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  • 半世紀前の記録から:南アフリカ(4)/小林凱@クラス1955

      このレポートはこの国の各所を訪れているので、再度地図を入れて置きます。(Fig. 1)
      今回(1966)の南アフリカ訪問の目的は、この奥地で計画されていたプロジェクトに参加する為の準備でした。
    Fig1.JPG
    Fig1

      入札に備えて調査する内に、現地に付いての色々な知識が必要になって来た。これは当然の事であって、事前見学を希望する者は申し出て許可を取り行う様に指定されていた。私たちは遠い国から来て何も知らないからこれを申し出る事にしたが、問題は現地へ行く手段で陸路は時間が掛かって実際的ではない。当地では普通に飛行機をチャーターして行く様で、その場合は着陸する飛行場も指定されていた。そこで私は代理店として仕事で組んでいる現地の商社の人と二人で出向くことになった。
      飛行機はこの代理店が手配して呉れて、小型機のオーナー兼操縦士の男とアフリカの空を旅する事になった。この操縦士は以前にも使ったことがある様で、本名は忘れたが通称チムニー(煙突)と呼んでた。訳を訊くと会えば判ると笑っていた。
      出発の朝指定されたヨハネスブルグ国際空港へ行った。私は元々町はずれの小さな飛行場辺りを想像して居たので、この指定には驚いた。操縦士に会うと彼は本当にチェンスモーカーで煙草を片時も離さない。渾名の訳は分かったが彼一人で操縦しながら煙草に火などつけて大丈夫か心配になった。飛行機は単発のセスナ機で、座席は前後各2席、前席はチムニー氏と彼のカバンや喫煙道具、後席に我々二人が乗り組んだ。
      私達は暫く誘導路で待って、指示が来てチムニー氏はさあ今だと飛行機を滑走路に移動させたと思うと、すぐに速度を上げ忽ち空中に浮かんだ。
      当日は好天であちこちに雲が浮かんで居るだけで風も穏やかで、高度は2km位かと思うが展望されるアフリカの大地はずっと先まで広大な高原が拡がり、素晴らしい眺めであった。私達は北西の方向、内陸に向かって進んだ。この辺りは搭乗前に見た地図では茶色になって居たが、それは高度を示すもので実際は木や草原の緑に覆われていた。始めは所々に町、或いは建物が見えたがあとはそれも無くなった。私は草原を駆ける動物たちの姿も期待していたが、それが見える事はなかったものの、広大な景色だけで十分に楽しめた。
      暫く飛んだところで、遥かに爆発音が聞こえ花火の様な白煙が見えた。チムニー氏は鉱山の発破の由であの上に居たら一発だが、その場所と時間は聞いているから心配するなと言われた。
      それから間もなく前方に奇妙な景色が現れて来た。それは一辺が数百mもあろうかと思われる巨大な四角形の穴で、丁度エジプトのピラミドを逆さまに掘り出した跡の様な形をしていた。その斜面には地表から底まで並行に階段の様な線が刻まれて、細く見える線上には実際は巨大な重機と思われるものが点の様に置かれていた。階段状の斜面にはコンベアーと思われる線状の設備があり、地上には四角の一辺に沿って鉄道の線路が引かれて居た。
      私達はこの逆ピラミド穴の近くの上空を通過したが、そこから離れてこの様な穴が数個在るのが見えた。私は日本で東北の小坂とか細倉などの鉱山を訪ねた事があるが、そこでは奥深い山の斜面から地中深く坑道が掘られ、トロッコで地上に運ばれた鉱石は山の斜面にある選鉱場で選別され精錬所に運ばれていた。しかし此処はそれとは全く違う鉱山の景観であった。
      この後暫くして私達は指定の飛行場に到着した。ここは雑草の生えた滑走路に吹き流しがある程度の所で、セスナ機を端に置いて迎えの車に乗り換えた。駐機したセスナ機の左に居るのがチムニー氏である。(Fig.2) Fig2.JPG
    Fig2
      それからこの辺りを案内して貰ったが、ずっと平坦な草原と木々で動物に出会う事は無かった。後日この辺りに長期滞在した人の話では、数種類の動物を見かけた様だが、それは滞在した時間の幅も違う。
      見学後、私達は再び素晴らしい眺望を楽しみながらヨハネスブルグ空港へ帰った。上空で待機して管制塔の指示が来ると、チムニー氏はさあ今だと急遽滑走路の上空に移動し、まだ可成り高度がある様に見えたが降下して地表近くでぐっと機首を擡げ軽くトンと着陸した。それから滑走路を少し真っすぐに走っただけで急ぎ横の側道に退避した。後を振り返ると大型の旅客機が轟音を響かせて離陸していった。
