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  • コモ湖周遊/大橋康隆@クラス1955

     2001年8月に北イタリアを旅行した。7月30日朝成田を出発して12時間40分、時差が7時間あるので、夕方にはミラノに到着して一泊した。

      7月31日朝8時25分に列車でミラノを出発し、北上して40分後にコモ駅に到着した。駅から東方に進み、ドゥオーモDuomo)広場の近くにあるホテルにリュックを預けて、コモ(Como)の港に行った。参考までにコモ湖の地図を右に示す。
      早速、ベッラージオ(Bellagio)行きのチケットを購入し遊覧船に乗り込んだ。出航して間もなく船の背後からコモの全景を撮影した。(写真1)
    コモ湖の地図.jpg
    コモ湖の地図
      中央に聳えるのがコモ大聖堂である。コモ湖畔の風景は素晴らしく、この旅行前に購入したデジカメの恩恵を満喫した。中でも、レッノ(Lenno)にあるバルビアネッロ邸(Villa del Balbianello)は圧巻だ。(写真2)(写真3)帰国後、F8号の油絵に描き、NEC OB パレット会展に出展した。

    写真1コモ大聖堂.jpg 写真2バルビアネロ邸.jpg 写真3バルビアネロ邸.jpg
    写真1コモ大聖堂 写真2バルビアネッロ邸 写真3バルビアネッロ邸
      ベッラージオに到着すると、これまた何処を撮影しても絵になるのである。石段の坂道では、多くの人が油絵や水彩画を描いていた。私は(写真4)を帰国後F50号の油絵に描いて、2004年の新構造展に出展した。遊覧船から撮影したベッラージオの全景を(写真5)に示す。帰路で撮影したコモ湖畔を(写真6)に示す。この写真をトリミングして、F50号の油絵に描いて、2011年の新構造展に出展した。
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    写真4ベッラージオ 写真5ベッラージオ 写真6コモ湖畔
      8月1日朝から遊覧船に乗り込み、メナッジョ(Menagio)を訪れた。(写真7)は静かな家並みであり、遊覧船から撮影すると(写真8)に示すように華やかな港である。美し過ぎて、私の腕前では油絵に纏めるのは難しく、未だ油絵に描いていない。メナッジョを堪能してから、少し南方のトレメッゾ(Tremezzo)を訪れた。ここから10分ほど遊歩道を歩いて、カルロッタ邸(Villa Carlotta)を訪れた。(写真9)この写真のコモ湖の霞んだ対岸は、前日訪れたベッラージオである。カルロッタ邸の庭園は美しく、コモ湖を展望できるのも素晴らしい。コモの港に帰港してから、さらにコモの東北にあるケーブルカー駅に行き、ブルナーテ(Brunate)山に登った。ここからは、コモを一望できるし、コモ湖の南部を見渡すことが出来る。
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    写真7メナッジョ 写真8メナッジョ 写真9カルロッタ邸
      8月2日朝は、バスでチェルノッビオ(Cernobbio)を訪れた。宿泊していないので、中に入ることは出来なかったが、道路から有名なヴィラ・デステ(Villa d’Este)を撮影した。此処は、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の有名な「舞踏会の手帳」のロケ地である。学生時代に同居していた大西君と映画館で鑑賞した頃を思い出して、感無量であった。当時は、この地を訪れることなど夢のまた夢であった。「舞
    踏会の手帳」では、主演のマリー・ベルが16才の時の舞踏会の手帳を頼りに、昔踊った男性達を次々と訪れるのであるが、ルイ・ジューヴェ、ピエール・ブランシャール、フェルナンデス等の名優とともに、既に亡くなった男性の母親役として大御所のフランソワーズ・ロゼェが出演しており、映画愛好家にとっては、忘れ得ぬ名作である。
      午後は、コモ西北部の海岸にあるヴォルタ博物館(Volta Temple)を訪れた。黒鉛フィルムを研究していた家内は、昔の実験装置や器具を見学出来て大満足だった。
    2 Comments »
    1. 大橋さんの紀行はいつも楽しんで拝見していますが、今回は特に波長の合う話でした。
       コモ湖の美しい景色は、ヨーロッパの貴族達にこよなく愛された事で有名です。
      ところが残念ながら私は此処には未だ行って居りません。1972年にコモ湖へは電車で数十分のミラノに3週間滞在しました。この間に計画もした様ですが何故か行かず仕舞いになりました。その後もこの美しい湖の話は何度も聞き、行きたい思いだけが積もって今日に至った状況です。それが今度は沢山の写真と共に紹介して頂き、何か自分も行けた様な気分にさせて貰いました。
       私の様にミラノに3週間も居て訪ねていないのが居る一方、此処を狙って旅をされたのは流石です。
       映画「舞踏会の手帳」は私も学生時代に見ました。新宿の名画座か池袋の地球座の辺りかと思いますが、若しかすると大橋、大西両兄と同じ頃に見たかも知れません。同じ時代に上映されたペペルモコなどと同様、デヴィヴイエ監督のペシミズムを堪能した記憶です。
       同じく北イタリアを舞台にした映画に、ヘミングウエイ原作のFarewell to Armsがあります。見たのは二度目の映画化(1957)で、主演の志願兵にロック ハドソン、相手役の看護師がジェニファー ジョーンズのアメリカ映画で趣は違いますが、景色に似た処があると思いました。最後が湖をボートでスイスに向かうシーンでしたが、これは隣のマッジョール湖だった気がします。大橋さんもコモ湖へ旅されたら、次はマッジョール湖も行かれたのではと推測して、今後のBLOGに期待しています。

      コメント by 小林 凱 — 2017年8月1日 @ 20:11

    2. イタリア通の小林兄が、コモ湖を訪れていないとは意外な気もしますが、私も同様な経験を数多くしていますので、定年後に挽回するべく努めてきました。次はマッジョール湖と推測されたのは流石で、私もその予定でいます。
      映画の話をすれば限りがありませんが、北イタリアを舞台にした名作は学生時代に数多く見ました。シルバーナマンガノー主演の「苦い米」は強烈でした。「ミラノの奇跡」は1962年に疑似体験しました。米国留学から欧州経由で帰国途中の日曜日に、「終着駅」で有名なローマ駅前の市場で西瓜を立ち食いしていたら、後ろから肩を叩かれました。振り向くとイタリア銀行に勤めてからハーバード大学に留学し、前年のクリスマスに米国人家庭に一緒に招待された友人でした。私が明日はミラノの会社を訪問予定だと言ったところ、彼もミラノ出張予定で同じ航空機に乗ってミラノまで話が盛り上がりました。

      コメント by 大橋康隆 — 2017年8月1日 @ 22:18

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