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  • クラス1953新(昭28新)

    【視力障害に挑戦(2)ーどう見えるー/錦織 孜】

    「加齢黄斑変性症になるとどう見える(再現実験)」

    インターネットで紹介されている黄斑部の断面図や見え方のサンプルをみて、人それぞれ違うのだと思う。したがってここで示す寫眞は私が見えている状態を寫眞加工用ソフト(Photoshop CS5)を使って再現したものである。明暗は記憶に頼って調整できるが、色調は色そのものが正常時代と違ったようなので、とんでもない色で再現されているかもしれない。悪しからず。最初は白紙に印刷された文章 次に、明るい場所、暗い場所、について紹介しよう。

    以下すべての写真はクリックすると拡大できます。

    「文字」

    新聞や書籍のように白紙に印刷された文字は、読もうと思って見つめると、そこが丸く光って中にあった文字は光の中に溶け込んだように消えていく。周りに文字があるのだが、そのままではなんという字か認識できない。読もうと思って目を向けると消えていく。

    ルーぺやパソコン画面上で見えなくなった場所の文字を拡大していくと、約1cm角に大きくすると光っていた場所にぱっと文字が浮かんできて読むことができる。っしたがって10年位前は1.7倍程度の一般に市販されているルーペんで問題なかった。しかし黄斑部に液体の滲出がひどくなったり、出血した後は、レンズの倍率が高いもの(3.5倍以内)でLED付けで明るく照らさないと読めなくなってきた。

    暗いバック地に白文字の場合は光ることがないので、テレビでは、表示されているチャネル番号、時刻、字幕などは何とか読むことができる。

    「明るい場所での見え方」

    順光の場合

    9月下旬、萩の花、彼岸花を求めて北鎌倉を訪れた。どちらもお目にかかれなかったが、秋を満喫した。毎年10月か11月訪れて紅葉を愛でているところだ。カメラがとらえたままの画像を右に示す。残念ながらわが目はこのようには見えない。右下の寫眞のようにくすぶったものになる。

     

     

    色あせたセピアの世界にも慣れた。明るいところはギラギラと白く光り、シャドウ部は真っ暗、中間部といわれる部分も真っ黒で、全体的に焦点が甘く、白っぽい霧がかかる。時々印象派のさる著名な画家を思いながら見ることにしている。道で誰か知っている人とすれ違っても、顔が見えなくて知人だと気が付かない。誰かと判別するには1m以内に近づかないとわからない。

    逆光の世界

    加齢黄斑変性症が進んでから、逆光の世界が楽しくなった。色づいた葉っぱを通り抜けた光、水面での光の演出 が美しい。左は普通の寫眞。

    右は黄金色に輝く逆光の世界。特に加齢黄斑変性症になって2,3年前から強烈に感ずるようになった。

    「暗い場所での見え方」

    美術館、博物館は部屋が暗くしてあるので、展示物も、説明書きも見えない。高い金を払って何も見られなかったことが何回もあった。最近は妻だけ入って私は外で庭を散歩することに決めた。

    夕方少しだけ暗くなったとき、外へ出ると真っ暗で懐中電灯がないと歩くことができない。普通の人なら道路が見えるはずである。テレビ画面で木陰で光が少ない場面と、暗いけど白い服装で明暗がはっきりした画面を再現してみよう。

    普通の人なら外の森の中でも十分に人の顔が認識できる。 左と同じ条件だが、加齢黄斑変性症のものにとっては、暗闇で人物が殆ど見えない。
    暗いバックだが白い部分が際立って明るく十分文字内容もわかるだろう。 加齢黄斑変性症の人にとって像がぼやけ少し文字が読みにくい。

    上記の実験は、ソフトを使って光の状況を変化させ、自分が見えている状態と同じと思われる状況が再現できたなら、可逆的に考えて正常に見えるような電子的な」フィルターが得られるのではないか。病んだ目を通して入った情報は多くの情報失ったものなので復元はできない。しかしカメラの生情報なら十分な情報を持っているはずで、目で弱くなる情報を増幅することで復元できるという仮説をしばらく信じて余生を楽しく過ごすことにしよう。

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