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  • 誤解が生んだ名訳-(下)/寺山進@クラス1955

    Sayonara Home-run
     大リーグの実況放送を見ると、向こうのアナウンサーはホームランが出た時、“good-bye”とか“sayonara”と絶叫することがある。

    日本語の「さよなら本塁打」は、これ一発でゲーム・セットの場合に使う。だがあちらでは、試合途中でもそう云っている。日本語を勘違いしているのかもしれない。しかし、グリーン・モンスターの高いフェンスの上を軽々と越えていくボールは、見上げる外野手を嘲って“good-bye”と云っているように見える。時には外野席の観客に“sayonara”と云いながら場外迄飛んで行くみたいだ・・・。プロのアナウンサーは本来の意味を承知の上で、「日本語由来の英語」として使っているのかもしれない。日本の狭い球場の低い塀を漸く超えるチャチな本塁打とは、豪快さが全く違う。
       「野球」と“base ball”は、似て非なるスポーツなのである。

    真珠湾
     我々世代には「真珠湾攻撃」と“Remember Pearl-Harbor”は、忘れられない言葉だ。辞書では、「湾」は“bay”であり“harbor”は「港」である。中学一年レベルの易しい単語なのに、「真珠湾」が長年にわたって日本語として通用し、今ではどの英和辞書でも“Pearl-Harbor”を引くと「真珠湾」になる。
     開戦早々の戦果の発表時に、海軍の報道部が誤訳したのが事の始まりだという説がある。私はこれに疑問を持った。当時の海軍のエリートの英語力は、外務省並みだった筈である。海軍兵学校を落ちたのが、帝国大学に行って外交官になったりした。そこで当時の大本営発表の原文を当たってみた。
     1) 大本営海軍部発表 昭和十六年十二月八日午後一時
       「帝国海軍は本八日未明布哇方面米国艦隊並に航空兵力に対する決死的大空襲を敢行せり」
    これが「真珠湾攻撃」に関する第一報であるが、大本営の正式発表には「真珠湾攻撃」という言葉は出てこない。「ハワイ空襲」とか「布哇海戦」と称している。以下に関連部分を抜き書きしてみよう。
     2) 大本営海軍部の十二月八日午後八時四十五分発表では、「・・ハワイ空襲において判明せる戦果・・・」
     3) 大本営海軍部十二月九日午前九時発表では、「・・長躯ハワイに決死的大攻撃を敢行し・・・」
     4) 大本営海軍部十二月十八日午後三時発表では、「(一)布哇海戦の戦果に関しては・・・、(二)同海戦において特殊潜航艇・・・真珠港内に決死突入し・・・」。ここでは「真珠港」と訳している。
     5) 昭和十七年三月六日午後三時の大本営発表では「特別攻撃隊の壮烈無比なる真珠湾強襲に関しては・・・真珠湾目指して突進・・・しかし真珠港内に大爆発起り・・・」 と初めて「真珠湾」という言葉が出てくるが、「真珠湾」と「真珠港」を区別している。
     つまり、軍港の前の海面を「真珠湾」と命名したのが事の始まりのようである。実際はこの水域を“bay”とは呼ばないようで、現在のオアフ島の地図にも”Pearl-Bay”は存在しない。地形の説明にはThe canal  between Oahu and Ford とあった。オアフ島とフォード島の間の水路という事になる。日本語の「湾」には「入り海」の意味があり、英語の“harbor”には「船が避難出来るように外海から守られている水面」という意味もある。従って”Pearl-Harbor“を「真珠湾」とするのは必ずしも間違いとは云いきれない。

     しかし、「真珠湾」が人口に膾炙されるのには又別の背景もあると思う。まず「真珠港攻撃」では言いにくくて舌がもつれるが、「真珠湾攻撃」なら言い易い。そのうえ、憧れのハワイの静かな湾内に腰を据える世界最強の米国太平洋艦隊を、一気に撃滅させたというニュースを聞いた時の、日本人のambivalentな感情を表現するのにピッタリである。「真珠」には、静かな湾内にひっそりと生息している様な美しいイメージがある。「真珠」と「湾」とは本質的に言葉の相性が良い。「相性などというあいまいな概念を、突然持ち込まれても困る」と、ご不満な方が居られるかもしれない。しかし、英語にも日本語にも言葉の相性はある。英語学の巨人斎藤秀三郎先生が、その生涯をかけたcollocation(連語)研究の業績を知って欲しい。出版後百年近く経った現在でも「熟語本位 英和中辞典」の価値は、いささかも減じる事がない。

