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東日本大震災・私の体験(3/11~3/16)

まず、被災地の方々にお見舞い申し上げます。

東京世田谷区在住の浅井孝弘です。
地震発生から5日間くらいの間の私の見聞したことをメモします。
津波や原発トラブルには触れていません。(書ききれませんので)

これはあくまで私自身の体験記です。
震源地と比べたら軽微な影響でしたが、見聞することすべてが生まれて初めてのことなので、書き留めておこうと思います。
お読みになっている皆さんもぜひ投稿して下さい。

----------参考-----------
3/11 15:15発表各地震度(その後一部訂正あり)は次をごらんください。
http://www.asahi.com/national/update/0311/TKY201103110285.html
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大震災概要については「wiki 2011年東北地方太平洋沖地震」で検索して下さい。
一応まとまっています。
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津波については「津波 動画」で検索するとYoutubeなどに多数投稿されています。
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●地震発生時の様子
月曜から木曜まで日本橋にある新聞社系の会社に勤務している。(技術教育のため)
地震が起きた金曜日(3/11)は自宅にいた。

地震は最初は静かだったが、次第に上下動がひどくなり、ガタガタ鳴る音が極端に大きくなった。
食器がぶつかり、こすれあう音だった。
左右に揺れるという感じは少なく、むしろ小刻みな上下動が長い間続いたように思えた。
家のあちこちを見回ったが、体の自由が利かないというほどの揺れではなかった。
家の外に出ると住宅街全体がギシギシ、ガタガタ音を立てていた。
かなりの恐怖感を覚えた。

近所で損傷を受けた家はなかった。
我が家も小さなものが少し落下しただけで、被害は特になかった。

●息子(世田谷から中央区に通勤)の話
事務所内は書類散乱、ロックされていた窓が全部開いた。
通りの反対側の接近した二つのビルが揺れ、上の階同士がぶつかりそうだった。世田谷より揺れが大きかったもよう。鉄道はストップしたので事務所に泊った。

●家内の話
近くの商店街にいたが、しゃがみこんでしまった。
気分が悪くなったと感じ、救急車を呼んで貰おうかと思った。気が付いたら他の通行人もそうしていたので地震と分かった。

●私の実家(神奈川県茅ケ崎市)
それほどの揺れではなかった。津波も大したことはなかった。(震度は5弱だったが。)

●福島第一原発トラブル
政府は午後7時50分「原子力緊急事態」を発表。
(その後、これほどのトラブルに至るとは思っていなかった。)

●月曜(3/14)の都心部の様子
普段利用している小田急は敬遠し、自宅近くから渋谷行きのバスに乗り、ここから地下鉄に入り、職場のある茅場町に向かった。特に混雑はなかった。
日比谷、銀座はガラガラ。(鉄道がほとんど動いていなかったため)
建物や地下街には目に見える被害はなかった。

●月曜(3/14)の会社の様子
会社(日本橋茅場町)には半分くらいの人しか出ていなかった。(3/15、16もそんな感じ)
ファイルが散乱したそうだが既に整頓されていた。
金曜日(3/11)には帰宅できなかった人も多く、職場には毛布が積まれていた。
自宅まで10kmくらいの人は歩いて帰宅したそうである。

午後には社内ネット掲示板に「今日は早く帰宅して下さい」と出ていた。
私の利用する小田急は新宿経堂間しか運転してなかったので、帰宅時、経堂から50分歩いて帰った。

●緊急帰宅セット
タイミング良く、半年前に「緊急帰宅セット」が全社員に配布された。
手回し発電機付きのライト兼ラジオ兼サイレン兼携帯電話充電器、サバイバルシート、包帯、薬など入っていた。
こんなセットはドラマの世界と思っていたが、一気に現実の話となった。

●計画停電
原子力発電所のトラブルで電力が足りなくなったので、月曜(3/14)から「計画停電」が始まった。
首都圏を5つの地域に分けて輪番で時間を区切って停電する方式で4月下旬まで実施予定という。
結局23区はごく一部の例外を除いてその後実施されていない。

●鉄道の運行規制(計画停電のため)
月曜日(3/14)は、首都圏の多くのJR線が全休した。
運転されたのは、東京メトロ、主要JR線(山手線など二、三の路線)、私鉄の都心寄りの区間だった。
私は小田急線を使っているが、新宿・経堂間のみしか運転されない。
自宅から経堂まで2駅歩くことになった。万歩計では5400歩。
これは運の良い方で、多くの通勤者は自宅待機しかなかったようである。

火曜日(3/15)はほとんどの鉄道路線が運転回数を大きく減らして運行した。
ものすごい混雑で、昭和30年代の通勤電車を思い出した。
なおその後、日を追うにつれ運転区間が拡大された。

