「2011年3月」のアーカイブ

【30号】阪本捷房先生を偲ぶ/宇都宮敏男

阪本捷房先生は昭和42年に東京大学を定年ご退官になり、引続き東京電機大学教授、同学長、同名誉学長として、また株式会社東芝顧問として、まことにお元気でご活躍になっておられました。その阪本先生が昭和61年4月2日東京電機大学入学式にご出席のあと、大学でご休憩中に突然お倒れになったとの報せがあり、続いて救急入院先の駿河台日本大学病院でご逝去との連絡を受け、呆然としてしまいました。

霊安室でご遺体を拝するまでは信じられませんでした。まことに悲しいことですが、同窓会報にこのことを記載し、皆様と共に先生のご冥福をお祈りし、明子夫人はじめご遺族の方々に哀悼の意を捧げたく存します。

先生は明治39年(1906年)7月16日のお生まれなので満79才でした。私の入学した昭和16年頃既に喘息発作で時々休講になることがあり、確か昭和40年には入院なさったこともあったのですが、その後は非常に調子よくご持疾を克服されておられました。その理由は丹念に服薬と健康状態の関係の記録と分析をなさっておられることでした。本年正月にお宅に伺ったとき前歯が摩耗していることを気になさっておられましたが、大部分義歯の私などは思いも及ばぬ程ご丈夫な歯をお持ちで、渋沢先生のようにご長命であろうと期待しておりました。ただ最近は糖尿の気があり、慎重に健康管理をなさっておられることは伺っておりましたが、突然の脳出血が原因で急逝なさるとは全く思い及ばぬことで誠に残念でございます。

阪本先生は昭和4年に東京帝国大学電気工学科を卒業され、同年5月工学部講師、同7年3月助教授、同17年7月には教授となり、ご定年まで38年間東京大学に貢献なさいました。

先生の講義は電磁気測定、高周波工学、電子管回路、通信工学ほか電子通信工学分野を広く担当され、簡潔・明快な講義として定評がありました。ご研究はまさに現代エレクトロニクスの日本における草分けのお一人として、学位を得られた信号変調法、天覧に供せられた光通信、音声、電子回路、超高周波、超低周波、そして後年最もご尽力になった医用電子工学へと展開されました。学科内で昭和19年以来先生が組織し、主宰された高周波談話会は、電力周波数以外のすべての周波数領域に亙るエレクトロニクス研究交流の場であり、多数の若手教員、大学院学生、研究生の研究を励まされました。阪本先生のご研究の成果は私の知る範囲でも23篇の著書、約290篇の論文として、また43件の特許・実用新案の登録となってご公表になりました。

また先生の工学部の発展に対する貢献は絶大であります。第二次大戦頃の通信工学2講座の新設、戦後の新制大学への移行、電子工学科の新設、それに続く工学部大拡充の実現、などの変革期に学科長老として、評議員、工学部長として大層ご尽力になりました。

学会に対するご貢献も枚挙に暇がありません。電気通信学会・テレビジョン学会・電気学会の会長、日本ME学会初代会長に推挙され、また国際医用上体工学連合の会長、IEEE東京支部長もお務めになり、すべて名誉会員に推戴されている事実にとどめます。この他、文部・通産・郵政・厚生の各省の電子工学関連の審議会の委員として、またNHK・NTT・国鉄ほかの顧間として、社会の進展に寄与されました。以上のご功績により勲二等旭日重光章を始め官界・学界の数々の賞をお受けになりました。

大学の教授室に伺うと、先生の書棚は常に整頓され、諸記録の整理には驚嘆するばかりでした。先生は日本将棋連盟6段(追贈)・日本棋院3段で、すばらしい記憶力・思考力をもってあらゆることに当られたことは敬服の一語に尽きます。喜寿を迎えられて「厚みと含み」(昭和58年)、「続厚みと含み」(昭和59年、いずれもコロナ社印刷)をご上梓になりました。拝読すると先生が後進に伝えようとされたことで一杯です。戦後の貧しい世相の中でいち早く東大電気懇話会を組織され、学科内にグンスパーティを持込まれ、学生とブリッジ競技会をなさったなど思い出は尽きません。電気・電子工学科に本年2月にお見えになり、先生の学生時代の講義ノートと先生ご自身の講義録を寄贈されたとのこと、感銘致しました。情報時代を迎えて、人工知能に先生の頭脳のほんの僅かでも移植できればとひそかに思っておりましたが、いまはご本を頼りにするほかありません。

(昭和18年卒 東京大学名誉教授、東京理科大学教授)

<30号 昭61(1986)>

【30号】木を伐らないで年輪を観る/尾上守夫

奈良の大仏殿は今でも世界最大の木造建築物であるが、往時はもっと大きかった。それが火災にかかって何度か建て直しているのである。とりわけ史家の筆に残っているのは平家物語にも出てくる平重衡による南都焼打である。それを歎いた俊乗坊重源は全国を勧進して、見事再建を果した。落慶式には頼朝夫妻が臨帝したと記録にある。義経、弁慶の主従は、この勧進をよそおって安宅の関を通ろうとしたのである。

