巨大城塞からムーラウへ/大橋康隆@クラス1955
記>級会消息 (2017年度, class1955, 消息)
2000年8月18日朝8時20分に列車でクラーゲンフルトを出発し約25分後に巨大城塞ホーホオスターヴィッツ城の遠景が見えてきた。
列車が停車したので大慌てでプラットホームに降りたら直ちに列車は発車した。降車したのは家内と私だけだった。ラウンスドルフ駅は次の駅であった。プラットホームと駅名の表示板以外は何もなく、駅員もいなかった。。巨大城塞に向かって歩き出したが、畑の中に迷い込み道がなくなった。止む無くバックして踏切を渡り、鉄道の反対側に出て少し歩くと線路に並行した道路に出た。炎天下で家並みもない道路を次の駅まで大きなリュックを背負って黙々と歩いた。駅に到着してから早目に昼食をとり駅員さんに城に行く道筋を詳細に教えてもらった。今度は間違えることなく巨大城塞の麓に到着して、遠景を撮影した。(写真1)それから山道を登り、城の近くから近景を撮影した。(写真2)最後は2人乗りのロープウェイで頂上の城に到着した。ここからのパノラマは素晴らしかった。(写真3)この写真には乗って来たロープウェイのロープが写っているが、よくぞ壊れずに到着してくれたと改めて安堵した。
写真1 巨大城塞遠景
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写真2$00A0巨大城塞近景
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写真3 巨大城塞から
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城にはトイレがあり、入り口にいた老婆にコインを渡したら、「ヤーパンか?」と尋ねられたので、「ヤー」と答えた。城を見物に来ていた数人の訪問者達も、好奇心に満ちた顔で私達を眺めていたが、勇気ある老婆の質問に答えたので、全員納得して頷いていた。最も老齢のおじいさんが「彼らは世界の果てから(von einem Ende der Welt)来た日本人だ。」とおばあさんに説明していたのが、印象的であった。 |
素晴らしい眺めを堪能したので、下りは元気よく麓に到着した。暫く歩くと大きな岩に腰を下ろして休んでいた老夫婦に出会った。「後どの位で城に着くか?」と尋ねられたので、「登りだが時間はそれ程かからないです。」と答えた。おばあさんは元気よく直ぐに立ち上がったが、おじいさんは肥満気味で中々立ち上がりそうもなく気の毒になった。現在の我々は彼等以上の老齢になっており、当時の状況が鮮明に思い出され身につまされる。
写真4 ウムツーマルクト
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写真5 ムーラウ
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写真6 ムーラウ
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ラウンスドルフ駅を13時30分に出発し1時間10分でウムツーマルクト駅に到着した。(写真4)16時10分に列車を乗り換え16時50分にムーラウ駅に到着した。鉄道はムール川の南に沿って走っており、駅から橋を渡って大急ぎで町の風景を撮影した。(写真5、6)この町の道は敵の攻撃から守るため、くねくねと曲がっているが、景色は趣がある。
(写真7)は帰国後2001年にF50号の油絵に描き、東京都美術館で開催された第73回新構造展に一般応募で入選し出展を果たせた記念すべき作品となった。町の中央にStadtpfarr教会が聳えており、ムール川の橋の奥に見える緑の塔がある建物が市庁舎である。ホテルの夕食は、当地の名物である鹿料理を注文したが、脂が少なくあっさりして健康的であった。
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写真8 タムスヴェーク
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写真9 ムーラウ
St.Leonhard教会
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8月19日朝ムーラウ駅を出発して、約1時間でタムスヴェーク駅に到着した。午前中町を見物しながら南の丘の上にあるSt.Leonhard教会を訪れた。この丘から町を見下ろした風景が(写真8)である。13時にタムスヴェーク駅を出発して14時過ぎにムーラウ駅に帰着した。日没までには十分な時間があったので、ムール川の南側の丘にあるLeonhard池を一周して、St.Leonhard教会(写真9)や、Burg Grunfelsを撮影した。昨日とは異なり静かで落ち着いた雰囲気であった。 |
2017年5月1日 記>級会消息
ミシュランの地図を見ながら拝読しました。ハイリゲンブルートまでは行ったことがありますがそれから先は。あちらでの一駅は1里半ほどはあるでしょう。炎天下を荷物を背に歩くとは若さですネ。よい画材をさがしての旅、脱帽です。
コメント by サイトウ — 2017年5月1日 @ 14:59