●品切れした商品
弁当、サンドイッチ、懐中電灯、単一単二乾電池、パン、トイレットペーパー。

●ファーストフード
近所のモスバーガーは臨時休業。マクドナルドはドリンクのみ。

●秋葉原で買い物
3/13(日)、懐中電灯などをもう少し手持ちしておこうとして秋葉原にでかけた。
ポケットラジオは1万円くらいのものは全部売り切れ。2千円の安いもの(昔風)はあった。
LEDライトは少し残っていた。ただし、使用電池は単三、単四のみ。
非常対策商品はすでにほとんど売り切れていた。

▲購入したもの
ポケットラジオ(単四電池) 
手回しライト。手で発電機をまわすだけ。蓄電池はついていない。
手回し発電機で充電するラジオ兼ライト。
ソーラー充電式のラジオ(ものすごく原始的)、結構聞こえる。

●通信途絶
大震災の直後から電話や携帯電話が通じないので困った。
知人や親せきと連絡がついたのは震災から4、5日以上後だったと思う。
災害だから通信途絶は当たり前というのはどういうものか。

●日立市の知人(20日過ぎに連絡がとれた)
電気、電話がやっと通じたら、水道ガスが不通で苦労しているとのことだった。
停電の時困ったのはTVがつかないし、現在の自分たちの状況が把握できないことだったという。
水をもらいに行ってそこで口コミで情報を得たという。
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以上のメモは大震災発生から4、5日のことです。
その後津波の大被害が徐々に明らかになり、原発のトラブルが拡大していったのはご存知の通りです。長くなるので、ここで筆を置きます。
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今年度最終会合はタイ・ベトナム料理店

110326Tsubomi.jpg3月上旬に幹事町田くんから連絡があった。3/31(木)18:30~20:30、日本橋にあるタイ・ベトナム料理の店「ドンコーイ」でクラス仲間が久しぶりに集まる予定だ。今回は電気系OBとしていろいろ話すことがありそうだ。近くの公園の大きな桜の木の蕾がこの2週間ほどの寒さにじっと耐えているようだ。(渡部)
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今年度最終会合はタイ・ベトナム料理店

110326Tsubomi.jpg3月上旬に幹事町田くんから連絡があった。3/31(木)18:30~20:30、日本橋にあるタイ・ベトナム料理の店「ドンコーイ」でクラス仲間が久しぶりに集まる予定だ。今回は電気系OBとしていろいろ話すことがありそうだ。近くの公園の大きな桜の木の蕾がこの2週間ほどの寒さにじっと耐えているようだ。(渡部)
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次回の「あすた会」6/1に

44denkidenshi MLに流れたお知らせを再掲します。

~~

皆様

いまだ余震が収まらず、福島の不安も解消されないので心が収まりません。そして皆様の御親戚、知人の安否を気遣っておられる方には、心からお見舞いを申し上げます。

先に5月25日にてご案内申し上げましたが、M吉田さんの御出張と重なり、開催日変更の要請がありました。下記のごとく6月1日に変更いたしたく。改めて出欠の取り直しを致しますのでよろしくお願いいたします。

6月には、落ち着いて吉田さんのお話を聞けるようになることを念じつつ、ご案内を致します。

幹事 松田道男

                  記

 1.講師: Mac 吉田さん
 2.題目: 「東大工学系の最近の様子」
 3.時間: 2011年6月1日(水)18:00-
 4.場所: NHK青山荘
        http://www.nhk-jn.co.jp/kenshu/seizansou_map.htm
 5.会費: 6000円(予定)


以上

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50年会

昭和35年電気工学科卒業生は本年卒業50周年を迎えました。116()の午後にこれを記念して50年会を日比谷聘珍楼で岡村、東口、菅野、関根各先生と田宮さんをお招きして開きました。学生は入子、小坂、小田部、桜井、杉野、杉元、杉本、高柳、竹内、多田、田中、中北、林、宮本、室谷、山崎、油本、正田の18名が参加し、岡村先生にご挨拶と乾杯のご発声を戴いた後、諸先生のお話を伺い、学生が在学以来最も印象に残った思い出などのショートスピーチをして、秋晴れの日比谷公園の景色を愉しみながら、歓談のひと時を過ごしました。(文責 正田)
写真はこちらをクリック→2010電気50年会1.pdf
この記事は昨年正田さんから山崎宛に戴いたものを気付かずにいて掲載が大変遅れてしまいました。不手際の段お詫び申上げます(山崎)
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はやぶさの展示@同窓会総会のイベント

101113Hayabusa.jpg本日は午後2:30から、同窓会の総会に先立ち、講演会とパネル討論が行われました。クラス1975からは7名(岩滝、神竹、新谷、中川、町田、安成、渡部)が参加しました。会場の横では、地球帰還の快挙を成し遂げた小惑星探査機はやぶさの展示が行われ、我がクラスメンバーも熱心に話を聞いていました。全体の懇親会終了後に、赤門近くの店で田宮さんも加えて二次会を開きました。
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電気系同窓会イベント

今、開催中。工学部2号館なう。



 s-IMG_9624.jpg「はやぶさ」にも電気技術をたくさん活用 
 s-IMG_9635.jpg 蛸壺破壊、ゴーン社長
 s-IMG_9666.jpg パネル討論
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3号館跡地なう

