【11号】うちあけ話/古賀逸策

先日、編集担当者から本誌に寄稿するように との注文があったので、なぜ筆者にそのような 相談を持込むのかを質問したら、 日本人が国際 電波科学連合(*)の会長を務めたなどは、 比較的 珍しい例であるから、それに因んだ、何か面白 い話題を持合せているだろうからだという答で あった。そういわれて見ると、確かに紹介に値 する点はいろいろある。たとえば、理事会とで もいうべきMeeting of the Boardや、参加 国の国内委員会委員長の会合(Executive Committee Meeting)、 総会のプログラム編成 等を協議するCoordinating Committee等を司 会して見て、先ず第一に感じたことは、会議を 運ぶ上では、 日本でふだん我々仲間がやってい る会合に比較すると、むしろやり易かったこと である。それは出席者のすべてが筆者の予想以 上に秩序を保つ上の注意を払ってくれたためで ある。日本ではとかく起り勝ちな、脱線の心配 が殆んどないことや、発言は議長の承認を得た 上でしかしない点などは、大いに学ばなければ ならない点だと思った。しかし、その様なこと をくだくだしくならべるよりは、 ここでは、筆 者がこの国際電波科学連合の会長になったいき さつの、うちあけ話をした方がよいかと思う。

話は大分古くなるが、今から約10年前、わ が国でも、世界地球観測年(1957-58)に備えて、 関係学会の活動が盛んになった頃、米国から数 名の有力な学者が来日し、その情況を実地に見 聞した結果、近い将来に日本で国際電波科学連 合の総会を催し、 日本の実情を知らない諸外国 の学者達に、正しい認識を与える必要があると 考えた様子である。

このことがあって間もない1957年、 米国 Colorado州のBoulderで、URSIの第12回 の総会が催されるについて、米国ではこの総会 を盛大にする一つの方法として、参加各国に、 もし総会の前後に、米国内の大学や研究所で、 講義や講演をするとか、あるいは、ある期間、 研究に参加するとかいう意向の人があったら、 その旨連絡してもらえば、米国側から渡米の便 宜を与えたいと考えているから、希望者を知ら せて欲しいという連絡があった

日本側の事情では、いつものことながら、 1 人位は国費で派遣してもらえるだろうが、 2人 迄認めてもらえるかどうかは、危いという、誠 に心細い状態であったので、上述のような棚か らボタ餅の様な話には、希望者が相当多数現れ たことはいう迄もない。しかし、一体何人位ま では、その様な便宜を与えてもらえるのか、皆 目見当がつかなかった。結局種々協議の結果、 日本国内委員会としては、候補者十数人を選定 し、これに順位をつけて、その順に先方が考え ている人数だけ便宜を与えてもらいたいと申し 出た。ところが驚いたことには、申し出た全 員を招待するという返事であった。而もこれら の人々は、渡航の際、米国の軍用旅客機で将校 として待遇され、発着の際は係員が見送り出迎 えをするという、中々丁寧な扱いをされ、総会 現地でも、宿泊する部屋には個室が割当てられ るという有様、これに引きかえ、国費や私費で 行った者は、数名があい部屋という始末であっ た。当時、 日本国内委員会の委員長を引受けて いた筆者は、いわば大勢の居候達の世話人の様 なもので、この米国側の好意には、感謝しつつ も、心ひそかに肩身のせまい思いをしていた。 ところが執行委員会などの席で、米国の地元側 からは、 日本は遠く離れているにも拘らず、非 常に協力的で、大勢の人を派遣してくれたと感 謝され、全くとまどう始末であった。

やがて次の総会の開催地を決定する相談が始 まったとき、3年後の1960年にはロンドンで 開催することが正式に決定されたが、序にその 次の1963年の総会を日本で引受けてもらえな いだろうかという話が有力になった。筆者は、 この問題は、未だ国内で全然検討していないこ とであるから、帰国後その実現に努力はする が、今、確定的な招請をすることはできない 旨を卒直に答えた。このことがあってから数日 後、会長(任期は総会の終りから次の総会の終 りまで)と、副会長(4名で、任期は、次の又 その次の総会の終り迄)の半数の任期満了に伴 なう改選が行なわれたとき、筆者は副会長に最 高点で当選した。これはいう迄もなく、参加各国 が1963年に日本での開催を熱心に希望している 旨の意志表示と見るべきものであった。

爾来、6年後の東京総会まで、 日本では電波 科学の関係者は勿論、事業界、産業界の絶大な 支援を得た甲斐あって、準備は万端ととのい、 1963年9月、第14回総会は中々の好評裡に終 了したこれは欧米各国からの参加者の多くが、 日本へ始めて来たもの珍しきもあったと思う が、その上に、彼等の予想を遥かに上まわる日本 の進歩、活動の実態に接して、大いに認識を新 たにしたばかりでなく、会期中あらゆる面で、 心からの世話になったことに対する感激にもよ るものと思う。

このようなことが、東京総会での次期会長選 挙に相当反映したのではないかと思う。という のは、筆者以外の者を候補者として推薦した参 加国は一つもなく、従って決戦投票も省略して 簡単に決定してしまった。

こんな訳で筆者は、とんだ風の吹きまわしで 50余年の歴史を持ち、国際的にも重きをなし ている国際電波科学連合の会長をつとめること になった次第である。任期中、いろいろ面倒な ことも、あるにはあったが、幸い昨年秋ミュン ヘンで第15回総会が終ると同時に、筆者の任 期も終って、今は前会長として、Boardに残り、 現会長の補佐役のような立場になったので、気 持も非常に楽になったことを喜んでいる。

最後につけ加えたいことは、筆者を会長候補 として推薦したのは、日本以外の国ばかりであ ったことである。これは筆者のごとき者が会長に 推される可能性があろうなどとは、日本国内で は誰も予期していなかったからでもある。従っ てまた、選挙運動がましい動きも全然なかった ことは、誠に有難いことであった。総会直前 に、外国の数人の有力者から、「実は自分たち は、それとなく日本の数人の人に、次の会長の問 題をどう考えて居るかと聞いて見たが、全然あ なたの名前を挙げる人がなかった。ついてはあ なたが会長になった場合、何か国内的事情で、 立場上困るようなことはないでしょうね」と駄 目を押された位であった。以上の様な次第で、 筆者の会長就任は、 どうヒイキ目に見ても、筆 者の力量によるものではなかったことを白状し ておく。

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(*)URSIと略称。仏文名I’Union Radio-Sdentinque Internationale、英文名International Scientinc Radio Union

<11号 昭42(1967)>

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