    4 Comments »
    1. 寺山様
       いつもブログを楽しく読ませて頂いています。
       それにしても、全世界を走り廻って商談をまとめたとの事、大変立派な事と敬意を表します。商談や契約には、普段使い慣れていない英語が出てきますので、さぞ大変だったことと思います。
       「四苦八苦の技術者英語(下)」に書かれた、”--会話が成立するのは、Highly educated native Speaker が「日本人相手だぞ」と意識した上で、努力してくれた時だけである。”というのは、私も実感をもって賛同でき、蓋し歴史に残る名言だと思います。
       またの機会を楽しみにしております。           新田

      コメント by 新田義雄 — 2009年7月20日 @ 11:45

    2. 真珠湾=Pearl Harbor という等式に何の疑念も抱かないまま何十年も過ごしてきたけど、指摘されれば確かにオカシイ。
      それと、「真珠湾」という日本語がいつ誕生(?)したかについての真相究明に賭ける貴兄のパワーは素晴らしい。恐れ入りました。寺山兄に脱帽!!!

      コメント by 大曲 恒雄 — 2009年7月20日 @ 21:02

    3. 蛇足
       Pearl Harbor という言葉が出たので、蛇足ながら書きますと、この言葉には、「やられた!」という意味もあります。由来は容易に想像出来ますが、私はアメリカ海軍の隠語だと思っていましたが、ヤフーの辞書でひくと、1、真珠湾 2(大損害をもたらす)真珠湾的奇襲攻撃 とあり、海軍の隠語よりは格が上がっているようです。
       いずれにしましても、この種の言葉を Native Speaker が、早口の中で混ぜられたら、私などは到底理解出来ませんので、寺山さんの言葉は大変実感を持って賛同できます。
       何故この言葉を知っているかといいますと、戦後暫くして、何かの雑誌で、潜水艦イ58号の橋本艦長の手記を読んだからです。イ58号は、テニヤン島へ2種類の原爆を運んだ後、グワム経由フイリッピンに向かう途中の米重巡インデアナポリスを、昭和20年7月29日の深夜、魚雷攻撃をかけ撃沈しました。撃沈の経過が、海軍の軍事法廷にかけられ、橋本艦長が、証言するため11月米軍につれられて渡米しました。(戦後最初に渡米した日本人だそうです。)将校クラブの一室が与えられ、寝ていると、夜中に、「パールハーバー」と怒鳴る声が、時々聞こえ、橋本艦長は、てっきり自分に対する嫌がらせと思って、翌朝、付き添いの将校に尋ねたところ、彼は、「となりに将校用の玉突き場があり、やられた!というときパールハーバーと怒鳴るんですよ。」という事でほっとしたと書いたありました。
       長い蛇足で失礼しました。 新田
       

      コメント by 新田義雄 — 2009年7月23日 @ 11:50

    4.  過分なお褒めのコメント有難う御座いました。又、Pearl Harbor の隠語、私は全く知りませんでしたが、非常に面白く思いました。
       戦時中の日本海軍及び主要な提督に対する評価に関して、日本国内の定説とU.S.Navy のプロ達のものとが大分違うのではないかと、前から感じていました。但し、之には確証がなく状況証拠に基ずく私の推測に過ぎません。
       ただ、友人同士のゲーム中に発する言葉が、憎悪する相手や出来事に関連したものには成り得ないと思います。
       少なくとも日本国内の定説が、阿川弘之の名著「山本五十六」に影響されたのは確かでしょう。しかし、三島由紀夫が”あれは「阿川五十六」だ”と評したほど思い入れたっぷりの一面があるのも事実です。

      コメント by 寺山 進 — 2009年7月27日 @ 08:00

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