最後の授業/齋藤嘉博@クラス1955
記>級会消息 (2017年度, class1955, 消息)
Ce matin-la, j’etais tres in retard pouraller a l’ecole で始まるLa Dernière Classe『最後の授業』といえばおそらく多くの諸兄がご存知でしょう。アルフォンス・ドーデの短編小説月曜物語のなかにある一編です。
この“最後の授業”は私が習ったフランス語の“最初の授業”でもありました。当時は終戦間もないころ。名古屋の八高の校舎は空襲で焼けて跡形もなく、終戦後の授業は知多半島の先端、河和の海軍基地を利用しての事でした。そんな中で普仏戦争に負けたフランスの学校で、アメル先生が「きょうはフランス語の最後の授業です」とチョークを握って大きな字で黒板にフランスばんざいと書かれるという内容はフランス語の勉強以上に学生の気持ちを高ぶらせてくれたものでした。太平洋戦争に負けた我が国では幸いに日本語の教育を禁止するという措置は取られませんでしたが。
講義は、事情を知らない方のためにと自分の病状の概要を話しながら皆の前で腕立て伏せをしてみせ、「いまはこの教室の中で私がもっとも元気だよ」と。そこから始まってバーチャルリアリティの大権威であり、楽しみながら学ぶのが一番と大学にETC(entertainment technology center)を立ち上げた教授は、その途中で突き当たった様々の壁について「壁は本気でない人をあきらめさせるためにある。壁はどれだけ本気かを示すためにあるのです」と夢を達成するためには壁に挑戦することが大切と説かれる。壁に遮られたときに助けてくれた人々への感謝の気持ちを込めて、楽しみながら学ぶことと無重力の体験やディズニーアニメへの参加などを交えながら講義を進められるのでした。特異なものを持て、一生懸命働く、金曜の夜10時も仕事をすること、と若い学生へのアドバイスを盛り込みながらまた「誰でも必ず長所を見せてくれます、何年かかってもそれを待つことです」と。
「この本は最後の講義のつづきでもある」と述べた本も出版されています。講義は教授の人となり、明るさが滲んで楽しく聞くことが出来ますが、本には「講義では話さなかったことを」と両親と子供への愛を大変大切にかつ誇りに思っていること、夫人ジェイへの深い愛情に満ちた日々が強く感じられることなど、様々な思い出を自分史といった形で綴っています。
教師の第一の目標は学生がどのように学ぶかを学ぶ手助けをすること、不満を言い続けて人生を送る人が多いがそこに費やすエネルギーの十分の一を問題解決の知恵にまわしたら物事がいかにうまく進むかに驚くだろう、特異なものを持て、一生懸命働く、人の一番いいところを探すのが大切、悪いところだけの人間はいない」と若い学生に語り掛ける言葉は若者だけでなく人間誰でもの心に響く言葉です。
もう少し早くこの本に出会えたらナアと思い出すのは武蔵野美術大学での私の最終講義です。それは99年1月12日でした。私の主たる授業は映像技術論でしたのでタイトルは「近代メディアの系譜」。しかし他に数学やイベントマネジメント論などいくつかの講義をもっていましたので、その講義を受けた学生たちを含めて大きな1号館104教室にほぼ満席の学生が集まってくれました。
| 終わって沢山の学生さんから花束を頂いて大変うれしい日になったのをこの稿を書きながら思い出しています。しかしもしこの頃にランディ・パウシュ教授の最後の講義を知ったとしたら、私のゼミのテーマであったディズニーのアニメ論を含めて、もっとくだけた楽しいお話ができたのではないかと思い出しているのです。 | ![]() |
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ランディ・パウシュ教授はこの講義の翌年に亡くなられました。
注:もしランディ・バウシュ教授の映像をご覧になりたい方がおられましたらご連絡ください。ディスクをお貸しします。
2017年8月16日 記>級会消息





