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  • 近頃思うこと(その26)/沢辺栄一@クラス1955

     最近「なでしこジャパン」の佐々木監督と沢主将が国際サッカー連盟の2011年世界年間最優秀女子チーム監督賞と女子世界最優秀選手にそれぞれ選ばれた。


    大変喜ばしいことである。
     スポーツの世界では世界で高く評価される選手が多くいる。野球のイチロー選手や松坂選手、水泳の北島選手、体操の内村選手、フィギュアスケートの荒川選手など世界のトップレベルで戦っている選手は次々と名前を挙げることができる。芸術の分野でも世界的な指揮者や演奏家、世界的な建築家、世界に通用する伝統工藝家、歌舞伎俳優、科学の分野ではノーベル賞を受賞するクラスの科学者、技術の分野でも世界から高く評価される製品を創る多くの技術者等々、世界で活躍している日本人が居る分野が多く存在する。一方、逆に、政治の分野では日本の評価を下げたり、体面を損なう首相や、日本の中でも批判されたり、何のための政治家なのか分からない政治家が多数いる。先祖から血を受けた同じ日本人なのにどうしてこのように分野によって差が出来てしまうのであろうか。
     少し考えてみたが、各個人が自己評価基準によって行動する人間と他者の評価基準によって動かされる人間との違いではないかと思うようになった。
     スポーツ選手は自己の目標とするレベルに対して現在の自分のレベルを評価し、目標値に向けて切磋琢磨、努力精励している。音楽家も世界の最高レベルの指揮者や演奏家と自己のレベルを比較して最高レベルになるよう己を磨いている。そのほかの芸術家も世界に無い唯一の物を創造するために努力している。同様に科学者、技術者も世界を見回してNo.1やOnly oneを目指して研究や開発を進めている。従って、自己評価基準によって活動する分野では世界的に見て一流な人間が多く育っているように思う。
     それに対し、政治家は自分で世界的な首相になろうと思っても、選挙民から選ばれなくてはならいし、党員からも選出されなければ党首、首相になれない。民主党のように財政状態を考えずに選挙民が喜びそうなマニフェストを公約として掲げ、選挙民に知られたら困る政策は表に出さずに当選しようとする。当選し、政権を取ったら実情を知り、約束したマニフェストを次々と反故にするような結果を招いている。こうなったのは一般選挙民の評価が未熟なのであろうか。19世紀のイギリスの政治家であるディズレーリが確立した立憲政治の基礎は①選挙公約は飽くまでも守らなくてはならない。守れないなら下野すべし。②対立政党の政策を勝手に盗んではならないとしている。このことを一昨年亡くなられた有名な政治学者で経済学者の小室直樹博士から教えられたが、日本ではこれが守られていない。また、現在ギリシャ等で発生している財政問題も他者の評価基準に応じるための人気取り政策の結果と忍耐のできない選挙民の態度であると考えられる。
     一般サラリーマンの社会はトップや上司が部下を評価する。トヨタや花王の会社のようにしっかりした現場力を持ち、公正な評価基準のもとに公正に部下を評価している例は少ないようだ。一般的には上司は気持ちの良い胡麻すり部下を高く評価してしまい、結果として永い間には会社が傾いたり、つぶれたりする。このように他者の評価基準により行動しなければならない分野では良い結果や一流なレベルに到達しにくい状況にあるように思えてならない。
     徳川末期までの武士、武士道の影響を受けた町民、武士道を引き継いだ明治時代の人間は古来からの習慣と伝統により武士道精神を持ち、これが自己の行動生活の評価基準になっていたように思う。特に「名誉」と「恥の文化」をそれぞれの個人が評価基準として所有しており、その基準に背く場合に切腹とか引退を自分から行うのが普通であったように思う。大石内蔵助が祇園で遊びほうけているのに対し、侮辱的な言葉をかけた武士がのちに四十七士の討ち入りを知り、申し訳ないことを言ったと墓の前で切腹した話を聞いたことがある。現在の政界や組織において、過ちを犯したり、ひどい失言を吐いたりしても、自分から進んで辞職したり、引退することが昔に比べて少なくなったように思う。自分から進んで辞職するのではなく、上位の人間やマスコミからの辞めろという言葉によって初めて辞めることが多くなった。自分の不注意や行動で起こした問題を、その問題を直してから辞めるという責任の取り方も多くなったが、自分ではできなかったために生じた問題を直してから辞めるという責任の取り方は変な責任の取り方であると思う。昔に比べ自己評価基準のレベルが下がったように感じている。
     選挙民から選ばれる政治家のレベルを高めるにはどうしたらよいのかと思う一方、日本を良くする信念を持った政治家を選択する選挙民の評価基準を上げるにはどうしたらよいのか、不遜なこととお叱りを受け、また、民主主義から外れると指摘されるであろうが、成人全員を選挙民とするのは適切なのか、適した選挙民を選ぶ方法がないのかと思うこの頃である。

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