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    リトアニア史余談107:ジャルギリスの戦い/武田充司@クラス1955

     戦いはドイツ騎士団の陣営が放った2発の斉射によって始まった。1410年7月15日の午前9時頃であった。北緯54度に近い北国の夏の夜明けは早く、午前9時といえばもう真つ昼間で、早朝の不安定な天候もおさまり、強い夏の日差し・・・・つづき

    11月の花便り/高橋郁雄@クラス1955

      今回も自宅近辺からのみの取材となりました。花は総て再登場です。新型コロナの感染は拡大中です。皆さん充分に注意して生活して下さい。

    リトアニア史余談106:1410年7月15日、決戦の朝/武田充司@クラス1955

     雨と風の7月14日が暮れ、日付が変わった真夜中、リトアニア・ポーランド連合軍は行動を起した。雨と霧の暗闇の中を移動した彼らは、ドイツ騎士団が陣取っている場所の南東にある小さな湖の畔まで来ると足を止め、その湖の南西端に陣・・・・つづき

    ジュネーブからパリへ/大橋康隆@クラス1955

      1998年7月25日朝、登山電車でグリオン駅を出発し、モントルー駅(Montreux)に7時55分に到着した。ここで急行列車に乗り換え、モントルー駅を8時10分に出発して西に進みジュネーヴ駅(Geneve)に9時20・・・・つづき

    9.10月の花便り/高橋郁雄@クラス1955

      今回も遠方への取材は出来ないで、近場だけの取材となりました。初登場の花は、彼岸花の(ピンク・薄ピンク)で、その他は再登場です。彼岸花は9月30日、金木犀は10月6日撮影でしたので、9.10月の花便りとしました。

    リトアニア史余談105:両軍の探り合いと駆け引き/武田充司@クラス1955

     1410年7月初旬、ドルヴェンツァ河畔のクルツェントニク(*1)を目指して北上するリトアニア・ポーランド連合軍の足取りは重かった。彼らは敵の罠にはまることを恐れて進路を慎重に探りながら進んだ。これに対してドイツ騎士団の・・・・つづき

    モンブランと周辺の旅/大橋康隆@クラス1955

      1998年7月22日朝、ツェルマット駅を氷河特急で8時18分に出発し、北に進みヴィスプ駅(Visp)を経由して西に進み、マルティ二―駅(Martigny)に10時37分に到着した。

    9月の花便り/高橋郁雄@クラス1955

      今回もコロナの関係で遠出はせずに、我が団地内での取材となりました。初雪草だけが初登場で、他の二つは2度目の登場です。

    おじいちゃん/齋藤嘉博@クラス1955

      過日従弟のS君から「こんな記事を見つけました」とメールがありました。私のおじいちゃんが理事をしていた帝國飛行協会の会報の大正十一年正月号に寄稿した「夢に見る空中旅行」という記事です。まず概要を旧仮名遣いのままご紹介し・・・・つづき

    リトアニア史余談104:ヴィタウタスとヨガイラの陽動作戦/武田充司@クラス1955

     プロシャのドイツ騎士団本部攻略を目指すヴィタウタスとヨガイラは、その意図を隠してドイツ騎士団の兵力を分散させるために、休戦協定が切れる6月24日(*1)を待たずに陽動作戦を開始した。

    8月の花便り/高橋郁雄@クラス1955

      コロナ禍のため、今回も近場からの取材報告です。(あべりあ)と(酔芙蓉)は我がグリーンハイツ団地内、(むくげ)は我が団地の隣のマンションの周囲からの取材です。コロナには感染しないようお互いに注意しましょう。

    リトアニア史余談103:開戦前夜の言論“正義の戦いについて”/武田充司@クラス1955

     1410年春、ドイツ騎士団もリトアニアもポーランドも、それぞれ、本格的な戦いの準備に忙しかった。西欧キリスト教世界の支援を得て全面戦争を準備しているドイツ騎士団に対して、ポーランド・リトアニア連合も負けてはいなかった(・・・・つづき

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