近頃は、年末恒例の「お年玉つき年賀はがき」の売れ行きもめっきり減ったと度々報道されていますが、その原因のひとつは、Eメールやスマフォでのやり取りが増えたからなのでしょうか。それとも、「新年の挨拶」を交わすという習慣そのものが廃れてきたことが原因なのでしょうか。
しかし、それとは別に、僕の身辺では、もうだいぶ前から、「今年をもって年賀状を終りにします」という友人が増えてきました。皆さん高齢化して年賀状を書くのもだんだんしんどくなってきたので、ついに、今年あたりで止めにしようと決心したのだなあと思っていましたが、考えてみれば、今ではパソコンを使って年賀状の表も裏も簡単に印刷できるのですから、そんなに億劫がることもない、よい時代なのかも知れません。しかし、なかには、そのパソコン操作さえ不慣れな人もいますから、いまの時代は人さまざまだと思います。
とはいえ、年賀状書きは、日頃ご無沙汰している旧知の親友などに、年に一度の連絡を取るチャンスと思えば、楽しいことでもあります。実際、暑中見舞いなど、四季折々の挨拶を交わす日本人の文化は素晴らしいと思うのですが、昔、年寄りから、年賀状には余計なことをぐだぐだ書くものではない、年始の挨拶だけにしろ、と注意されたことがありました。それでも、やっぱり、相手の顔を思い浮かべながら、賀状の余白に小さな字で、ちょこちょこと近況報告や、昔の懐かしい思い出などを書き込むのも楽しみのひとつですが、その一文を書き添えようとして、はて、と考え、悩んだりして、年賀状書きが遅々として進まず、ということにもなり、だから、年末の年賀状書きは嫌なのだ、と変なところに結論が行ってしまうのも、また、歳のせいかも知れません。
とにかく、こうして、年賀状を終りにしますと言ってきた人に、こちらから無神経に賀状を出せば、先方の負担になるばかりだろうから、こちらも年賀状を遠慮することになり、年々、年賀状の数も減ってきました。そして、ついに、自分自身も、もういいではないか、年賀状はやめようと思うようになり、先輩諸兄にならって、数年前から年賀状の店仕舞いを始めましたが、どうやら今年あたりで閉店完了となりそうです。
ところで、「蛇足」ですが、今年をもって、もうひとつ閉店することを決めました。それは、毎月、ブログに投降していた「リトアニア史余談」です。あの余談は2012年4月から書き始め、ほぼ毎月1本のペースで投稿してきましたので、2022年3月で、ちょうど満10年になります。したがって、余談はこの3月で120話になるはずですが、途中で少しペースを上げたことがあったので、2022年3月の余談は122番目になりますが、とにかく、満10年を良い区切りとして、3月16日の投稿を最後に「余談」は終りにします。
すでに、1月、2月、3月分の原稿は出来上がっていますので、余談の仕事は自分の中では既に閉店完了なのです。来年は、「余談」を書くことに使っていた時間を、また、何か新しいことに振り向けられれば幸いと思っています。
(2021年末 記)
すでに、1月、2月、3月分の原稿は出来上がっていますので、余談の仕事は自分の中では既に閉店完了なのです。来年は、「余談」を書くことに使っていた時間を、また、何か新しいことに振り向けられれば幸いと思っています。
(2021年末 記)