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クラス会

クラス会開催案内

クラス会を2019年11月23日開催で

企画しており、詳細を個別メールにて、

皆さまにお知らせしております。


よろしくお願いします。


田中(幹事代表)、野口(1966IT担当、連絡係り)



以上

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武田レポート

リトアニア史余談93:クリミア遠征とサリーナス条約/武田 充司

 1398年夏、ヴィタウタス大公は前年に続いて再びドニエプル川下流の草原地帯に遠征した。このとき、ヴィタウタス率いるリトアニアの遠征軍はクリミア北部からさらに東へ進んでドン川下流域まで達した。そして、ドニエプル川の河口付近に城を築き、「聖ヨハネの城」と命名し、多くの捕虜をつれて意気揚々と引き揚げてきた(*1)。

 ドイツ騎士団とリトアニアとの関係は1394年秋のドイツ騎士団によるヴィルニュス包囲が失敗に終ってからも険悪で、いくつかの小競り合いが断続的に続いていた。しかし、当時、両陣営とも、それぞれ対処しなければならない問題を抱えていたから、内心では互いに休戦を望んでいた(*2)。
 そこで、1398年の春、ついにドイツ騎士団とリトアニアは、ガルディナス(*3)において休戦交渉のテーブルについた。その結果、先ず仮条約が結ばれ、6ヶ月間の休戦が合意された。そして、早急に平和条約を締結することになった。そこで、ヴィタウタスは平和条約の締結を待たずに、早速、キプチャク汗国の支配するキエフ南方の草原地帯に遠征したのだった。このとき既にドイツ騎士団とリトアニアは実質的な同盟関係にあったらしく、遠征軍がドニエプル川の河口付近に「聖ヨハネの城」を築いたのも、この遠征軍の中にドイツ騎士団の工兵隊が含まれていたからだと言われている(*4)。

 6ヶ月間の休戦期間が終ろうとする1398年9月、サリーナスとよばれていたニェムナス川の川中島で、リトアニアはドイツ騎士団と平和条約を締結した(*5)。リトアニア側からはヴィタウタス大公夫妻を筆頭にリトアニアの主だった貴族たちが出席し、幾人かのポーランドの貴族たちも列席していた。

 この条約によってネヴェジス川以西のジェマイチヤとシェシュペ川以西のスードゥヴィア地方の一部がドイツ騎士団領となり、長い間争われていた国境が画定された(*6)。そして、ドイツ騎士団とリトアニアの軍事同盟が成立し、1390年以来人質として最後までドイツ騎士団側にとどまっていたヴィタウタスの弟ジギマンタスと他のすべての人質が解放されてもどってきた。
 この条約は調印された場所の名をとって「サリーナス条約」とよばれているが、これはリトアニアにとって領土的譲歩と引き換えに安定した和平を手にしたものだった(*7)。一方、ドイツ騎士団総長コンラート・フォン・ユンギンゲンはこの結果に大いに満足したが、彼もまたリトアニアとの友好関係を確かなものにしようと努めていたのだ(*8)。しかし、この条約がポーランド王ヨガイラに断りなく締結されたことを両者とも気にかけていた。ところが、事後説明をうけたヨガイラはこの条約を認め、ヴィタウタスを支持した(*9)。

