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  • Flower to help Japan@クラス1965

    まず、被災地の方々にお見舞い申し上げます。

    東京世田谷区在住の浅井孝弘です。 地震発生から5日間くらいの間の私の見聞したことをメモします。 津波や原発トラブルには触れていません。(書ききれませんので) これはあくまで私自身の体験記です。 震源地と比べたら軽微な影響でしたが、見聞することすべてが生まれて初めてのことなので、書き留めておこうと思います。 お読みになっている皆さんもぜひ投稿して下さい。

    ———-参考———–
    3/11 15:15発表各地震度(その後一部訂正あり)は次をごらんください。 http://www.asahi.com/national/update/0311/TKY201103110285.html
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    大震災概要については「wiki 2011年東北地方太平洋沖地震」で検索して下さい。 一応まとまっています。
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    津波については「津波 動画」で検索するとYoutubeなどに多数投稿されています。
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    ●地震発生時の様子 月曜から木曜まで日本橋にある新聞社系の会社に勤務している。(技術教育のため) 地震が起きた金曜日(3/11)は自宅にいた。 地震は最初は静かだったが、次第に上下動がひどくなり、ガタガタ鳴る音が極端に大きくなった。 食器がぶつかり、こすれあう音だった。 左右に揺れるという感じは少なく、むしろ小刻みな上下動が長い間続いたように思えた。 家のあちこちを見回ったが、体の自由が利かないというほどの揺れではなかった。 家の外に出ると住宅街全体がギシギシ、ガタガタ音を立てていた。 かなりの恐怖感を覚えた。 近所で損傷を受けた家はなかった。 我が家も小さなものが少し落下しただけで、被害は特になかった。

    ●息子(世田谷から中央区に通勤)の話 事務所内は書類散乱、ロックされていた窓が全部開いた。 通りの反対側の接近した二つのビルが揺れ、上の階同士がぶつかりそうだった。世田谷より揺れが大きかったもよう。鉄道はストップしたので事務所に泊った。

    ●家内の話 近くの商店街にいたが、しゃがみこんでしまった。 気分が悪くなったと感じ、救急車を呼んで貰おうかと思った。気が付いたら他の通行人もそうしていたので地震と分かった。

    ●私の実家(神奈川県茅ケ崎市) それほどの揺れではなかった。津波も大したことはなかった。(震度は5弱だったが。)

    ●福島第一原発トラブル 政府は午後7時50分「原子力緊急事態」を発表。 (その後、これほどのトラブルに至るとは思っていなかった。)

    ●月曜(3/14)の都心部の様子 普段利用している小田急は敬遠し、自宅近くから渋谷行きのバスに乗り、ここから地下鉄に入り、職場のある茅場町に向かった。特に混雑はなかった。 日比谷、銀座はガラガラ。(鉄道がほとんど動いていなかったため) 建物や地下街には目に見える被害はなかった。

    ●月曜(3/14)の会社の様子 会社(日本橋茅場町)には半分くらいの人しか出ていなかった。(3/15、16もそんな感じ) ファイルが散乱したそうだが既に整頓されていた。 金曜日(3/11)には帰宅できなかった人も多く、職場には毛布が積まれていた。 自宅まで10kmくらいの人は歩いて帰宅したそうである。 午後には社内ネット掲示板に「今日は早く帰宅して下さい」と出ていた。 私の利用する小田急は新宿経堂間しか運転してなかったので、帰宅時、経堂から50分歩いて帰った。

    ●緊急帰宅セット タイミング良く、半年前に「緊急帰宅セット」が全社員に配布された。 手回し発電機付きのライト兼ラジオ兼サイレン兼携帯電話充電器、サバイバルシート、包帯、薬など入っていた。 こんなセットはドラマの世界と思っていたが、一気に現実の話となった。

    ●計画停電 原子力発電所のトラブルで電力が足りなくなったので、月曜(3/14)から「計画停電」が始まった。 首都圏を5つの地域に分けて輪番で時間を区切って停電する方式で4月下旬まで実施予定という。 結局23区はごく一部の例外を除いてその後実施されていない。

    ●鉄道の運行規制(計画停電のため) 月曜日(3/14)は、首都圏の多くのJR線が全休した。 運転されたのは、東京メトロ、主要JR線(山手線など二、三の路線)、私鉄の都心寄りの区間だった。 私は小田急線を使っているが、新宿・経堂間のみしか運転されない。 自宅から経堂まで2駅歩くことになった。万歩計では5400歩。 これは運の良い方で、多くの通勤者は自宅待機しかなかったようである。

    火曜日(3/15)はほとんどの鉄道路線が運転回数を大きく減らして運行した。 ものすごい混雑で、昭和30年代の通勤電車を思い出した。 なおその後、日を追うにつれ運転区間が拡大された。

    ●品切れした商品 弁当、サンドイッチ、懐中電灯、単一単二乾電池、パン、トイレットペーパー。

    ●ファーストフード 近所のモスバーガーは臨時休業。マクドナルドはドリンクのみ。

    ●秋葉原で買い物 3/13(日)、懐中電灯などをもう少し手持ちしておこうとして秋葉原にでかけた。 ポケットラジオは1万円くらいのものは全部売り切れ。2千円の安いもの(昔風)はあった。 LEDライトは少し残っていた。ただし、使用電池は単三、単四のみ。 非常対策商品はすでにほとんど売り切れていた。 ▲購入したもの ポケットラジオ(単四電池)  手回しライト。手で発電機をまわすだけ。蓄電池はついていない。 手回し発電機で充電するラジオ兼ライト。 ソーラー充電式のラジオ(ものすごく原始的)、結構聞こえる。

    ●通信途絶 大震災の直後から電話や携帯電話が通じないので困った。 知人や親せきと連絡がついたのは震災から4、5日以上後だったと思う。 災害だから通信途絶は当たり前というのはどういうものか。 ●日立市の知人(20日過ぎに連絡がとれた) 電気、電話がやっと通じたら、水道ガスが不通で苦労しているとのことだった。 停電の時困ったのはTVがつかないし、現在の自分たちの状況が把握できないことだったという。 水をもらいに行ってそこで口コミで情報を得たという。 ————————— 以上のメモは大震災発生から4、5日のことです。 その後津波の大被害が徐々に明らかになり、原発のトラブルが拡大していったのはご存知の通りです。長くなるので、ここで筆を置きます。 —————————

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    各位 添付ファイルのお花は、St. Petersburg にある日本総領事館に手向けられたお見舞いです。 ロシアの友人から送られてきましたのでご紹介申し上げます。 荒川 文生・学術博士(技術史)

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