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    クラス1959(昭34)

    今年も級会を昨年と同様、5月9日正午に神田錦町の学士会館に集まって開いた。全員が80才のラインを越え、体調の思わしくない仲間も増えて来たが、18名(新田目、稲田、小川、小野、貝淵、菊地、古賀、河野、佐々木、品田、高松、土・・・・つづき

    最後の授業/齋藤嘉博@クラス1955

      Ce matin-la, j’etais tres in retard pouraller a l’ecole  で始まるLa Derni$00E8re Classe『最後の授業』といえばおそらく多くの諸兄がご存知で・・・・つづき

    リトアニア史余談73:ヴィルニュスを訪れた2組の使節団/武田充司@クラス1955

     1324年秋、リトアニアの首都ヴィルニュスを全く対照的な2組の使節団が訪れていた。

    コモ湖周遊/大橋康隆@クラス1955

     2001年8月に北イタリアを旅行した。7月30日朝成田を出発して12時間40分、時差が7時間あるので、夕方にはミラノに到着して一泊した。

    軍艦マーチと煙草の値段/武田充司@クラス1955

     戦時中、あの勇ましい「軍艦マーチ」に歌詞をつけて、 “守るも、攻めるも、黒がねの・・・”と歌っていたのを思い出すが、我ら無邪気な悪ガキどもは、そこに入る前の序奏の部分にも歌詞をつけて、

    7月の花便り/高橋郁雄@クラス1955

      今回はすべて小石川植物園からです。7月4日に撮影しました。

    苔寺と鈴虫寺/齋藤嘉博@クラス1955

      5月の連休直前、桜の時期も過ぎた頃に苔寺を訪れました。

    リトアニア史余談72:ゲディミナス大公と教皇ヨハネス22世/武田充司@クラス1955

     1316年、アヴィニョンでは高齢だが活力溢れる教皇ヨハネス22世が即位したが、その年、ゲディミナスもリトアニア大公となった。

    霧のロンドン/武田充司@クラス1955

     5週間滞在したウォーリントンのオールド・ヴィカリジ・ホテルを引き払って、ロンドン東郊外のエリス(Erith)に落ち着いたのは1962年の11月半ばだった。今度はイギリス人の家庭に下宿した。

    6月の花便り/高橋郁雄@クラス1955

      今回は小石川植物園と大船植物園フラワーセンターからです。

    リトアニア史余談71:略奪と殺戮の十字軍志願者たち/武田充司@クラス1955

      北方の強力な異教徒の国リトアニアとの対決が本格化すると、優れた軍事力を備えたドイツ騎士団も、衆寡敵せず、戦闘員の数的劣勢に悩まされた。

    花だより 撮影同行記/齋藤嘉博@クラス1955

      高橋編集長は2008年以来もう十年、この欄に「花だより」を載せて下さっており、毎月季節の移り変わりと花の名前、由来を楽しませていただいています。

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