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  • パソコン思い出話(その2)/大曲恒雄@クラス1955

     Windowsはどんどん改良され、次々に新しいバージョンが出た。

     
    主なものは
     ・Windows95:1995/11/23日本語版発売。本来はWindows4.0に相当するが、戦略的な意図でこのネーミングが採用されたらしい。
    秋葉原の店では当時異例だったカウントダウン&深夜0時発売が行われ、“お祭り騒ぎ”となった。
     ・Windows98:1998/7日本語版発売、これはWindows95のマイナーチェンジ版。
     ・WindowsMe:2000年9月日本語版発売、「Me」はMillenium Editionの意。
     ・WindowsXP:2001/11発売。2002/9にService Pack1(SP1)、2004/9にSP2、2008/7にSP3がリリースされるなど部分改良が逐次行われて超長寿命OSとなり、現在でもまだ使われている。

     このWindowsの進化に見られるPCの高機能化をハード面で支えたのがCPUの高速化とHDDの大容量化/低価格化である。Wikipediaの「CPU年表」によると、1990年代後半はタイトルが「スピード狂時代」となっている。小生はトップスペックのものを追いかける趣味はないが、それでもPC-9821As(1993/4購入)のCPUクロック周波数が33MHzだったのに対して8年後の2001年に自作したPCには1.7GHzのCPUを使っており、単純計算でもクロック周波数がこの間に50倍以上となっている。
     HDDの方は記録密度の向上、高速化等によって急速に大容量化と低価格化が進んだ。上のケースと同じタイムスパンで比較するとPC-9821Asの時に120MBだったHDD容量について2001年の自作PCでは100GBを選んでおり、800倍以上になっている。
     
     さて、PC本体は1996/10にタワー型のPC-9821Xv13に買い換えた。
    タワー型とはPC-9821As(前のレポートの写真2)本体の厚みを2倍、奥行きを1.5倍くらいにしたものを縦置きに使うスタイルで、大型のデスクトップPCや自作PCでは標準的なスタイルである。
     この時は秋葉原まで出かけず、横浜の本町5丁目にあった大塚商会の
    αランドという店で購入した。PC関連製品やパーツを遠出せずに横浜で買えることが分かり、喜んだことを覚えている。タワー型となると自由度は大幅に増し、かなり自由に改造や増設ができた。特にHDDの増設が簡単にできるのは有り難かった。
     ただ問題はCRTモニターの置き場所が別に必要なことで、小型テレビほどもある重いモニターが机のスペースをかなり占領してしまうのが悩みの種であった。

     PC-9821Xv13は気に入ったPCだったが、CPUのクロック周波数が133MHzだったため処理の遅さが次第に気になるようになり、ODP(*1)を使って一時凌ぎをやったりしたがやはり満足できず、遂に1998/12にPCの更新を決断。選んだのがゲートウェイのBTO方式(*2)であった。

     (*1)ODP:Over Drive Processor CPUのクロックを上げて処理速度を稼ぐための仕掛けで、インテルが開発した素子を使ったモジュールを拡張基板スロットに差し込んで使用。
     (*2)BTO:Built to Order 洋服のイージーオーダーのようなもので、主な構成パーツをリストから選んで発注すると東南アジアの工場で組み立てて直送してくれるシステム。納期は1週間くらいだった。

     BTO方式の元祖はデルらしいが、通常のメーカー製PCに比べて構成がより幅広く選択でき、しかも価格が割安で便利なシステムであった。因みに、ゲートウェイはこの方式を主体とする商売で大きく成長したが、後に経営不振となって一時日本市場から撤退した。その後また復活しノートPCなどで頑張っているようである。
     この時の主な仕様は、CPU:450MHzのペンティアムⅡ、メモリ:128MB、HDD:10GB、Windows98インストール済み、など。現在では1TB(1000GB)のHDDが数千円で入手でき数百GB以上積むのがフツーだが、この時代はまだ10GBくらいが標準的だったということらしい。しかし、次に述べるような事情もあってHDDの増設を何回に分けて行い、最終的には75GBまで増やして行った。

     1999年春初孫が誕生、絶好の被写体登場とあって写真とビデオを撮りまくった。お祝いを兼ねて娘夫婦にビデオカメラをプレゼント、「編集は引き受けるからどんどん撮ってくれ」と言い切った手前張り切らざるを得なかった。
     ビデオ編集は、従来「リニア編集」と呼ばれる方式が主流であった。これは単純に言うとVTRを2台使い必要な部分だけをコピーしてまとめる方式で、VTRが2台必要なこと、タイミングを合わせてコピーするのに技術を要すること、それに画質低下の問題などもあって一般アマチュアが気安くやれるものではなかった。これに対して、素材となる画像を一旦PCに保存し、映像編集ソフトを使って編集する「ノンリニアー方式」なるものが開発され、最初は非常に高価であったがちょうどこの頃には手の届く価格の製品も出てくるようになって来た。

     問題はビデオ保存用HDDの容量で、1時間分のビデオをPCに取り込むと15GBほどの容量を必要とする。編集が終わったらテープなどにコピーしてHDDをカラにし、次の編集に移るというスタイルなら問題ないがそうも行かないので、大量のビデオを編集するためには大容量のHDDが必要となる。そのためにビデオ編集専用のHDDを何台か増設して凌いだ。

     2000年6月高校同期の仲間20人とヨーロッパに出かけ、スイス・フランスを巡る12日間の旅をした。旅ビデオ作りは初体験だったが、テープ8本分(正味約7時間)のビデオを撮ってきた。当時の記録によると、約1ヶ月半かけてこれを編集(*3)して2時間弱にまとめ、完成した作品の試写会を開き、ビデオテープのコピーを同行者に配布している。このブログに載せた「セーヌの夕暮れ」(2010/5/1)、「モン・サン・ミッシェル」(2010/9/16)、「マッターホルンを眺める」(2011/5/1)、はこの時に撮ったビデオを再編集したものである。
     (*3)不要/冗長部分のカット、タイトル・字幕・テロップ・BGMの挿入など

     この1ヶ月半の間は旅ビデオ編集に没頭したが、それでも孫ビデオ作成の割り込みを何回かこなしている。また、当然のことながらHDDのやり繰りには随分苦労した。これらのことから、やはりこのPCでは限界だと考えるようになり、遂に2001年春自作に踏み切ることにした。
     自作のことについては、いずれまた改めて書くことにしたい。

    2 Comments »
    1. Windowsとハードウエアの時系列的関係が良くわかりました。小生も PC9821VX13/R16 を使用していました。2000年にWindows Me を購入したのは失敗でした。1年待てば Windows XP の恩恵を早くから享受できたのに、不満を持ちながら Windows Me を5年間も使ってしまいました。パソコンの買い替えは良く勉強して慎重にすべきだと反省しています。

      コメント by 大橋康隆 — 2012年2月2日 @ 21:15

    2. 小生が個人的に始めてパソコンを購入した時期が漸く出て来ました。2001年1月のMeです。そのすぐ後に評判のいいXPが出て来た事などあまり斟酌せずに、ついこの間まで11年間(ここ3年間は2台目として)使って来ました。しかし、ハ-ドの物理的なクラシュにより、いよいよ寿命が尽きました。
      幹事だった卒業50年同窓会直前の2005年夏、突如Meがダウンして慌てました。ファイルをやっとセイブし、裸の状態から何とか復元したのが唯一のトラブルでした。

      コメント by 寺山進 — 2012年2月3日 @ 20:42

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