リトアニア史余談36:国境の画定と国交断絶/武田充司@クラス1955
記>級会消息 (2014年度, class1955, 消息)
中央リトアニア共和国、すなわち、リトアニアの首都であったヴィルニュスとその周辺地域が、1922年4月、正式にポーランドに併合されたが(※1)、それからほぼ1年を経た1923年3月15日、国際連盟は、ポーランドによる不法・・・・つづき
記>級会消息:
記>級会消息 (2014年度, class1955, 消息)
中央リトアニア共和国、すなわち、リトアニアの首都であったヴィルニュスとその周辺地域が、1922年4月、正式にポーランドに併合されたが(※1)、それからほぼ1年を経た1923年3月15日、国際連盟は、ポーランドによる不法・・・・つづき
区>会員, 記>級会消息 (2014年度, 60年会, class1954, 級会)
昭和29年 3月に工学部分校電気工学科を卒業したクラスの60年会を去る11月 4日(火)正午より「代々木倶楽部(新日鉄系)」において開催しました。入学時28名、卒業時26名(後年時卒業 2名)の同級生のうち、生存者は15・・・・つづき
記>級会消息 (2014年度, class1955, 消息)
私が初めて般若心経に出会ったのは八高での英語のテキストにラフカディオ・ハーンの「耳なし芳一」が使われたときだったと思います。
記>級会消息 (2014年度, class1955, 消息)
花便りをする前に一言、森山兄と納所兄の訃報に接しお悔やみ申し上げます。10月15日と11月15日と相次いでご逝去されたのを聞いて驚いています。お二人ともこのブログの常連であったことを思うと、残念でなりません。大曲兄が言・・・・つづき
記>級会消息 (2014年度, class1955, 消息)
11月25日(火曜)の午後、大野君から電話があって、メールを見たかというので、僕はまだ見ていないというと、納所君が亡くなったのだという。
区>会員, 記>級会消息 (2014年度, 60年会, class1954, 級会)
昭和29年3月に工学部電気工学科を卒業したクラスの60年会を平成26年10月28日に学士会館で開催しました。卒業時同級生は52名でしたが、そのうち16名が他界され、参加者は写真のように20名でした。学部在学中にお世話にな・・・・つづき
昭和22年9月卒のわれわれのクラス会は一工、二工共同で毎年11月11日に開くのが恒例です。前は30名くらい集まったのに、今年の出席はついに3名になりました。そのうち2名は杖のご厄介になってますが、一人は矍鑠として、ゴルフ・・・・つづき
記>級会消息 (2014年度, class1955, 消息)
私の所属している「小平市民オーケストラ」では恒例として2年に1回のペースで年末に合唱団との合同公演を行っており(前回2012年はヘンデルの「メサイア」の抜粋を合唱団と共演)、今年12月はロッシーニ作曲の「スターバト・マ・・・・つづき
記>級会消息 (2014年度, class1955, 消息)
バルト海東岸の不凍港クライペダを擁するクライペダ地域を獲得したいリトアニアにとって、1922年3月に英国の調停案を拒否したことは(※1)、武力によるクライペダ地域の併合という危険な賭けへと自らを追い込む結果となった。
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