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沢辺レポート

近頃思うこと(その46)/沢辺 栄一

   「山高きが故に貴からず。樹有るを以って貴しとす。」「人肥たるが故に貴からず。智有るを以って貴しとす。」という言葉を知り、書いてある「実語教」とそれと関連の有る「童子教」に興味を持ち読んでみた。
  このタイトルからは「実語教」のほうが高学年向きと思っていたが、「実語教」が低学年向けで「童子教」の方が高学年向きの内容になっている。「実語教」は平安時代の末期に、「童子教」は鎌倉末期にそれぞれ出来、両者とも作者不明で、その時代から江戸時代まで約千年の子供の教科書として読み続けられてきた。特に江戸時代には広く寺子屋でみっちりと読され、頭にたたきこまれた。人間社会における礼儀、道徳等の基本、勉学を進める智の重要性を教えており、江戸時代の平和な時代を作り上げるのに著しく貢献したと考えられる。西洋では聖書の中で人の道を教えているが、「実語教」「童子教」のような児童用の道徳の教科書は無いように思い、日本の名も無き先人の素晴らしさに感心している。
  福沢諭吉の「学問のすすめ」は「実語教」を下敷きに書かれており、二宮尊徳も「実語教」「童子教」を学んでいる。日本を発展させた明治に活躍した人間は皆江戸時代の教育を受けた人間である。西洋文明の嵐に見舞われて、「実語教」「童子教」は正式な小学校、幼稚園児童の教科書として採用しなかったのは、明治時代の教育者が西洋文明に眼を奪われ、伝統の有る日本文化を軽視し、日本文化、教育の良さを評価できない人間であった結果と思う。
  明治天皇が日本の歴史的な教えに基づき、仁義忠孝を明らかにし、道徳の授業は儒教によるものとすることをお示しになられたことを受けて、明治23年になって井上毅、元田永ざね等によって教育勅語が作成された。これがその後の道徳の基本となり、学校での各種の式には必ず読まれて我々の行動の指針となった。戦後は戦争に関係あるとされ、教育勅語は読まれなくなった。教育勅語を知っている人間が教育、指導している間はまだある程度道徳が守られ、教えられていたが、現在はそのような人間が高齢になり、学校で道徳を教えられない人間が多くなり、人間生活における規律が無くなり、凶悪な犯罪が多くなっているように感じている。
  このような状態に対処するため、学校で道徳の授業を採用することが伝わってきているが、古来から伝えられている「実語教」「童子教」を現代の言葉、内容に改め、幼稚園、小学低学年に徹底的に暗唱、記憶させることを行ない、人間社会での行動、思考の基本を身体に埋め込ませる必要があるのではないかと考えるこの頃である。
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近頃思うこと(その45)/沢辺 栄一

  前回のブログでオリンピック委員会(IOC)の気配りの無さを指摘したが、その後、暑さ対策の対応についても気配りの無さを露呈した。
  IOCは9月に高温と高湿度の中でのカタールのドーハで実施された陸上世界選手権の女子マラソンと競歩で、参加選手の約40%が棄権したので、あわてて東京オリンピックのマラソンと競歩を札幌に移転した。関係都市の東京、札幌に何の相談も無く、一方的に理事会の決定だとして伝達してきた。

  これまで各種の暑さ対策等に数百億円を掛けてきた東京都が怒るのは当然であり、札幌市でのマラソンの資金を都民の税金を出すことを拒否している。これまで掛けた費用の賠償を要求するとしている。また、マラソン見物に期待を掛けているコース周辺の住民やチケット購入者の不満、途惑い、突然押し付けられた札幌市のマラソンへの準備対応とその資金の捻出の課題等々色々な問題を招いている。

