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    4月の花便り/高橋郁雄@クラス1955

      今回は、世の中のコロナ問題のため、遠出の取材は止めて自宅近辺からの報告となりました。

    リトアニア史余談99:ウグラ川の協定/武田充司@クラス1955 

     1406年、ノヴゴロドはヴィタウタスの軍事的圧力に屈して、ポーランド王ヨガイラの弟レングヴェニスを勤務公としてうけいれた(*1)。これはレングヴェニスにとって2度目のノヴゴロド勤務であった。

    三策/齋藤嘉博@クラス1955

      医師団の強い提言にもかかわらず政策はもたもたして、コロナウィールスの蔓延が止まりません。こうしたなかで30会の延期を早々に決められた小林兄の慧眼に敬服いたします。

    シャフハウゼンからライン滝へ/大橋康隆@クラス1955

      1998年7月15日朝ニュールンベルク駅を9時28分出発し、南西に進みシュトットガルトで乗換え、更に南々西に進んで、シャフハウゼン駅(Schaffhausen)に14時9分に到着した。

    3月の花便り/高橋郁雄@クラス1955

      新型コロナウィルスの感染が拡大しています。その影響で大船植物園フラワーセンターも3月3日~23日まで休園となりました。取材のための外出も遠方は避けて、今月は近場だけの取材となりました。皆様も感染防止に極力ご注力して下・・・・つづき

    リトアニア史余談98:ラツィオンシュの講和/武田充司@クラス1955

     15世紀初頭のドイツ騎士団との戦いは武力衝突ばかりではなかった。互いに自陣営の聖職者や学者など、当時の知的エリートたちを総動員して、自分たちの行為の正当性を西欧キリスト教世界に訴え、理解と共感を得ようとする激しい政治的・・・・つづき

    ニュールンベルクと周辺の旅/大橋康隆@クラス1955

      1998年7月13日朝、ホーエンシュヴァンガウ村のホテルに近いバス停からフュッセン駅に向かった。早朝にも拘わらず多くの観光客が乗車したので驚いた。

    2月の花便り/高橋郁雄@クラス1955

      今回はすべて大船植物園フラワーセンターからです。2月12日に撮影しました。初登場の花は、「冬知らず」と「サイネリア」です。

    ライン下り/齋藤嘉博@クラス1955

      大橋兄が書かれた南ドイツへの旅を拝見して、もう20年も昔のことを想い出しました。ライン下りは多くの諸兄が経験をされていると思います。ボーデン湖に発したラインの流れをマインツからケルンまで185Km、両側に古城や古い街・・・・つづき

    リトアニア史余談97:ジェマイチヤの反乱/武田充司@クラス1955

     1401年3月、ドイツ騎士団の支配を嫌うジェマイチヤの人々が決起し、多くのドイツ人を人質にとってフリーデブルクの城を焼き払った(*1)。すでにジェマイチヤの長老や有力者の多くがドイツ騎士団によってプロシャに連れ去られて・・・・つづき

    ハイデルベルクから白鳥城へ/大橋康隆@クラス1955

      1998年7月10日朝ストラスブール駅を9時8分出発し東方に向かい更に東北に進んでカールスルーエ駅(Karlsruhe)で乗換え、北進してハイデルベルク駅(Heidelberg)に11時16分に到着した。

    1月の花便り/高橋郁雄@クラス1955

      今回は向島百花園からです。1月17日に撮影しました。今回の花はすべて再登場です。

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