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斎藤さんのお話

九十二回目のお正月/齋藤 嘉博

  明けましておめでとうございます。今年も皆様と一緒にこの欄でお話ができるのを楽しみにしております。
  昨年の暮れは終活でこれまでにたまった生活垢の整理に追われました。NHK時代の様々な資料、ムサビ時代の講義関連資料、そして退職後の海外旅行の資料、地図やパンフなどなど。沢山のものが書棚、押し入れ、物置に一杯。ほっておいても私が死んだら後の者たちが捨てるのでしょうが、まあ折角と整理を始めたのですが。一番悩んだのがアルバムとCD、DVDでした。アルバムは年ごとの一冊のほかに海外旅行の折、一イベントごとに1,2冊を作り上げてきたものが50冊ほど。これは想い出の記録ではありますが場所ばかりとってと。そこで時間をかけて帯域圧縮しほぼ三分の一にまとめました。最近のディジタル時代のものはパワーポイントを使ってペーパーレス。これはいいですネ。昔は名詞版、手札版、いまはL版。しかしここでは大きさも形も自由に貼ることができるし、コメントも十分に書き入れることができます。チップに入れば場所はとらないしスライドショーを使うと一年の過ごし方がよくわかります。
  近頃はLPレコードが静かなブームになっているよし。これも大部分は捨て、一部は売ろうと思いながら整理中にちょっと聴いてみると懐かしいものばかり。ラックのほとんどがクラシックなのですが、ナットキングコール、ベラフォンテなど昔の名曲。江利チエミさんがよく歌っていましたがバナナボート、いいですネエ。それにイヴ・モンタンの枯れ葉。今の音楽とは違って深味があります。それも郷愁でしょうか。クラシックでもバックハウスやグレングールドを聴くともう捨てられません。昨夜の紅白の歌なんて児戯に類するもの。結局半分以上はもとの棚へ。というわけで多くの長年の垢は思ったほどには洗い流さずに終わってしまいました。
  週刊文春に「真夜中のなわとび」という小欄があります。林真理子さんがもうずいぶん長い間書いておられるエッセイです。小生週刊誌はほとんど読まないのですが、この欄だけは時折覗いてなるほどと楽しんでいます。昨年の最終、12月26日号は年をとったときのボケ。「こども叱るな嘗て来た道、年より嗤うないつか行く道」というお話しから始まって彼女のお母さまが過日百一才で亡くなられた折の想いを述べています。金さん銀さんの時代にはまだ少なかったのですが、これからは百才時代。寿命は閻魔様がお決めになることですから変えようがありませんが、それまでは何とか楽しく健康でいたいものです。私は子供時代病弱で学校も休みが多く、いまでも小学校の友人からは「サイトウ君はいつも喉に包帯を巻いていたネ」と言われるほど。大学の折には結核で長い休学をしましたし、胃癌の手術もありました。なのにこれほど長く、あまりボケもせずに生きていようとは夢にも思いませんでした。
  都市の生活に一番欠かせないのが上下水道。パリの下水道や平安京の水害などに想いをいたさずとも、過日の大雨、大地震の際の報道をみるとその思いを深くします。人間の身体も同じです。巷間沢山の健康法が流布されていますが、いずれも本質は血のめぐりをよくするかどうかということだと思います。昔からの針灸も、風邪の時には暖かくして湯気を立てという言い伝えも、すべて血流をよくするための方策に過ぎません。血の巡りをよくするためには動かすこと、温めること。それは一日一万歩と足のことばかりでなく、手の指から顎から、いや内臓の肺や胃も含めて活発に動かすことが大切です。もちろん頭いや脳を動かす、使うことも。この欄に投稿させていただくのは脳を動かすのに大切な行動の一つと思っているのですが。
  さて今年はどうなりますか。皆様も体中を活発に動かして楽しく過ごされますように。ボーッとしているとチコちゃんに叱られますョ。
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斎藤さんのお話