      この旅をした後、動物が全く見れなかったと話したら動物園を見に行けと言われた。冗談かと思ったが事務所の日本人の人から一見の価値ありとの話で、次の週末に行ってきた。判った事は日本とは違って広大な敷地に動物が放たれて、人間は遊歩道の様な通路を動物に眺められる様な形で見物していた。この動物と人を視界を妨げない様に仕切るノウハウには感心した。(Fig.3)  またこの動物園では野生動物の餌やりがアトラクションの様で、入園するとそのスケジュールを呉れたが、私は時間の都合が悪かったのか何の餌やりを見たのかよく覚えていません。(Fig.4)
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    Fig3
    Fig4.JPG
    Fig4
      今回のプロジェクトでは、私は先述の現地代理店と組んで仕事をしていたが、この商社は本店がケープタウンで、私はヨハネスブルグの支店と日頃接触していた。11月も後半に入った頃、次の打ち合わせは本店でやりたいと言って来た。これには私がヨハネスブルグしか知らずに帰るのは可哀そうだとの配慮が感じられたので、有難くこの申し出を受けた。JohannesburgとCapeTownの間は、南アフリカ航空の便が日に何便もあり2時間弱のフライトで行ける。数日後私はケープタウンに向かった。 空港から市内ターミナルへのリムジンは0.5Rand(1Rand=¥500)、海に近いこの町は何か空気が優しい感じがして、大航海時代から商業の中心として栄えた歴史が、町を歩く人たちにも残っている様に思われた。バスを降りると代理店のオフイスはすぐ判った。
      午後の打ち合わせの後、夕食会をしてくれるとの事で、その前にホテルに入るため外に出ると街には沢山の人が歩いていた。(Fig.5) 夕食会はオフイス近くのレストランで先方の幹部も出て、ずっと中華の一品料理で過ごしていた私には大変美味であった。特に当地の赤ワインが料理に良く合った様に覚えています。 Fig5.JPG
    Fig5
    Fig6.JPG Fig7.JPG Fig8.JPG
    Fig6 Fig7 Fig8
      翌日は打ち合わせは早めに済ませてケープタウンを案内してくれた。先ず訪れたのはこの街の背後に聳えるテーブルマウンテンで、高さ約1000mの岩山が街を見下ろす様に聳えている。麓まで車で行きロープウェイで山頂に登るとケープタウンの街が真下に見渡せた。(Fig.6)(Fig.7)
      この後山を下りてから少し離れた喜望峰(Cape of Good Hope)の近くに行った。(Fig.8) 岬の先へは公園を徒歩で行くので時間も掛かる由、残念だが割愛してヨハネスブルグに帰った。
      その次週、私は当地での予定を終えて南アフリカを発った。
    2 Comments »
    1. 小林兄の南アフリカのお話は毎回興味深く拝読しています。1966年にこの様な経験をされた貴重な記録です。私は遂に四大陸の一つアフリカを訪れる機会がありませんでした。特に今回は単発のセスナ機に搭乗された勇気に敬意を表します。私も米国出張で、単発の航空機に乗ったことがあります。偶々その前日に、同じ航空便が着陸時に教会の尖塔に接触して墜落しておりましたが、私は知りませんでした。私の座席は、操縦席の後ろでしたが、操縦士とスチュワーデスが、前日の墜落事故の写真が掲載されている新聞を見ながら話をしていたのを見て仰天しました。出張なので、今更降りるわけにもゆかず、着陸時に折れた教会の尖塔を見ながら、生きた心地がしませんでした。1968年には、双発プロペラ機DC3でしたが、アルゼンチンのブエノスアイレスからマルデルプラタまで気流が悪く、機体が斜め下に滑り落ち翼が山の樹木に引っかかるのではないかと思いました。その後もプロペラ機は運航されており、乗る度に冷汗をかきました。。 

      コメント by 大橋康隆 — 2019年11月2日 @ 16:30

    2. 大橋さんのコメント恐縮です。私はそれ迄小型機で飛んだ事が無く、怖いもの知らずで乗りましたが当日は穏やかな日で危ない思い無しで済みました。
       DC3機には私も乗った事があります。1965年インドのカルカッタから内陸のジャムセドプールという町への便で、他に乗客も居ましたが1時間程のフライトは平穏でした。しかしベンガル湾のモンスーン季節に飛んだ時は、Viscount機ですが雷鳴の続く中の飛行で大変怖かった事があります。

      コメント by 小林 凱 — 2019年11月3日 @ 21:13

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