正年間から昭29年迄に大学を卒業した者の総計は下表の通りになる。
法律政治 | 128,328 |
経済商学 | 192,411 |
文 学 | 70,99 |
学芸体育 | 15,851 |
理 学 | 22,43 |
工 学 | 87,64 |
農畜水 | 29,302 |
医学歯学 | 62,66 |
其の他 | 2,053 |
総 計 | 611,686 |
上表の工学の内、電気、通信を修めた者は通信を修めた者は19,237となっている。
東京大学工学部電気工学科の卒業者は、昭和31年迄で約2,450人(その内死亡者約450人)で大体全国の電気の卒業者の10%位に当ると考えられる。この表で眼につくことは、法文経の学問を修めた者が合計して39万人以上となり全数の64%弱に当ることであり、叉この趨勢は終戦後の学制改革、大学学部設置の情況から益々激化されて行く傾向にある。
一方大学卒業者の新規需要は今後どうなって行くであろうか。この問題について、私は嘗って東大在職中産業界の志を同じくする諸君と共同して当時の経済安定本部の岡田一郎君を煩わしSampling調査によって或る程度の推定をしたことがあるが、本務多忙のために結論まで到達しなかった。併しその時の調査方針と同様の考の下に文部省調査局が約3年間の調査の結果、昨年3月一応の結論を出した。この考え方は、経済5ヶ年計画に基づく産業の発展を一応の目標として、雇用拡大による新規需要と、減耗補充のための新規需要とを算定し、昭和30年から35年迄の卒業者推定数と比較してある。その結果を要約して示すと次表の通りである。
新規需要数 | 卒業者数 | 過不足数 | |
法文経 | 305,800 | 422,600 | 116,800 |
教 育 | 114,000 | 145,600 | 31,600 |
理 学 | 15,900 | 15,100 | -800 |
工 学 | 107,800 | 84,700 | -23,100 |
農 学 | 26,600 | 31,000 | 4,400 |
医 学 | 56,000 | 40,300 | -15,700 |
家 政 その他 |
22,800 | 73,900 | 51,100 |
計 | 648,900 | 813,200 | 164,300 |
勿論この種の推算には多くの仮定をしているので正確を期し難いのであるが、法文経の卒業者が過剰となり、工学の卒業者が不足するという形勢は動かし難いと思う。しかもこの推算の過程において、わが国の工業技術の外国依存度を速やかに減じて自主性を高めるための研究、開発、そのための要員というような考え方は取り入れていないことなど、わが国の産業界の体質改善的な面を考えると更に多くの工学修了者を必要とするであろう。
われわれ電気出身の大学卒業者約3万人そこそこの者が中核となって、わが国の電気百般、大は巨大な発電所から極微の電気応用までを受け持って、国民全体に電気の便益を遺漏なきまでに行き渡らせる大責任を負わねばならないのであって、このためには人数で表わした量もさることながら、その量と個人個人の質との相乗積が結局たよりになる目安と思う。質の問題は新制度実施以来約10年になるが、まだまだ改善の余地があり、量の問題にのみ関心を寄せては国家百年の大計を誤ることになるが、又一方質の向上だけを取り上げて量の問題特に法文経過剰、理科殊に工学系の過少をそのままに放置して長い期間無計画に過ぎて来たことに対して、ここで反省する必要を痛感する。量が不足すると大学卒業者に限らず一般に稀少価値の上に眠って奮発心を振い起たせる作用が欠けて来る。今はむしろ、各人が1人前以上に働いて不足分を補うべき時であろう。
<2号 昭33(1958)>