私はここ二十年余り 靖国神社参拝を続けています。この夏の参拝の折り 社頭近くで、思いがけず、若い女性からインタビューを受けました。
「アノー、少しお話聞かせてもらっていいですか?」
「どういうことでしょう?」
「靖国神社にはよくいらっしゃいますか?」
「年二回は来ます。行く末を祈る初詣と過去を省みる八月の二回です。尤も混雑を避けて日にちはずらしています。今年は千鳥ヶ淵の桜の頃にも家の者と来ましたので三回目になります。」
「毎年来られるのは靖国神社に関係することがあったのでしょうか? 学校であまり習わなかったこともあり、私は日本の現代史をよく知りません。それで自分で調べてみたくなり、少し前からここに来て、参拝に来る人々からお話を聞いています。」
「靖国神社に参拝するのは、戦争に征かれ亡くなった方々への礼儀と 私は思っています。けれど現在、靖国神社については、いろいろいう人たちがいます。ですから私は誰も誘いません。一人でお参りを続けています。」
「もう少し詳しく話して下さい。」
私たちはそれぞれの職場に分かれて作業に励んでいましたが、米空軍の来襲によって空襲警報が発令されると基地のはずれに設けられた防空壕に待避しました。そのときはふだん離ればなれの友達とも一緒になり、警報が解除されるまでお喋りしていました。
夏になる頃から、鈴鹿基地では特別攻撃隊を見送ることが多くなりました。霞ヶ浦や木更津の海軍航空基地から九州の鹿屋基地に向かう途中だったのでしょう、鈴鹿で数日を過ごし、また飛び立って行かれるのでした。空襲は次第に激しく、空襲警報の発令は多くなりました。待避壕では特別攻撃隊の方々とご一緒することもありました。今にして思えば、特別攻撃隊は隊長さえ二十代後半です。多くは二十歳そこそこの若さです。待避している間は将棋を指したり、何と言うこともない雑談をして過ごしました、非常の時代に、非情の命令を受けて戦場に向かわれる方々。祖国が危急の淵にたったとき、その国に生まれその国に育った人の務めを回避する者はありません。当時、多くの人々に共有されていた『祖国のために』との想いは、お互いに敢えて口にすることはありません。それだけに私たちの間にはその想いは通い合っていたと信じます。
『この方々が特別攻撃隊だ』と思うと、私にはそのお姿が眩しく思われました。
敗戦を経て世の中は変わりました。生きている人との約束ならば、話し合って変えることもできるでしょう。けれど国の行く末を希い合った死者との誓いは絶対です。変えることはできません。私は靖国神社参拝を続けています。
特別攻撃隊が南の戦場にむかわれる時には、私たちも滑走路の脇に並んで見送りました。『帽振れ』の号令の下、海軍の礼式にしたがい、全員が帽子を振って見送るなか、滑走路の彼方から全開したエンジンの轟音とともに、次々に離陸する零式艦上戦闘機。どの方もどの方も風防を一杯に開き、身体を機外に乗り出すようにして手を振ってゆかれました。そして基地上空を幾度も幾度も旋回されて、飛び去ってゆかれる編隊を見送り、私たちは流れ落ちる涙のなかで帽子を振り続けるのでした。
『このような時代だけれど・・・・』といわれたのか、『このような時代だから・・・・』といわれたのか、今となっては確かめられません。
『勉強しろよ。君たち。』
と空襲下の待避壕で言い残された方も飛び去って逝かれました。」
「私は今 二十四歳ですが・・・・・・・・。」
女性は涙ぐんで紅くなった眼もとをハンカチで抑えています。
そして・・・・・・・・。気づいた私もまたあの日以来、脳裏に鮮烈に焼付いている当時の情景が まざまざと眼前に蘇ってくるのでした。
靖国の社殿近く、参道わきで若い女性と 世代の離れた爺さまとが眼を紅くして話しこんでいるのは、なにか奇異に見えるのかも知れません。行き交う人々のなかには振り返って行かれる方もあるようです。
「もっとお話をうかがいたいのですが・・・・・・・・。」
連絡先を求められました。話し合いたいこと、知って戴きたいことは、私にも多々あります。けれど話すからにはしっかりと受けとめてほしい。しかしその内容はかなり重い。受けとめたことで 女性の心になんらかの影を落とすようなことになれば申し訳ない。私は辞退しました。
「私は名前をいうほどの者ではありませんので・・・・・。
いつかまたお逢いすることがありましたら、ゆっくり話し合いましょう。 今日は話を聞いて戴き、とても嬉しかった。ありがとう。ほんとうにありがとう。」
女性とは別れました。再び逢うことは多分ないでしょう。後になって思いました。このような一期一会もあっていいのではないでしょうか。
六十八年の歳月を隔てて、現代に生きる若い女性が、あの日々の特別攻撃隊の姿に流されたあの涙が、厳しい時代にあって、さまざまに燃えていたであろう青春の想いを、国土護持の一念に 胸深く包み込んで散って逝かれた特別攻撃隊の方々に、せめてもの供養と受けて戴ければ・・・・・ 。
と切に希われるのでした。 合掌