〔蛇足〕
(*1)この当時、キプチャク汗国はティムール朝の始祖ティムール(Timur / Tamerlane)の侵攻によって弱体化し、ティムールの傀儡政権に統治されるという混乱状態にあった。その結果、キエフ南方の草原地帯やクリミアは無防備状態に近かった。したがって、ヴィタウタスの遠征もこうした機会をとらえたものであった。なお、「トラカイのカライム人」はこのときヴィタウタスによって連れて来られた人たちであるという(「余談76:トラカイのカライム人」参照)。
(*2)ヴィタウタスはリトアニア大公として内政の刷新や、それまでリトアニアが支配していた東方のルーシ諸侯の地に対する権益の確保などで忙しかったが、ドイツ騎士団もリヴォニアのドルパット(Dorpat:現在のエストニアのタルトゥ)における不穏な動きに対処するためにリヴォニア騎士団の強化を迫られ、また、バルト海の海賊ヴィクチュアル・ブラザーズの討伐をスウェーデンのマルグレーテから頼まれたりしていて忙しかった。
(*3)ガルディナス(Gardinas)は現在のベラルーシの都市フロドナ。
(*4)「聖ヨハネの城」はニェムナス川沿いにドイツ騎士団が築いた城に酷似していたから、これはドイツ騎士団の工兵隊が築いたものと推測されている。ドイツ騎士団との軍事同盟はこのあと締結される「サリーナス条約」で明記される。
(*5)サリーナス(Salynas)は、ネヴェジス(Nevėžis)川がニェムナス川に注ぐ河口地点(カウナスの西郊外)と、そこから少し下流にある町クラウトゥヴァ(Kulautuva)との間にあったと推定されるが、はっきりしない。なお、“salynas”というリトアニア語は英語の“archipelago”(群島)に対応する語である。
(*6)しかし、ネヴェジス川の河口地帯はリトアニアが確保した。シェシュペ川は、現在のリトアニア南西部の都市マリヤンポレ(Marijampolė)を通って、現在のロシア領の飛び地カリーニングラード州との国境の町クディルコス・ナウミエスティス(Kudirkos Naumiestis)を経て、ニェムナス川の下流に注ぐ川である。
(*7)リトアニアは国境線の画定と軍事同盟によってドイツ騎士団の脅威を取り除くことに成功したが、その代償として失った領土の問題は大きな痛手であったから、この条約はドイツ騎士団の外交的勝利といえよう。こうした時に、ミンダウガス王の昔から常に取引材料としてジェマイチヤが犠牲になっていることは興味深い現象だ。しかし、この条約が結ばれたことによって、ヴィタウタスは東方への権益拡大や国内の改革に専念できることから、ある程度は満足していたようだ。また、この条約が調印されたとき、リトアニアの貴族たちは大いに喜び、幾日もの間、祝賀の宴を張って祝ったという。こうした行動は、リトアニアの人々がヨガイラのポーランドに従属することを嫌い、実質的な独立国として振舞うことに拘った強い自尊心の表れであろう。
(*8)ドイツ騎士団総長コンラート・フォン・ユンギンゲンはこの条約に大いに満足していたが、ヴィタウタスとの友好関係維持にはそれなりの気配りをしていたようだ。実際、この頃、彼は2人の建築技師をヴィルニュスに派遣して聖アンア教会を当時の最新のゴシック様式で再建させたという。現在、観光客にも人気のある旧市街のマイロニオ通り(Maironio gatvė)の聖アンナ教会はこの教会のあとにつくられたものだ。また、1400年にヴィタウタスの后アンナ(Anna)がプロシャのマリエンヴェルダーにある「モンタウのドロテア」(Dorothea of Montau)の墓にお参りしたとき、彼はアンナを大歓迎し、沢山のお土産を持たせて帰したという。
(*9)ポーランド王ヨガイラに知らせずにこの条約を結んだことがリトアニア貴族たちの自尊心と独立心を鼓舞していたが、ヨガイラの反対を心配していたドイツ騎士団側は、ヴィタウタウに対して、ヨガイラから「この条約を認め、異を唱えない」という確約を取り付けることを求めていた。
(2019年10月 記)
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沢辺レポート

近頃思うこと(その44)/沢辺 栄一

 1964年(昭和39年)の東京オリンピックは晴天に恵まれた10月10日に開会式が挙行された。
 そのオリンピックでは私の造った長距離映像中継装置を用いて自衛隊の援助も受けて初めてマラソンの無中断中継を行なったこともあって、日本でオリンピックを開催する場合は10月であると思い込んでいた。

 数年前、次の東京オリンピックを2020年の夏に実施することがTVで発表された時直ぐに、馬鹿な決定をしたなと思った。JOC委員会はどうなっているのだろうとその判断に唖然とした。委員の中に一人も反対する委員は居なかったのだろうか、何故、東京の夏の暑さに関して選手、観客のことを配慮しなかったのであろうか。素人ながらその理由を推測すると、夏休みなのでボランティアが得られ易いとか、観客が多く来てくれるからであるとかと考えられるが、運営上の利益からの判断で決定したものであろう。

 話は飛ぶが、今年はアポロ11号により宇宙飛行士が1969721(日本時間)に月に着陸してから丁度50年になる。各要素の役割分担とそれぞれの要素を総合的にまた完全に上手くまとめ、ミスや抜け、見落としが無く、全体としての目的を達成するシステム工学により、300万個の部品、40万人の担当者を用いて成功したアポロ計画に驚嘆し、日本でもシステム工学やシステム的な考えが社会システムまでに及ぶ広い分野で採用され始めた。私自身もシステム工学の勉強をし、人間は局部的なことに目が奪われがちであるが、常に全体を最適化することを学んだ。

 システム的な考え方の発生期から50年近くも経過し、そのような考え方も衰えてきているのが現在であろう。オリンピック委員会の決定はこのシステム思考の欠如の結果であると思っている。昨年になって東京の暑さにやっと気が付き、マラソンのスタートを朝にすることにした。最近になって対策として考えられたマラソンコースの路面温度を下げるための遮熱性舗装を施工中であるが、赤外線を多く反射させる方法を取っているので、当然のことながら、表面の温度は10度下がったが、地表50cm、1mでは逆に温度が高くなった研究結果が出ているとのことである。マラソンには給水所を多く設置し、また、ポリ袋に砕いた氷を詰めた「かち割り氷」を用意するなど暑さ対策を講じている。今年8月初旬に行なわれたボート競技のテスト大会で日差しを遮るものが無いため観客が不満の声を上げた。ミストシャワー(噴霧器)が用意され、観客に冷却剤も配布されたが余り効果が無いとの報告である。大会組織委員会は屋根の無い部分に降雪機を置き、競技の合間に人工雪を降らすことを決めたとのことである。

 以上のようにちょっとしたシステム思考の不足、気配りの不足により、思わぬ対策を新たに講じなくては済まない状態になっている。いつも抜けの無いシステム思考が行なわれることを望んでいるが、それよりも今回の夏の実施決定により熱中症で死者が出なければと案じている。もし、選手、観客から一人でも死者が出たら間接的な殺人になるのでJOCの委員は全員総辞職し、他の公的職業にも就いてはならないのではないかと思っているところである。