  オリンピック委員会はオリンピックを遣らせてやるのだと一段上の立場からトップダウン的に開催都市を軽視した発言をしている。一般に欧米人はトップダウンで決定することが多いように思うが、トップダウンは発言者に能力があり、発言を受けた立場の人が従順で、比較的能力が低い場合には効果的である。オリンピック委員会の委員はスポーツの専門家であり、スポーツ以外には比較的目が届かない狭い視野の人達で、影響を受ける人達への気配りをしない目先の決定をしたのであろう。日本人は一般的に能力がある人が多く、ものを決める場合に根回し、下相談等、事前に関係者の了解を得る行為を行い、その際、良い考えがあれば、それをピックアップすることも行なっており、その後の関係も滑らかに進めていくことができるよう配慮している。

  オリンピック委員会の今回のマラソン競技の札幌市への移転の決定は選手の暑さ対策による変更であるとは言え、もう少し遣り方があったのではないだろうか。上記のように、各種の問題を残しており、今後の成り行きを注目していきたいと思っているところである。

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近頃思うこと(その44)/沢辺 栄一

 1964年(昭和39年)の東京オリンピックは晴天に恵まれた10月10日に開会式が挙行された。
 そのオリンピックでは私の造った長距離映像中継装置を用いて自衛隊の援助も受けて初めてマラソンの無中断中継を行なったこともあって、日本でオリンピックを開催する場合は10月であると思い込んでいた。

 数年前、次の東京オリンピックを2020年の夏に実施することがTVで発表された時直ぐに、馬鹿な決定をしたなと思った。JOC委員会はどうなっているのだろうとその判断に唖然とした。委員の中に一人も反対する委員は居なかったのだろうか、何故、東京の夏の暑さに関して選手、観客のことを配慮しなかったのであろうか。素人ながらその理由を推測すると、夏休みなのでボランティアが得られ易いとか、観客が多く来てくれるからであるとかと考えられるが、運営上の利益からの判断で決定したものであろう。

 話は飛ぶが、今年はアポロ11号により宇宙飛行士が1969721(日本時間)に月に着陸してから丁度50年になる。各要素の役割分担とそれぞれの要素を総合的にまた完全に上手くまとめ、ミスや抜け、見落としが無く、全体としての目的を達成するシステム工学により、300万個の部品、40万人の担当者を用いて成功したアポロ計画に驚嘆し、日本でもシステム工学やシステム的な考えが社会システムまでに及ぶ広い分野で採用され始めた。私自身もシステム工学の勉強をし、人間は局部的なことに目が奪われがちであるが、常に全体を最適化することを学んだ。

 システム的な考え方の発生期から50年近くも経過し、そのような考え方も衰えてきているのが現在であろう。オリンピック委員会の決定はこのシステム思考の欠如の結果であると思っている。昨年になって東京の暑さにやっと気が付き、マラソンのスタートを朝にすることにした。最近になって対策として考えられたマラソンコースの路面温度を下げるための遮熱性舗装を施工中であるが、赤外線を多く反射させる方法を取っているので、当然のことながら、表面の温度は10度下がったが、地表50cm、1mでは逆に温度が高くなった研究結果が出ているとのことである。マラソンには給水所を多く設置し、また、ポリ袋に砕いた氷を詰めた「かち割り氷」を用意するなど暑さ対策を講じている。今年8月初旬に行なわれたボート競技のテスト大会で日差しを遮るものが無いため観客が不満の声を上げた。ミストシャワー(噴霧器)が用意され、観客に冷却剤も配布されたが余り効果が無いとの報告である。大会組織委員会は屋根の無い部分に降雪機を置き、競技の合間に人工雪を降らすことを決めたとのことである。

 以上のようにちょっとしたシステム思考の不足、気配りの不足により、思わぬ対策を新たに講じなくては済まない状態になっている。いつも抜けの無いシステム思考が行なわれることを望んでいるが、それよりも今回の夏の実施決定により熱中症で死者が出なければと案じている。もし、選手、観客から一人でも死者が出たら間接的な殺人になるのでJOCの委員は全員総辞職し、他の公的職業にも就いてはならないのではないかと思っているところである。