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  • クラス1953新(昭28新)

    【神話の国出雲の旅(2)/錦織 孜】

    2.第2日目(松江城ー武家屋敷ー小泉八雲記念館ー堀川めぐりー八重垣神社ー神魂神社ー熊野大社ー由志苑ー松江宍道湖温泉

    5月21日曇り時々雨。

    松江城

    9時に旅館を出立し、宍道湖畔を走って松江に向かう。左手に嫁が島が宍道湖に浮かんで見える。いつもながら心が和む風景である。宍道湖大橋を渡ってしばらく行くと松江城にいたる。松江は大戦のときにも戦火を受けていないので、1611年に堀尾吉春が築城してほぼ400年経つが桃山初期の城郭の特徴を残している。5層6階の天守閣からは、南に嫁が島と西に広がる宍道湖の大展望となり、東は淞高生時代にメッチェン山と名づけて愛した嵩山の右手奥に出雲富士(大山)が見えるはずだがあいにく雲に遮られて見えなかった。

    武家屋敷ー小泉八雲記念館

    松江城から内堀を渡って塩見縄手(松江藩中老塩見小兵衛の名前にちなんでつけられた道)に出る。武家屋敷は600石程度の中級藩士が住んでいた家で、武士の生活様式がうかがえるように調度品なと展示されていた。

    小泉八雲の旧居は武家屋敷の一つであるが、今回は入れず覗き見をしただけ。記念館は少し離れて同じ並びにある。小泉八雲の生涯、ゼツとの生活など展示。ここで友人に頼まれていた小泉八雲の系図や写真が載った文学アルバム小泉八雲を購入した。この本によると旧制松江中学は尋常中学校、旧制第5高等学校は第5高等中学校とある。(いずれも八雲の赴任校)。

    宍道湖畔のふじな亭で松平不昧公好みの「鯛めし」をいただく。再び堀川に戻る。

    堀川めぐり

    松江城を取り囲む堀川を遊覧船でめぐる。40-50分の所要時間で、水郷松江の美しい眺めが堪能できる。堀の両岸を彩る花、重々しく松の翠を映す堀の水、昔のイメージが浮かび上がる塩見縄手の武家屋敷、天高く聳える千鳥城(松江城)、間口が狭く奥行きが深い商家の並びなどなど。

    八重垣神社

    スサノオノミコトが八岐大蛇退治のとき,大杉の周りに八重垣を作って櫛稲田姫命を隠した。大蛇退治の後、親の許しを得てここに宮造りをして夫婦になった。この故事から縁結びの神としてあがめられた。

    鏡の池は稲田命が姿を映した場所である。社務所で縁占いの和紙を求め、この上にお金をおいていかに浮かべるとお告げの文字が現れ、お金が早く沈めば早く良縁がまとまり、遅く沈むと縁が遠く、沈んだ場所で近くの人か遠くの人かを占う。若い娘さんが真剣に占っていた。

    神魂神社(かもすじんじゃ)

    「神霊の鎮まり坐す所」つまり神坐所(かみますどころ)がカンマスになり、カモスとなったと言われている。本殿は現存する最古の大社造り建造物で国宝に指定されている。

    社伝では、出雲大社のところでで記した千家、北島両国造の先祖、天穂日命の子孫が25代までここに住んで、出雲国造と意宇郡司を兼ね熊野大社と出雲大社の祭祀を行っていた。延暦17年(796年)に兼務が禁じられ、杵築(今の出雲大社付近)に移住させられた。それぞれの家の代替わりには、この神社と熊野大社に出かけて神火相続に式が今でもずっと行われている。

    ここで質問がでた。そもそも国引きと国譲りは時期的に一緒なのか、別な時代な話なのかわからない、国造と出雲国府との関係はどうなのか。濱崎君が明快にに説明してくてくれた。

    弥生から古墳時代にかけ大きな勢力を持っていた出雲氏がヤマト王権から出雲国造に任命されていた。大化の改新で国造制は廃止されたが、出雲と紀伊の国造は残された。中央集権の時代では国府の権限が勝っていたであろう。

    熊野大社

    松江市から南16kmの山間に鎮座している社に行く。意宇川にかかる朱塗りの橋「八雲橋」を渡って入る。

    出雲国一之宮で、主祭神は神祖熊野大神櫛御気命(スサノオノミコトの尊称)で、右に稲田姫命、左にイザナミノミコトが祭られている。参道の脇にさざれ石があり、碑に君が代が彫りつけられている。苔の生すまで長生きはしないけど、健康を祝して記念撮影。

    大根島の由志苑

    由緒ある神社を立て続けに3か所も回ると、体中に緊張感がみなぎってくる。時間も多少あることだし、精神的にもくつろぎを求めて大根島の牡丹の庭園「由志苑」に行くことにした。父由蔵が夢見た庭園作りの志を継いで作ったというのが名前の由来という。成功した孝行息子は現在でもいるのだ。

    園内はよく手入れされ四季それぞれに花が楽しめるが、牡丹はいつ行っても鑑賞できるよう管理されている。大根島のもう一つの特産は高麗人参である。江戸期から栽培されていた。大根が特産でないのになぜ大根島なのか。出雲国風土記にある「たこ島」から来たという説も有力である。

    宍道湖畔温泉旅館「なにわ一水」へ

    美しい庭園と花で和んだ気持で松江宍道湖温泉の旅館に向かう。夕日百景のひとつにあげられる宍道湖の夕日がみれないのは残念であった。

    温泉にゆっくりつかって疲れを癒し、宍道湖の七珍料理ではなかったが、郷土料理を満喫する。第1日目と同じく話は大いに弾んだが、老人の頭には残っていない。残念である。

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