今の大仏殿でも柱は太く一人ではかかえきれない。その中一本には善根を積んだ人ならくぐり抜けられるという横孔があけてある。当時の柱も同様であったろう。もうその頃でも近畿地方の大木は全て伐りつくされていて竜源は山口県の佐波川上流の山から木を伐り出し、いかだにくんで川を下した。そのいくつかがくずれて沈んだ淵というのがあり、近年引上げられた樹皮を含む破片の年輪を徳山大学の山本武夫先生が調べておられる。それによると伐られる10年前までは年輪の幅が非常に広く、その後急激に狭くなっている。これは当時の西国のひでりを反映しているといわれる。前者は平家の全盛時代、後者は衰亡から減亡時代に当るわけで、平家滅亡は軍事以外にもその地盤である西国の経済の衰退が原因であったことがうかがえる。

もう少しタイムスケールの長い話では米国のリビー博士が後出の屋久杉の試料018の定量から平均気温の推定を行い、日本は平安時代は非常に暖く、逆に15世紀は2度以上も寒冷であったことを見出している。後者については山本先生が公卿の日記にある観桜の記事などから推定したところと見事に一致している。15世紀と言えば応仁の大乱があったときで、平均気温が2度も低いと米は殆どとれなくなるから、やはり経済基盤が崩れて国が乱れたといえそうである。

以上の研究はいずれも切り取られた試料について行われたものである。これが生きている立木や現存の建築の柱を伐らないで行えたら面白いであろう。

同様の話が同期の電力中研生物環境研究所長の中村宏君から持ち込まれた。火力発電所の排煙が周囲の森林の生育に及ぼす影響が問題になり、近頃のことであるからすぐ訴訟にまで発展する。年輪を観て発電所が建った頃からその幅に変異があるかを調べるのが一つの方法だが、伐ってしまったらその木は終りだし、値段も馬鹿にならない。仮に影響があったとしてもその範囲を調べることなどとてもできない。何か旨い非破壊的方法はないかということであった。そこで思い付いたのがX線コンピューター断層法(CT)である。従来のX線写真が3次元立体構造を2次元のフィルムに投影した画像であるのに対して、CTでは各方向からの投影データに計算機処理を施して真の断層像を再構成することが出来る。すでに医学分野では広く使われていて日本だけでも1台数億円の器械が3000台を越している。しかし医学用CTは大型で空調室の中に鎮座していて被験物(人間)をそこにもっていって水平孔に挿入しなければならない。しかし原理は汎用性があるから可搬型の機械をつくって野外にもち出してみようということになって理学電機の協力を得て小口径のものから大口径のものまで3種類のCTをつくってみた。年輪まで観える高解像度の可搬型CTとしては世界に類のないものとなった。

最初は電柱を測ってみたが、枝分れの状況や内部腐朽が如実にわかる。とくに当て木とよばれる異常生長部は実際の断面写真よりよく判る位である。ついで杉の立本を調べてみた。木は心付部と辺材部からなり前者は中心にあって水みちはすでに閉ざされており、水分や養分は辺材部を通っているということを知ってはいたが、CT再構成像の上でそれがくっきり白いドーナツ状のリングとしてうかび上ったのを見たときは生命のあかしを見たように感動した。

その後各種の樹木や箱根の杉並木、あるいは堀の内のお祖師様と呼ばれる妙法寺の祖師堂の柱などを計測して、この可搬型CTが植物生理学、林学、製材電柱検査、年輪年代学、古気候学、環境アセスメントなどに極めて有用であることを確めてきた。

九州南方の屋久島は樹令数千年の屋久杉の天然林で有名であるが、その山奥に縄文杉と名付けられた直径5mの巨大樹がある。一説に樹令7200年といわれ、その年輪にはいわば日本の歴史が刻みつけられているわけである。われわれの機械はまだ長大径1mでとてもこの巨木を入れることはできない。X線源も工業用では最高の350kVを使用しているが、5mでは殆ど通らない。単純な線量計算では測定に800日間を要することになる。しかしリニアックの応用なども考えられるのでいつかはは測ってみたいと夢をいだいている。

医学分野ではX線CTにつづいて核磁気共鳴を利用したMRI-CTの研究が盛んである。これはプロトンしたがって水の分布を見るのに適しており植物生理学で大問題である根と土壌との相互作用を学明する道具になるのではないかと考えて日立公書研の大政博士と研究を行っている。医学用CTを使わしていただいて面白い写真がとれたので昨夏生理的値物生態学に関する日米セミナーで報告した。その後も実験は続けているが前のようなきれいな写真がとれない。MRI-CTが段々人体用に最適化されてきて逆に植物にはむかなくなってきているのかもしれない。やはり借り物では駄目で自前のものをと考えるのだが,、最近は環境問題は下火だし、林業は不振でなかなか研究費のあてがつかない。考えあぐんでいるときに近着の新聞に米国のCE社と農務省とがMRI-CTを使って根の研究を進めているという記事がでていた。残念である。その中縄文杉の方も米国の探険隊が大型X線CTをもってきてはかろうとするのではなかろうか。

(昭和22年卒 東京大学教授、生産技術研究所長)

<30号 昭61(1986)>