運転免許返納/齋藤 嘉博

  私の自動車免許証は今年の9月18日まで。この機会に免許証を返納しようと決心しました。
  真に痛ましい事故が続いています。高齢者だけが悪者ではないと思いますが、やはり高齢ゆえの事故が多くなっていることは確かでしょう。運転の誤りで自分が電信柱にぶつけてというのならまだ許せますが、他人様を巻き込んで、とくに児童を殺傷する事故は本当に胸が痛みます。私が最初にハンドルを握ったのは1944年のことでした。学徒動員で仕事をしているときに、その構内で軍用トラックを動かしたのです。構内ですから無免許でも罰にはなりません。その後何回か無免許でハンドルを握って練習。1957年に鮫洲の免許試験場で合格。当時は鮫洲も海の際。方向指示器は手動で赤い矢印が出るアポロでした。それ以来60年余り、事故もなく優良免許で過ごしました。

  いや実は一昨年暮れに事故を起こしたのです。給油所のおじさんが洗車をしていらっしゃいと大変しつこく言いましたので、それならと洗車場に入りました。“いってらっしゃい”という言葉を耳にしたのが仇。いつもなら定位置に停車しているのに、その言葉で「あすこまでゆっくり行けばイインダと錯覚。そろそろと車を前に出したのがいけませんでした。途中で洗車ブラシにからまれてフロントガラスはバリバリと割れ、車はぺしゃんこ。あとで「こんな状態でよく生きていられましたネエ」と車を見たディーラー、保険屋さんは異口同音にびっくり仰天!!小生かすり傷もなく、あとは保険屋さんの仕事と雨の降る中を帰宅したのでした。それ以来家内も娘も「車の運転絶対にいけません!!!」。キーは取り上げられてしまいましたが、免許証があればレンタカーもカーシェアもあるし、と思いながら。でも運転はしませんでした。この事故で全く怪我がなかったのは毎朝般若心経をあげる阿弥陀様のご加護のおかげとしか考えられませんし、この辺で車はやめなさいという啓示だったのでしょう。先月初めの京急衝突事故。トラックの運転手の心理は前述の洗車場事故と思い合わせて私には分かるような気がします。

  このところの事故、多くがアクセルとブレーキの踏み違いと言われ防止用の器具まで売られているようですが、私はもうずっと左足でブレーキ、右足でアクセルとしていました。脚は二本ですから二つのペダルを両足で分けて使うのが自然の摂理でしょう。昔はクラッチがありましたのでこうはいきませんでしたが今の車はすべてオート。これによって踏み間違いの事故はぐっと少なくなるし、危険の場合のブレーキも0.3秒早く踏むことができる。事故の確率は減るでしょう。しかし現在の日本の教習所はそれを忌避するのです。免許更新の実地試験では左足を使わないでくださいと注意されました。

  代々木署に返納の手続きをすますと、やはりなんとなく寂しさがこみあげて、アアこれで俺の人生も終わったナという思い。冥途へのパスポートをもらった感覚で「この証明があれば冥途での運転はできますヨネ」と言いましたら、ご婦人の警官が「エエ、出来ますヨ」とユーモアを解せる明るいご返事でした。

  60年以上の間、車にはずいぶんお世話になったことです。国内よりむしろ海外、特に米国でのドライブが大きな楽しみでした。ヨセミテ、イエロストーンなど多くの国立公園を走りましたが、最も印象に残っているのはブライスキャニオンの景観が見たくて計画した2003年の旅です。ラスベガスで車を借りてまっすぐにブライスキャニオンへ。そこに三泊してゆっくりとこのキャニオンを楽しみ、隣のザイオンNPへ。さらに黄葉の林のなかを走って、あまり人の行かないグランドキャニオンのノースリムからの眺めは、やはり南壁からの眺めとは違って荒々しさの目立つすばらしいものでした。

  パウエル湖での水面に浮かぶ夕月の姿も旅情をそそり、ここから東に走ってナバホの自治区であるモニュメントバレーへ。ブログ1.jpgブログ2.jpg
モニュメントバレー
へのドライブ
ミッチェルビュート
の落日

  夕陽に浮かぶビュートのシルエット、ジョン・ウェインが活躍した広大な砂漠はぞくぞくする気分。そしていくつかのキャニオンランドを巡って最後はグランドキャニオンへ。ベストウエスタンのモーテルを泊り走った18日間、1613マイルのドライブでした。もう車では走れないと思うと幾何の悲哀が残ります。

  これからの高齢社会、いくら自動運転が一般化しても事故はますます多く、そして大きなものになるでしょうが、なんとか子供を巻き添えにする事故はなくなってほしいものです。