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  • 皆既日食での思い出/沢辺栄一@クラス1955

     この7月22日に南西諸島のトカラ列島で皆既日食が観られることが報道されている。

     46年前の昭和38年7月21日に北海道網走近辺で皆既日食があったが、日本本土で観られる20世紀最後の皆既日食であることから、NHK放送陣は絶対に皆既日食の映像を捉え、放送しなければならないと、中継技術部に相談を持ちかけた。
     当時、技術研究所の我々のグループは緊急災害時の映像を空中から撮影し、直ちに放送できるシステムにしなければならないとヘリコプタに搭載する撮像・伝送システムを開発していた。以前は伝送可能距離が4km程度で日時の決まった行事にしか使用できない状態であった。そこで伝送可能距離を伸ばすため、その要素となるパラメータ全てを改善しなければならないと検討した。ヘリコプタ搭載の送信アンテナは従来無指向性であったが地磁気を基準として、ヘリコプタがどのように動こうとも常に受信機に向ける自動指向の送信アンテナを開発したほか、送信電力、FM変調度、受信雑音指数もそれぞれ大幅な改善を図り、全体で約20数dBの改善を図ることができた。その年の初め頃完成し、世田谷にある技術研究所の屋上に受信アンテナを置き、ヘリコプタからの映像を受信したが、千葉県銚子の上空(研究所から約80km)からの映像まで受信ができることを確認した。
     この情報が中継技術部に伝えられていたので、放送陣からの相談に対して中継技術部は飛行機にこの装置を載せ、雲の上に出て日食を撮影すれば、当日雨でも皆既日食を視聴者に届ける事ができると提案し、地上のカメラ2台、飛行機上の1台で日食を撮像する事になった。なお、飛行機に搭載したカメラも技術研究所の他のグループが開発した弁当箱程度の超小型カメラであった。
     飛行機は双発のビーチクラフトで、パイロットは予科練出身の元特攻隊員であった。現在のようにGPSが無いので、私がナビゲーターとして副操縦席に座った。航空機の速度計は対空速度であり、皆既日食帯に1分でも長く飛ぶために対地速度を知る必要があり、放送前の真夜中から近くのNHK北見と釧路ラジオ放送所から電波を発射してもらい、飛行機上で二局からのラジオ電波の方向を検知し、位置を知り、対地速度を測定した。
     当日未明は雨混じりの非常に強い風が吹き、離陸が危ぶまれたが、元特攻隊員のパイロットは予定の出発時刻になったら、躊躇無く女満別飛行場を飛び上がった。NHKの飛行機が最初に離陸し、これを見た各新聞社の飛行機も後に続けとばかり離陸した。金環の黒い太陽を横目で観ながら、担当の仕事をこなしたが、幸いにして放送が始まる頃、地上でも一時的に雲が晴れ、地上と飛行機の両方で皆既日食が撮影でき、「黒い太陽は昇る」と題した生中継の放送は成功裏に終了した。
     放送が終り、女満別飛行場に帰ろうとしたところ、女満別は霧が立ち込め、着陸できないとの情報が入り、千歳空港か、丘珠空港に降りる事になった。雲の上を東南方向に向けて飛行したが、次第にラジオ電波も微弱になり、受信できなくなって、位置が分からなくなってきた。また、計器盤を見るとガソリンゲージが0を指しており、驚いてパイロットにガソリンが無いぞと伝えると、ガソリンタンクを切り替えるのを忘れたといって、切替え、指示がフルになったので安心した。さらに飛行を続けるうちに雲の上に突き出ていた羊蹄山もかなり大きくなり、そろそろ札幌近くではないかと思っていたところ、パイロットが素人の私にそろそろ下降してもよいかなと尋ねてきたので、驚きながらもうそろそろですねと答え、衝突しない事を願いながら雲の中を徐々に下降していった。しばらくして雲の切れ目から林が見え隠れし始め、雲の下に地上の建物が見えて、高度200m位で海岸線を直角に南方向に海上を飛んでいた。苫小牧付近ではないかと推定し、機首を北に向けたところ丁度、駅の上空を飛び、来たことのあるカメラマンが苫小牧駅である事を保証したので、搭乗者全員がほっと胸をなでおろし、数分後、丘珠空港に着陸した。
     研究所から応援した者は機器撤収の後、慰労として休暇が貰え、知床半島、摩周湖等を見物させてもらった。この皆既日食の中継では数多くの色々な新しい体験をさせてもらい、私にとって忘れられない思い出となった。この映像中継装置は世界で初めての航空機からのこの天体撮像のほか、プレオリンピックや、東京オリンピックのマラソンでこれも世界で初めての無中断中継(それ以前はビル陰などにより中継車と中継機器との間の映像伝送ができない箇所が生じた時は選手の映像を中断し、スタジオからの対談などを放送した)および開業する新幹線車内からの中継などこれまでにない新しい中継に用いられた。
      今年の7月22日はのんびりと家のTV受像機で最新の中継技術はどんなものかと期待しながら、皆既日食の放送を観たいと楽しみにしている。

    3 Comments »
    1. 20世紀最後の日本での皆既日食を、双発のビーチクラフトの副操縦席で、ナビゲーターとして映像中継されたとは、貴重な体験ですね。それにしても、新技術の開発にはリスクが付きもので、その恐怖は当事者しか判らないものだと思います。昭和38年頃は、東京オリンピック前で、新技術の開発も、急ピッチで行われました。私もアナログ通信からデジタル通信に配置転換されました。独自の非直線符号器の開発を命じられ「荷重双曲線符号器」などを考案して苦労しましたが、国際標準化の進展とLSI時代を迎えると、ジャンクになってしまいました。

      コメント by 大橋康隆 — 2009年7月13日 @ 21:49

    2.  沢辺さんのこの記事のお蔭で今回の皆既日食の放送がどのように行われるのかを関心を持って見ることが出来ました。プロミネンスなる言葉も内容を理解して覚えることが出来ました。沢辺さんはどのような気持で見ましたか。
       今回のNHKの放送の中で船の上からの中継が成功でしたね。46年前の飛行機の上からの中継が船上中継になったと考えればよいのでしょうか。悪石島と屋久島は運悪く天候が悪くて真っ暗い状況の中継でしたが、これも皆既日食の一面だと理解すれば中継担当者も救われると思います。
       有難うございました。

      コメント by 高橋 郁雄 — 2009年7月23日 @ 07:06

    3. 高橋さんへのお返事が大変遅くなって申し訳ありません。私の今回の皆既日食中継は4箇所からの中継で、平面的にどこかの場所で完全な皆既日食を捉えようとしたもので、ハイビジョンカメラの性能も良くなり、また、衛星通信技術の発展も力となって、昔に比べて番組への予算が多い事もあり、多彩な中継ができ現在に合った番組で良かったと思います。

      コメント by 沢辺栄一 — 2009年7月27日 @ 17:16

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