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    リトアニア史余談95:ヴィルニュス・ラドム協定/武田充司@クラス1955

     ポーランド王ヨガイラの后ヤドヴィガは、1399年6月22日、長女エルジビエタ・ボニファチャを出産したが、不幸にも、その子は生れて3日後に亡くなった。そして、ヤドヴィガ自身もそれから1か月も経たない7月17日に亡くなった・・・・つづき

    近頃思うこと(その46)/沢辺栄一@クラス1955

       「山高きが故に貴からず。樹有るを以って貴しとす。」「人肥たるが故に貴からず。智有るを以って貴しとす。」という言葉を知り、書いてある「実語教」とそれと関連の有る「童子教」に興味を持ち読んでみた。

    11月の花便り/高橋郁雄@クラス1955

      今回も大船植物園フラワーセンターからです。10月29日~11月17日まで菊花大会が開かれていました。6枚すべて11月12日に撮影しました。

    近頃思うこと(その45)/沢辺栄一@クラス1955

      前回のブログでオリンピック委員会(IOC)の気配りの無さを指摘したが、その後、暑さ対策の対応についても気配りの無さを露呈した。

    リトアニア史余談94:ヴォルスクラ川の戦い/武田充司@クラス1955

     ウクライナの首都キエフの東南東300kmほどのところにポルタヴァという都市がある。そこは18世紀初頭の大北方戦争の行方を決した大会戦「ポルタヴァの戦い」があった場所として知られているが、それより310年前の1399年、・・・・つづき

    運転免許返納/齋藤嘉博@クラス1955

      私の自動車免許証は今年の9月18日まで。この機会に免許証を返納しようと決心しました。

    コルマールからリクヴィルへ/大橋康隆@クラス1955

      1998年7月に家内がフランスのストラスブール(Strasbourg)で開催された国際炭素学会(International Carbon Conference)に出席することになったので、前年に定年を迎えた私も同伴す・・・・つづき

    半世紀前の記録から:南アフリカ(4)/小林凱@クラス1955

      このレポートはこの国の各所を訪れているので、再度地図を入れて置きます。(Fig. 1)   今回(1966)の南アフリカ訪問の目的は、この奥地で計画されていたプロジェクトに参加する為の準備でした。 Fig1

    10月の花便り/高橋郁雄@クラス1955

      今回は新宿御苑からと自宅近辺からです。

    クラス1961(昭36)

    本年2月に宅間正夫君が他界された。健康に問題なさそうだったのに突然の訃報でした。武藤君からの言葉「彼とは高校も同じ、仕事も同じ原子力分野で長いつきあいでした。原子力エネルギー利用の論客として活躍する一方、“雷さんと私”な・・・・つづき

    リトアニア史余談93:クリミア遠征とサリーナス条約/武田充司@クラス1955

     1398年夏、ヴィタウタス大公は前年に続いて再びドニエプル川下流の草原地帯に遠征した。このとき、ヴィタウタス率いるリトアニアの遠征軍はクリミア北部からさらに東へ進んでドン川下流域まで達した。そして、ドニエプル川の河口付・・・・つづき

    近頃思うこと(その44)/沢辺栄一@クラス1955

     1964年(昭和39年)の東京オリンピックは晴天に恵まれた10月10日に開会式が挙行された。

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