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論説・提言等

福島第一原発事故の拡大(その一)/ 濱崎 襄二

- (1) はじめに -

2011年 3月11日の大津波による東日本太平洋沿岸一帯の激甚災害は、凄惨そのものでした。1945年の無差別爆撃後の焼け野が原を見る思いでした。大津波警報の第1報では高さ 3メートル超程度の大津波と予報されましたが、実際にはその 5倍も、場所によっては 10倍も大きいものでした。余りにも過小な予報の故に逃げ場を失った大勢の人々が命を落としました。スマトラ島西岸沖の大地震後の喧伝に反して、「地震と津波」に関する日本の科学技術に基づいた気象庁予報は殆んど無力、場所によっては有害でした。

東北地方太平洋沿岸地帯在住の方々は、百年を超える過去の経験に学んで、大津波に備えて巨大堤防を整え、毎年の訓練を積んでおられたと見受けます。しかし、予報を遥かに上回る、千年に一度という大津波が襲来し、沿岸部の一切を攫い流してしまいました。百年にも満たない命に頼る人々が、果して千年に一度の災害に備える事ができるのでしょうか?メキシコ大地震、トルコ大地震も五百年に一度と云う災害でした。大災害の址に立って、生き残った人々は天を仰いで悲しみに慟哭し、地に祈って立ち上る勇気と力とを偏に希うのみです。

本文では、2011年 3月11日の大津波による激甚災害を引き金として起こった所の、福島第一原発事故拡大について、テレビと新聞の報道が余りに不可解・不条理であると思いますので、クラスの方々、同窓の方々のご意見を伺いたいと希望して、私見を述べたいと思います。尚、この問題については、一年余り前に投稿した下記文書もご参考頂ければ幸いと思います。

 濱崎襄二;「25年を迎えた三次元映像のフォーラムと福島第一原発事故」
  “3D映像”, Vol.25, No.2 (2011. 6), pp.49-52 
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- (2) 科学の信仰 (Belief in Science) -

日本に住む人々は今後千年の間、核技術や、遺伝子操作を含む細菌・生物や、或いは、化学性毒物を用いた恐るべきホロコーストに巻き込まれないで生き延びる事ができるのでしょうか?

「科学」 は有史以前の農業・冶金の発明以来、人間社会と深く関りながらも自律的と思われる進展をしていると見えます。1930年頃に原子核人工崩壊実験が成功し、直ちに原爆開発が着手されました。文明、取り分け 「科学」 分野と、科学発展に伴った社会構造変革において、遅れを取っていた南北アメリカ大陸の原住民は、到るところでホロコースト的な殺戮に遭遇し、辛うじて少数の人々が生き延びています。「科学」 の破滅性に早く気付いてその進展を抑圧したチベットの人々は、今や自由を奪われた奴隷の境遇にいると云えるでしょう。過去の歴史を辿ると、「科学」 の進展は民族存亡の鍵でした。

宇宙飛行士ガガーリンは、ソ連科学者と最優秀ソ連軍人の夥しい数の(犠牲の)屍を乗り越えた最初の生還者でした。米国 NASA のスペース・シャトル、チャレンジャー号が大統領の目前で砕け散り、搭乗者が無惨に全滅した時、米国民を代表した大統領の第一声は、犠牲者に手向ける深い哀悼の旗印として、事故を克服して次なる挑戦を誓う声明でした。それらは、形あるものの中で唯一頼れるのは「科学」であり、「科学」の消長に国家、民族の存亡が懸っている事、に関する信念の顕れでした。過去において絶大な犠牲を強いて今日まで成長した「科学技術」によって、更なる大きな犠牲(「試練」)を強いられようとも、この犠牲は次なる発展によって克服されなければならないのです。この心情態度は、「信仰」と呼ばれるものでしょう。現代の人間は、洋の東西を問わず(一元的であるか否かは別として)、「科学」 を信仰して (Peoples believe in Science.) 生きています。

「科学」の成果を取り入れて文明が発展する過程では、何時でも、その前の時代の文明を滅ぼすのではないか?と云う脅威に曝されました。今の時代も、「科学」 の進展が内蔵する破滅性を、克服できるか否かと云う難問が人類に突きつけられ、「人智」が試されています。しかし、その解決の扉は見出されていません。

日本の国では、「科学」、「科学技術」は有史以前より、移入、輸入で始まり、今に到っています。輸入された「科学技術」は、日本の国の中で、それなりの進展を遂げるのですが、次の時代を拓く(次の世界を動かす)「創造」には至っていません。そのためでしょうか、「科学技術」の礎を築いた経験を持つ国々の人々と較べて、過去の事実を貴びその分析を徹底して真実を知った上で次に進もうとする基本姿勢が薄い(陰の声になってしまう)ように思われます。第二次世界大戦と云う血塗れの経験を経ても、日本では尚、過去の事実の徹底した分析が妨げられています。福島第一原発の事故拡大における報道を見る時、この思いは痛切です。  

(3) 福島第一原発事故拡大の人災 -

福島第一原発の事故拡大については、焦燥と憤懣に明け暮れて一年余が経過しました。それは、この事故拡大は人災であるにも拘わらず、事実と責任とが曖昧にされて揉み消されようとしているからです。

原発の炉心は元来、核爆発が起きないように作られています。しかし、外部からの冷却が止まると、約 5時間で炉心損傷が起こり、それを放置すると炉心熔融が起こり、爆発的な放射能物質の漏洩・拡散が起こります。それ故、炉心冷却確保のために外部送電線からの受電、デイーゼル発電機、更に、電池電源、対流のよる短期間冷却機能が(何重にも防護を固めて、但し、輸入技術として、即ち、経験の礎を持たぬまま)備えられていました。

