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  • 2016年度:

    リトアニア史余談61:キリスト教徒になったヘルクス・マンタス/武田充司@クラス1955

      北ドイツのブラウンシュヴァイク・リューネブルク公オットーは、1240年、ドイツ騎士団に協力してプロシャのナタンギアに遠征し(*1)、人質として捕えた多数のプロシャ人を連れて帰ってきた。その多くは若者で、プロシャ人部族・・・・つづき

    ウィーンからデュルンシュタインへ/大橋康隆@クラス1955

      2000年8月にオーストリア旅行をした。アナログカメラのお世話になった最後の個人旅行になったが、当時は20数本のフィルムをリュックに背負っても苦にならない元気があった。

    7月の花便り/高橋郁雄@クラス1955

      今月の花便りも大船植物園フラワーセンターからです。今回は各種の百合とその他1点を取り上げました。6点すべて7月5日に撮影しました。

    気ままな人生(20):「シニアクラブの後継者を育てる・社交ダンス(1)」/小松凱@クラス1955

      毎週火曜日10時から11時半は、戸塚区の西部の汲沢のマンション集会室(国道1号線の戸塚警察署の(1号線の反対側斜め向かい))で有志の方々と社交ダンスを楽しんで?います。

    クラス1975(昭50)

    40周年記念クラス会を昨年11月に実施後、久方ぶりにミニ懇親会を開催しました。相川、岩滝、海野、津野、町田、和田、渡部の7名が秋葉原の「鮮や一夜」に集合。皆さんの近況報告に話が盛り上がりました。その中でも海野さんがご自身・・・・つづき

    気ままな人生(19)「シニアクラブの後継者を育てる準備」/小松凱@クラス1955

      隣の別荘?にパソコンまで持ち込んでしまったので、これまでの私の部屋は空っぽになってしまいました。

    リトアニア史余談60:ケーニヒスベルク/武田充司@クラス1955

      旧制の教育をうけた人たちの中には、カリーニングラードと言われてもピンとこなくても、「昔のケーニヒスベルクですよ」と言われれば、「そうか、イマヌエル・カントの故郷か」とか、「“ケーニヒスベルクの7つの橋の問題”なんてい・・・・つづき

    ピロリ菌と健康/吉田進@クラス1955

      一昨年、人間ドックを受診したときに、膵臓等に若干問題がありそうな結果がでた。

    仔犬(ニ伸)/斎藤嘉博@クラス1955

      5月のある週末、娘たちがお父さんの米寿のお祝いにと軽井沢での一泊を設定してくれました。

    ブルノと周辺の旅/大橋康隆@クラス1955

      2005年8月14日12時半に列車でブルノ駅に到着した。

    6月の花便り/高橋郁雄@クラス1955

      6月の花便りは、大船植物園フラワーセンターからです。総て6月4日に撮影した写真です。

    リトアニア史余談59:ドイツ騎士団に征服されたプロシャ人/武田充司@クラス1955

      現在のポーランド北東部からロシア領の飛び地カリーニングラード州にかけてのバルト海東岸の低地地帯に古代から居住していた西バルト族はプロシャ人と呼ばれていたが、彼らは絶滅した幻のバルト族である。彼らを絶滅に追いやったのは・・・・つづき

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