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  • モンブランと周辺の旅/大橋康隆@クラス1955

      1998年7月22日朝、ツェルマット駅を氷河特急で8時18分に出発し、北に進みヴィスプ駅(Visp)を経由して西に進み、マルティ二―駅(Martigny)に10時37分に到着した。

      ここでモンブラン特急に乗り換え10時48分に出発し、西南に進み、シャモニー・モンブラン駅(Chamonix-Mont Blanc)に13時14分に到着した。予約してあったホテルに行くと、日本人団体客で溢れ、屋根裏の部屋に案内された。屋根裏部屋の天窓を覗くとモンブランが見えた。(写真1 地図モンブラン周辺.jpg
    地図(モンブラン周辺)
    写真1天窓.jpg 写真2展望台.jpg 写真3銅像.jpg
    写真1(天窓) 写真2(展望台) 写真3(銅像)
      早速ロープウェイでエギーユ・デュ・ミディ(Aiguille du$00A0Midi)に登った。(写真2)霧が深く、イタリア領に行くゴンドラに乗るのを諦めた。急いでシャモニーに降りて市街を探索した。山岳博物館(Musee Alpin)の近くでモンブランを初登頂したバルマ(Balmat)と後援者ソシュール(Saussure)二人の銅像(写真3)を撮影した。ソシュールは近代登山の父と言われるスイス人で装備、資金などを組織的に援助した。
      夕方になってホテルに帰着すると、夕食はホテル内の食堂が満席で、庭先の屋外テーブルに案内された。ここでは私達と同様な外国人観光客達が、日本人の団体客の横暴さに憤慨していた。「私達も日本人ですが、皆さんと同じように扱われているので、全ての日本人が横暴だと思わないでください。」と穴に入りたい思いで釈明した。
    写真4展望台.jpg 写真5モンブラン.jpg 写真6カフェ.jpg
    写真4(展望台) 写真5(モンブラン) 写真6(カフェ)
      7月23日朝は、シャモニーの北西にあるル・ブレヴァン(Le Brevent)にロープウェイで登った。展望台から(写真4)を撮影したが、ここで77才の日本人と遭遇した。奥様は高山病らしく、麓のホテルに置いてきたとのことだが、旅慣れた登山家らしく、カクシャクとしておられた。ここでモンブランの素晴らしい(写真5)を撮影した。近くのカフェでモンブランの勇姿を眺めながら昼食を味わった。(写真6
      ロープウェイで麓に降りて、近くのロータリーで(写真7)を撮影した。この構図が気に入ったので、帰国後、F6号の油絵に描き、NEC OB パレット会に出展した。次いでサン・ミッシェル教会(写真8)とシャモニー市街(写真9)を撮影した。
    写真7モンブラン遠望.jpg 写真8教会.jpg 写真9シャモニー市街.jpg
    写真7(モンブラン遠望) 写真8(教会) 写真9(シャモニー市街)
      シャモニー駅を13時55分に出発して東北に進み、マルティニ―駅に15時29分に到着した。ここで乗り換えてマルティニ―駅を15時37分に出発して北に進みモントルー駅(Montreux)に16時10分に到着。ここから登山電車でグリオン駅(Glion)に17時44分に登り、眺めの良いホテルに宿泊した。
      7月24日は、午前中ロッセ・ド・ナイユ(Rochers de Naye) を訪ね、午後にはシヨン城を観光船で訪れた。クラスブログ2011年1月1日「シヨン城」を参照して頂ければ幸いである。
    1件のコメント »
    1.  私もシャモニーへは、2001年6月に行きました。その時の報告はこのブログの(2009年6月22日号)にありますのでご覧下さい。大橋君の報告のすごいところは、今から22年も前のことを、事細かに(何時何分とか)レポートしているところです。私は2009年の時点で既に細かいことは覚えていませんでした。大橋君の記録のすばらしいところに感服しています。

      コメント by 高橋郁雄 — 2020年10月9日 @ 09:49

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