【25号】定年を迎えるに当たって/柳井久義

私もこの3月で定年退官する事になりました。考えてみますと昭和17年9月半年短縮で大学を卒業し、直ちに講師として奉職してから既に38年半という歳月が経ちました。私としてはついこの間のようにも感じますが、履々申します通り38年前というのは、我々の学生時代とすれば日露戦争に当る訳で、私も年をとったものだと思う半面、この年月は大変長いものだったという実感をしみじみ味わっている昨今であります。この間大した事も出来ませんでしたが、研究・教育に充実した日々を送り、ある程度の業績を残す事が出来たと思えますのも、私を育てて頂いた先生方を始め多くの先輩、友人、後輩の方々の厚い御指導御鞭撻と御援助御協力の賜でありまして、心から感謝致しているところであります。

私は徴兵検査が第一乙でありましたから、卒業後直ちに軍務という訳で、講師とは名許り、卒業翌日には入営し20日間の初年兵の後、幸い航技候補生に合格して4か月の訓練の後、短期現役の陸軍技術中尉に任官しました。陸軍では主として多摩研でマイクロ波のPPIレーダの研究開発に従事したのですが、何も知らない卒業したての青二歳が中尉という肩書でこれをやるというのですから、今から考えるとよく出来たものだと思います。幸い上可の御取計らいで東大の阪本先生に委託研究を出し、その連絡将校を仰せつかりましたことと、海軍の技研に岡村先生が居られ、何かと御教示御協力頂けたのは大変助かりました。この研究は戦争には間に合いませんでしたが、これに鉱石検波器が必要でこれを開発し、それを使った直接検波のレーダの逆探知器を作りました。これは実戦にも役立ち多摩研所長の賞状を頂くこととなりましたが、これが私の戦争に直接役立った唯一のものであります。昭和30年以後私の仕事の主流となったのは半導体関係ですが、その頃の私としましてはこれは夢想だにしなかった事でありました。

戦争が終り大学に帰りましてからは、誘電特性測定,マイクロ回路素子とそれらの測定法の研究等超高周波領域の研究を、戦後の悪環境の中でも楽しくさせて頂きました。今から考えると半田ゴテを振り廻してブリキ細工をし、いろいろなIdeaを出したり名人芸を駆使したりしたことが楽しく思い出されます。十年一昔と申しますが、10年もすると何とかなるもので、当時大学院生の浜崎先生の開発された誘導M型ろ波器が通信学会論文賞になったり、職員の田幸さんの高安定周波数空胴共振器が実用になったり致しました。

昭和29年から30年にかけて、 A.v.Humboldt財団の奨学生として当時珍しかった西独に留学しました。元来私は日本語も含めて語学は苦手で、理屈に合わない事の多い英語より独語のほうがましたろうと、高校では理乙で勉強しました。そのせいだけで西独に留学したのでもなかったのですが、この1年間の留学は私にとって、その後の活動の幅を広げる大きな転機になったと思って居ります。西独ではMünchen工大に留学したのですが、 当時は日本人は珍しく学生生活、研究生活と共に多くの知人を得、その生活の中で溶け込むことが出来ました。

その後昭和36年より半導停デバイスでlECに関係するようになり、殆ど毎年海外に出かける事となり、又我々の仕事も国際性を増して昭和40年代に入ってからは海外での学会発表、学界業界との交流、海外研究者の招聘、来学等が加速度的に増加して参りました。 先般整理してみましたら出張回数27回、その間訪問、交流等で関係した機関180以上にもなって居りました。若い頃には海外に出かけるのは一生に一、二度位であろうし、西独は留学した頃にはこれでもう当分は外国に行く事はなかろうくらいに考えていました。そんな様子ですから語学にも熱が入らず、後になって後悔しても既に手遅れで、今になって大いに困っているような次第です。

昭和30年代に入ってからはトランジスタからICと半導体デバイスの研究・教育に携わって参りましたが、周波数の高いほうからは抜け切れず、常に超高周演・超高速を指向して45年頃からはレーザー等光のほうまで手を拡げ、世の中の進歩と共に大変楽しく仕事をさせて頂きました。沢山の学界、業界の方々、殊に直接御協力頂いた後輩諸氏の御陰で、昭和45年頃には通信学会より論文賞、功績賞を頂く栄に浴し、又ドイツよりは41年、51年の2回に亘り、客員教授として招かれ家内と共に3か月ずつ過しました事も楽しい思い出となって居ります。殊にGaAsデバィスの関係では世界的に活露する機会に恵まれ、屡々講演をさせられましたが、昨年WienのInt’l GaAs SymposiumでHolonyak、Hilsum両先生に続いて、GaAs Sylnposium Awardを受けましたことは定年を控えて感激致しているところであります。その糸口にもなったと思われますMünchen工大留学の指導教官Prof. Meinkeが受賞直前御亡くなりになり、その訃報をWienで聞いた時には、会議が済んだら御報告旁々御見舞に上ろうと考えて居た矢先で誠に残念でした。

私の過しましたこの38年有余はいろいろな事はありましたが、自分も社会もその将来の目標がはっきりし、進歩・繁栄の道を歩んだ大変恵まれた時代であったと思います。私と致しましてはここで新に大学を卒業し、新しい社会へ再び踏み出す訳でありますが、我国としても、世界的にも、又我々の関係する学問・技術の分野でも新しい大きな転換期に立っていると存じます。幸いお陰様で猶健康でもありますので、心身の許します限り若い方々と共に将来を見て新しい変革の時代の礎になって参りたいと存じて居ります 今後共いろいろ御世話になる事も多いと存じますが、同窓会の皆様にも何卒宜しくお願い申し上げます。

(昭和17年9月卒 東京大学電子工学科教授)

<25号 昭56(1981)>

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