クロアチアの旅(その2)/大橋康隆@クラス1955
記>級会消息 (2011年度, class1955, 消息)
2011年6月15日朝、クロアチアのドゥブロヴニクを専用バスで出発し、約3時間後にボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルに到着した。
今回のツアーへ参加した最大の目的は当地を訪れることであった。NEC OB パレット会で油絵のご指導を受けた大久保智弘先生が一昨年92才で逝去されたが、私が強く印象を受けた先生の作品がある。それは、チトー大統領の時代にユーゴスラヴィアを旅行され、モスタルの石橋を描いた作品であった。
この石橋は、 NHKのテレビでも紹介されたように、1993年の内戦で爆破され、最近漸く再建された。川の両岸の住民が仲良く石橋からの飛び込み試合を復活したそうだ。
写真1:内戦の傷跡
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写真2:モスタルの石橋
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油絵:モスタルの町
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モスタルに到着後、野外のレストランで昼食をとり、徒歩で旧市街に入り石橋に向った。途中で内戦の時に桝目状に壁に銃弾を受けた民家が残っていた。(写真1)石橋の近くの店で内戦時の白黒の絵葉書を購入したが、当時の凄惨さがうかがえる。石橋の上に立って大久保先生もここに立たれたのだと感無量であった。(写真2) |
私の力量では石橋を描くのは難しいので、石橋を渡った先の町並みを8号の油絵に描いて、10月下旬にNEC OB パレット会展に出展した。油絵の右奥が石橋に接続している。現在は静かで平和な町であるが、内戦時の民族浄化の犠牲で生まれた子供達が18歳になり、国籍をどうするかで国連も頭をかかえているそうだ。
「世界遺産」モスタルの市内観光の後、専用バスで国境を越え約6時間後にクロアチアのプリトヴィツェに到着し、国立公園内のホテルに宿泊した。国境を越える時は、昔の関所のように苦労する場所がある。今回もスロヴェニア人のドライバーは、6月12日にボスニアのネウムで安く購入したワインを税関に提供して、短時間で通過することに成功したが気の毒であった。
2000年にウイーンから国境を越えてブダペストを訪れた時も、同様な経験をしたことを思い出した。その時は定期便のバスに乗っていたのでドライバーは慣れていた。バスの冷蔵庫から冷えたコカコーラ3箱を税関に担いで行き、短時間でパスポート・チェックが終了した。隣の列にいたロンドンから来た観光バスは、10人位の観光客がバスから降ろされて連行され、観光バスは畑の中の小道に誘導されて待機することになった。何時間待たされるか判らないそうだ。
ブダペストからウイーンに帰るときは不思議な経験をした。直通バスなのに、ブダペストから45分位走行後バスが止まった。故障かと思ったら、年配の夫妻が乗ってきた。今度は税関でフリー・パスであった。途中乗車の年輩の夫妻がVIPであったためらしい。
バルカン半島の風は冷たくて強い。そのため山の高い部分は植物が育たずハゲ山が連なり、6時間のドライヴは退屈する。幸い添乗したガイドさんが、宗教考古学を専攻していたそうで、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は同じ神様であるが、預言者が異なること等、私の知らない話をじっくりと解説してもらい大変勉強になった。
イスラムについては全く知らなかったので大いに認識を改めた。左手にコーラン、右手に剣というのは、キリスト教が宣伝したもので、イスラムでは左手は不浄なので、左手にコーランを持つことはあり得ない。十字軍のやったことや、ユダヤ教を排除するためにナチスに協力した話など、兎に角一神教は排他的だ。その点仏教は多神教で、世界平和に貢献出来ると思った。
先日、教養学部理科一類2B組のクラス会があったが、級友の一人が1月にエジプトを旅行したら、その後で革命が起きて驚いたという近況報告があった。改めてイスラム教の易しい解説書から勉強しているそうだ。現地を訪れて、初めて知らない世界があることに驚くものだ。
2011年11月1日 記>級会消息