2010年11月4日の3号館跡地

At 11:18 10/11/04
> 吉田様
> 有難うございます。
> 貴君に 余計なことを お話して
> お手数をさらにお掛けして 申し訳なく。
> 新3号館は デザインもさることながら
> 世界最先端のICT武装化したビルであってほしいですね。
> 大いなる研究・教育の成果を期待したいものです。

まったくその通りで、名称は「3号館教育研究棟」といったニュアンスになる
と思います。ご存知のように東大は「グリーン東大」を実践しており、2号館
は現在そのモデル棟としてICTで全館のエネルギーを監視制御しています。

おそらく3号館もそれを超えるものを備えるでしょうね。なお、新3号館は東大
で始めてPFIでやるので、多くの部屋が外部への貸し出し(といっても単なる
長屋ではなく、研究機関団体が主体と思うけど)になります。このお金で借金を
返していくわけですね。

MacY


> 古川@日立
>
>
> >みなさま、
> >
> >先般、あすた会で古川さんから 「前回の3号館写真をもらった翌日に
> >キャンパスに行く機会があって、3号館を見たら、残っているという裏の
> >入り口も壊されてなくなっていたよ」 と指摘があったこともあり、改めて
> >現状の状況を撮影して添付しました。(ちょっと重い、
> >すいまっせん)
> >
> >現在2号館の2階相当にある「アカデミックバレー」という名称のオープン
> >スペースの東端が同じレベルで新三号館に繋がる予定だそうで、そこ
> >から見た(つなぐとパノラマになる)景色と、地上の弥生門側周辺から
> >撮った数枚です。
> >
> >あすた会でも一部の方々にお話したけど、新3号館は新2号館と似た
> >コンセプト(旧3号館のアーキテクチャであったレンガ形式を4階までにして、
> >その上に灰色+黒ルーバのコンクリート作りを乗せる)だそうで、小生も
> >たまたま幹部と一緒に模型を見たけど、「何で評判の良くない(2号館の)
> >コンセプトにするの」という疑問は、研究科内でも(幹部にも)多い。
> >
> >設計は2号館もそうだったけど、建築計画室という工学系の中の組織がやる
> >ことになっており、これは実は建築学専攻の教授たち。 懲りない面々です。。。
> >
> >同窓会サイトにアップする価値があれば、よろしくお願い。
> >
> >M吉田
> >
> >

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以上

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少しは色気も/山崎浩

 私ももう老人といわれる歳になった。「いやいや、まだまだ」と言いたいところだが、人には「老人だからね」と思われるような言動が目に付くに違いない。
 私の机の上には「いくらかは、色気も残してほしいもの」で始まる「いろは歌」のコピーが置いて有り、時折眺めては、自戒し、心がけようとしている。
 先日多田兄から「それは是非ブログで紹介するといい」とお勧めがあったので、ここに載せることにした。クリックで開くので御覧戴きたい。老人いろは歌.xls
 この「いろは歌」は、今は亡き義姉がどこからか書写して妻に送ってきたもので、出展が定かではない。どなたかご存知でしたら教えていただきたい。
 ところで冒頭の一首だが、私など老人の色恋沙汰を恥ずべきことのように思っているものだから、最初は「ええっ」と感じたのだった。「少しは、といったって、色気のあるじじいなんぞにゼンッタイなれるものではないぞ」というわけである。しかし最近は、異性としかるべき礼節をもって交際することも「少しは」のうちと解釈して、納得している。
 わが家で最も口に上るのが「に」の一首で、テレビニュースを観ながらつい世も末と嘆くと、すかさず「日本のことは心配するな」と妻に言われるこのごろである。なかなか身につかないのも「老人」ゆえと、開き直ってしまう。ままよ「呑気と気楽は長壽のもと」とあるではないか。
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級友の皆様へ(2)/多田邦雄

さる9月17日に江川進氏が逝去されたことは、まことに残念なことでした。あらためてお悔み申し上げます。さて、このクラス1960ブログの運用管理役が、このほど佐々木敬氏から山崎浩氏に交代されることになりましたので、お知らせする次第です。
クラス1960ブログは2007年5月に開設され、佐々木氏が初代の運用管理役を引き受けて下さいました。そのいきさつ等は同年6月14日付のブログでご報告した通りです。佐々木氏は、健康上のご事情によりご退任されることになりましたが、これまでのご尽力に深く感謝申し上げます。
山崎氏には、ブログ運営状況のモニター、書き込み方法の教示指導、利用活性化などをご担当頂くクラス世話人役をして頂くわけですが、どうか宜しくお願い申し上げます。
クラス1960ブログは開設当時は東京大学電気系同窓会全体で最年長のクラスブログだったのですが、現在では5年先輩のクラス1955のブログが最も活発であるのをはじめ、全般的には随分と賑やかになってきております。我々も卒業後早や50年、シニア会員の部類に十分入るかと思いますが、是非とも気軽に投稿し合って、交流親睦や連絡の場としてクラスブログを利活用していこうではありませんか。