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    気ままな人生(26)「2つのアグリ」/小松凱@クラス1955

      今年に入って2つのアグリに取り組んでいます。(1)最初の「アグリ」は、Active Good Life Culture Schoolで、ア・グ・リです。次の「アグリ」は、Agriculture$00A0で、農業(家庭・・・・つづき

    リトアニア史余談70:ニェムナス川下流に進出したドイツ騎士団/武田充司

    $00A0 リトアニアを南東から西に向かって流れる大河ニェムナスは南方から侵攻してくるドイツ騎士団に対する天然の防衛線であった。

    本バカ/武田充司@クラス1955

      先日の東京30会に出席しようと新橋駅の改札口を出たら、あの機関車の置いてある駅前広場で古本市が開かれていたので、つい引っ掛かって10分ほどうろついてしまった。

    巨大城塞からムーラウへ/大橋康隆@クラス1955

      2000年8月18日朝8時20分に列車でクラーゲンフルトを出発し約25分後に巨大城塞ホーホオスターヴィッツ城の遠景が見えてきた。

    4月の花便り/高橋郁雄@クラス1955

      今回の花便りは、すべて大船植物園フラワーセンターからです。4月8日に撮影しました。

    トラム/齋藤嘉博@クラス1955

      前稿“路面電車”には諸兄から楽しいコメントを頂きました。子供の頃は誰でも鉄道模型に魅惑されていました。それだけ路面電車には郷愁があるのでしょうか。

    リトアニア史余談69:ドイツ騎士団本部のマリエンブルク移転/武田充司@クラス1955

    $00A0 ドイツ騎士団がリトアニア侵攻を本格化させたのは14世紀に入ってからだが、その重要な転機となったのは1309年に彼らの本部がポーランド北部のマリエンブルク(*1)に移転して来たことであった。

    春の横浜(東京)30会/齋藤嘉博@クラス1955

      平年ですと3月30日あたり桜はもう八分咲きといったところでしょうが、今年はまだつぼみも固く。そんな30日に恒例、春の横浜(東京)30会が昨年秋と同じ西新橋の新橋亭で開かれました。

    モーニング・ティー/武田充司@クラス1955

      昔、北イングランドのカンバーランド地方の小さな町で4ヶ月ほど暮らしたことがあった。その町はシースケールといって、名の如くアイリッシュ海に面する海岸にあったが、当時、そこにはホテルはなく、ホテルより格下の古びたインが数・・・・つづき

    アルプスを越えてハイリゲンブルートへ/大橋康隆@クラス1955

      2000年8月15日9時の定期バスで、ツェル・アム・ゼーからアルプスを越えてハイリゲンブルートに向かう予定であった。しかし調査不足で、当日は聖母被昇天祭(Maria Himmelfahrt)の祭日であり、12時に出発・・・・つづき

    3月の花便り/高橋郁雄@クラス1955

      今回の花便りは、すべて大船植物園フラワーセンターからです。写真はすべて3月10日に撮影したものです。

    リトアニア史余談68:ヴォリニアとガリチアをめぐる争い/武田充司@クラス1955

     ヴォリニアとガリチアは現在のウクライナ西部の歴史的地域名である。この地域は、10世紀末に現代ロシアの源流であるリューリク朝キエフ・ルーシのウラジーミル聖公が支配して以来、リューリク朝の末裔によって統治されていた(*1)・・・・つづき

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