しかし、「原子力村」 という名称で象徴されている所の、日本の原子力関係者の社会は極めて閉鎖的、独善的なものでした。予備の電源車も予備のポンプも、更には、放射能環境下で観察、計測、作業を受け持つべきロボットさえも備えられていませんでした。(過去における原子力船「むつ」の建造・放射線漏洩・廃棄に関わる無責任さは、当時の「原子力村」の実態を物語るものでした。)

大津波によって福島第一原発の全電源が喪失(3月 11日午後 3時30分頃)されてから、最も貴重な約 5時間は政府、原子力安全委員会、原子力安全・保安院、東京電力、揃って無為無策で浪費してしまいました。この時間内に数台でも電源車とポンプ車を集結して炉心冷却を開始できたならば、原発事故による損害規模は 1/4 以下に留める事ができた筈と思っています。3月 12日未明になってから、政府は70 台といわれる電源車とポンプ車を集結しました。その時には 1号炉では炉心損傷が進み、放射能物質の漏洩が起こり、容易に作業できない状態でした。それでもまだ、放射線防護態勢を整えて作業すれば、2号炉、3号炉、4号炉は作業可能であった(即ち、大事故を防ぐ事ができた)と考えています。

しかし実際には、そのような冷却作業は行われませんでした。現場要員の退避は各自判断に任され一斉逃散が起こったため、現場の人手は決定的に不足しました。原発を襲った大津波の唯一の映像は、近くの高台に退避した現場作業員の一人が記録したものでした。地震直後の原子炉建屋内の情況を伝える第一報は、新潟まで逃避した現場作業員から得られたものでした。

大津波襲来後の、観測も計測も極めて不十分なまま不用意に(首相命令で)ベントを行い、建屋の水素爆発を誘発して放射能物質を爆発的に拡散させました。原発事故の引き金は大津波という天災でしたが、その拡大は人災です。原発事故の拡大を食い止めるために、貴重な 5時間と、それに続く数時間の間に、何をすべきであったか?何が実行可能であったのか?詳細な検証が必要とされています。勿論、現状の事故拡大の全体は初動の無策だけで起こったものではありません。しかし、初動の大失策は事故拡大の重大な要因です。その人災の実態と責任とを明らかにする事なしに、今回の原発事故の真実の姿を明らかにする事はできません。原発事故の真実を隠蔽したままでは、次のステップに進めません。

大津波が襲った時、及び、直後の原子炉の状態を示すデーターは、何故、残されていないのでしょうか?私の推測では、大津波が襲った時、最も危険度が高かった原子炉は、無人、無監視、無計測の状態で放置されていたのではないか?このような非常時無責任体制は、「原子力村」 に属する原子力安全委員会、原子力安全・保安院も認めていたのではないか? と疑っています。問題が重大である程、無責任になっています。この「非常時無責任体制」の撲滅・排除こそが今回の原発事故克服の第一歩であると思っています。

- (4) 「原発安全神話」とは? -

「原発安全神話(原発安全を謳う作り話)」 と云う言葉は、「想定外であった」と云う言葉以上に、責任を隠蔽・転嫁するための妄言としか聞こえません。想定とは人の予測ですから、経験・知識が乏しければ、容易にその人の想定外になります。しかし、原発安全は願望であって、真実でも事実でもありません。原発の炉心に隕石が命中する事もあり得るのです。原発がミサイル攻撃の標的になる事もあり得るのです。

実際に、1986年にチェルノブイリで原発事故が起こりました。「原発は、時に、極めて危険である」事は実証済みでした。この事故の実態と責任とを究明する過程で、人為的なミスがあった事、黒鉛減速型のチェルノブイリ原子炉には、フェイルセイフ上の欠陥があった事が解明されました。人為的ミスがあったとは云え、チェルノブイリ原子炉運転員はそれなりに力を尽くし、多くの勇敢な兵士と共に、破損原子炉の終息・収拾のために殉じました。チェルノブイリ原発事故を「明日は我が身」と考えて教訓として学ばすに、「対岸の火事」と見て勝手な論評対象とした所に、「原子力村」、政府機関、電力会社の全ての責任者の無責任さと傲慢さとがあったのです。原発事故そのものは「想定内であった」事象でした。

「原発安全神話」 を信じて来たと称する人々の中には、中央政府、地方政府の首長級の人々も含まれています!原発安全を求めて絶え間なく努力を重ねる必要はあるのですが、努力を重ねているから安全である訳ではありません。万一の時に起こり得る原発の重大事故に備えるための設備・機器の開発では、巨額の研究開発費を消費して各種の試作品が制作されていました。しかし、万一の時の原発事故に備える事自体が、政府・業界唱導の「原発安全」と矛盾し、「人心の動揺」を招くと云う(詭弁的、欺瞞に満ちた)理由で、それらの設備・機器は、実用化のための継続的な改良研究が廃絶され、試作品は廃棄されたと疑われます。「原発安全神話」 は、2011年 3月 11日の原発事故以後の作り話です。「原発安全神話が崩れた」 と云う言葉は責任隠滅を図る瞞着・妄言です。

2011年 3月 11日の大津波に端を発した原発事故以前には、「原発は安全である」 と仄めかす宣伝が、電力確保と僻地の資金助成・雇用確保のために日本中で叫ばれました。「原発安全」 は、原発増設を進めた政府・業界と、原発誘致による資金獲得を目指した僻地の地方自治体首脳が、住民説得のために用いた言葉でした。原子力施設を受け入れた僻地の町村は資金が潤沢である故に町村統合の外に置かれました。原発は始めから大きな危険を含んでいるのです。原発の安全性向上にとって、僻地の資金助成・雇用確保は、微々たるものである事は明らかでした。原発の安全性向上には、抜本的な手段が必要でした。  
 (文責:濱崎襄二)