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  • クラス1953新(昭28新)

    【学校生活の思い出1(クラス紹介)/錦織 孜】

    私たちは終戦後間もない昭和24年入学の国立新制大学の第1期生です。駒場には旧制第1高等学校の3年生もおり、寮では区分なく同じ部屋で暮らしました。したがって旧制高等学校を1年で追い出された我々にとっては、生活面では旧制高校の延長でありました。

    さて、昭和26年に本郷で勉強するようになり、3号館一階の入り口に近い教室で毎日39人が顔を合わすようになり、実験などを通してどんどん親しくなって行きました。今のように3学科でなく電気工学科一つで、電気、通信の専攻制で、基礎科目はすべて一緒の授業でした。

    旧制高校で3年間きっちり勉強させられなかった私どもの学力については、先生方にとって未知数であったようです。大山(松次郎)先生の授業では「氷室」をどう読むのか聞かれ、ヒムロとは皆知っていましたが、ただ黙々として名調子の授業を聞くばかりでした。尾佐竹先生からは、「戦前戦後と改革の激しい時代をたくみにフィルターを通してすり抜けてきた君たち」という評価を受けていました。

    クラス全体が一つに纏まるきっかけを作ってくれたのは吉田君と伊東君でした。毎昼休みに地下の部屋に集まって吉田君の指導でコーラスの練習を続け、また伊東君から社交ダンスの基本ステップをいくつか習い全員が踊れるようになり、先生方ご夫妻を招待し、われわれは各自で女子大生を説得同伴(ナンパではない)して、ともかくダンスパーティを開いたことを記憶しています。大学卒業後の最初の東大電気の同窓会にはクラスのほとんどが出席して大先輩の前で曲は忘れましたが合唱して喝采を受けました。

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