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  • 半世紀前の記録からーアテネ2/小林凱@クラス1955

      1966年7月下旬思いがけない1日の旅でギリシャのアテネに着いた。(その経緯は前回のアテネ1を参照下さい)ここで夜半過ぎの便で南アフリカへ向かうまでの時間をどの様に有効に使うのか課題であった。

      アテネで何も判らない私がウロウロする事を懸念した旅行代理店が、カイロを発つ前に航空会社に言って休憩できる宿を手配して呉れたのが助かった。空港でホテル名を聞いて市内に着くと先ず宿に行った。聞いた通りアテネの中心部でバス発着や案内所に近く、寝る部屋以外は簡素な宿であった。 Hotel Lycabette, 6 Valaoritou Str. 代金は150ドラクマ(Drs, 1Drs=12Yen)で、他の経費等含め175Drsを支払い荷物を置いて案内所へ行った。
      今回急に来ることが出来たものの、何処へ行くのが良いかは直ぐに判らない。ギリシャは数千年前に高い文化が開花した所だと言っても、この地に付いての具体的な知識が全く無い状態で来た事は反省だった。
     此処で思い出すのが1961年封切りの映画「日曜はダメよ」(Never on Sunday)で、これをご覧になった方も居られると思う。また映画は見なくともサウンドトラックの音楽が日本で大ヒットしたから、そちらはご存知の方は多いかと思う。
     この映画は監督.脚本.それに出演がジュールス ダッシン(Jules Dassin)、主演女優がメリーナ メルコウリ(Melina Mercouriー彼女は後にギリシャの文化大臣を務める大物女優)。映画の舞台はアテネの隣の港町ピレウス(Piraeus)で、其処に住む女 Ilyaを中心に起きる喜劇だが、このタイトルの説明は省きます。この映画から私は当地の人たちへの先入観を持っていた様だが、1日を過ごしてアバウトな所はそれ相応の経験をしたが、それ以外のところは良く判らないというのが実感だった。
      兎も当地の情報が少ないので、一般的なツアーを調べ時間的に合えば良しとしてそれ以上の探索はしなかった。案内所で勧められたのはCondensed Tourで値段は110ドラクマ、出発AM 9:00-PM 1:00帰着で、時間が無いから急ぎ購入してバスに行けと言われた。これはアテネ市内で王宮、国立考古学博物館、ゼウスの神殿などを見てから、アクロポリスの丘に登りパルテノンの神殿へ行くもので、始めてアテネへ来た者に一通り主な所が入っているツアーの様であった。
      此処でTemple of Olympian Zeus (Fig.1)は見事であったが、次の博物館では著名だと説明されたが半世紀後では殆ど記憶に残っていない。どうも私の解釈だが、その前日のカイロの博物館で余りに迫力ある展示を見たので、これに記憶が占拠されて他の事はどこかへ行って仕舞った様だ。残念だが記憶容量に限り有る身では致し方ない。
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    Fig1
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    Fig2 Fig3 Fig4
      この後バスはアクロポリスの丘に向かったが、ここでは随所に工事中のサインがあり神殿の遥か下で降ろされ、坂道を延々と上って行った。(Fig.2) その道は整備されて居らず石ころだらけで歩き難い事この上なく、観光客はガイドの後について黙々と炎天下を登って行った。丘の上にパルテノンの神殿があり其処からの眺めは壮観であったが、神殿を廻る参観ルートや現地の説明も良く整備されていなかった。恐らくその後この状況は変わって居ると想像します。(Fig.3) 市内に戻ると中心部は沢山の観光客で賑わっていた。(Fig.4)
      私はこの後南アフリカへ向かう便のアテネ発時間も考えて、その間を埋める様に夕方のツアーを購入していたので先ず宿で一休みした。少し寝てから早めに夕食を済ませようと出掛けて、沢山の店が歩道にテーブルを並べている内の一つに座った。
     給仕が来たので簡単に済ませたいからと言って、すぐ出来ると推奨されたオムレツ料理を注文した。それから前を行き交う人々をぼんやり眺めて居たが、一向に料理がやって来ない。心配になって給仕に私の食事はどうなったか訊いた処、私から注文は受けていないと言う。それに今からの注文には人も混んで来たから時間が掛るなどと言う。些か困ったなと思った時、私のすぐ後ろのテーブルから思い掛けない声が掛った。
    ”彼は注文している!”
    声の主は私のすぐ後ろのテーブルで本か新聞を読んでいた男性であった。この一言は給仕に向かって投げかけられて、驚いて男性を見た給仕にとどめの一言が続いた。
    ”彼が注文したのを私は聞いている。”
    給仕は慌てて店内に消えた。私がお礼を言おうと立ち上がろうとするのを、気配を察したのか男性は身振りで制止した。”その儀には及ばず”という事か。お蔭で程なくして料理が運ばれて来て、私はすっかり良い気分になって食事を済ませた。
    (注)この部分の遣り取りは英語です。私はギリシャ語は判りません。
      この夜のツアーは、”Sound and Light”なる名前で値段は120Drs($4.00)、時間は出発08:30pmー11:30pm帰着であった。丘の上の野外ステージへ案内され先ず若い女性のGreek Folk Danceでこれは良かったが、本番は題名は残っていないが、副題に”Spectacle to bring you to the live moments of Ancient Greek History”とある野外劇で、台詞は英語というがこれが良く判らない。観客にストーリーは周知の様だが、それを知らない私にとっては致し方なく、ただその雰囲気を味わう結果となった。
     野外劇場の後私たちはバスで古い海岸の町、Turkolimanoに連れていかれ、鈍い照明に浮かび上がる曲がりくねった海岸の道と漁港をドライブした。
     この雰囲気は風情があって良かったが、私はこの辺りからバスの遅れとフライトの時間が気になって居た。少し遊びすぎたかなとの反省もあった。
     
      約30分遅れて観光バスは帰着した。市中ターミナル発の空港バスには殆ど時間が無かったからこれは諦めて、宿に走って荷物を取ると表通りでタクシーを拾った。空港への道は良く空いて居り、余裕を残してアテネ空港に着いた。タクシーを払ったらこの朝両替したドラクマ貨はほぼ消えて小銭が少し残った。
     アリタリア航空のAZ508便はアテネ発02:10、その後ケニアのナイロビに立ち寄り此処を09:30発、目的地の南アのヨハネスブルグには12:15に到着の予定で、これは時間通りに来ると言われた。木曜日までカイロでの用事があったが、その後の2日間は本当に良くあちこち動いたとの実感であった。
     搭乗したアリタリア航空は次のナイロビを離陸後天候が良いからと少し回り道して、タンザニア国境にあるキリマンジェロ上空に行き、山上を周ってから目的地に向かった。私は窓際席でなかったので山頂は断片的にしか見れなかったが、ヘミングウェイの作品にある景色が見れたと喜んだ。
    1件のコメント »
    1. アテネでCondensed Tourに参加された勇気に拍手喝采です。当時の海外出張は命がけでした。海外での週末の有効活用は、相手がいないので当然ですが、帰国すると週末だけが強調され、身を危険にさらして仕事をしたことは評価されませんでした。私はジュネーブ出張の帰路、一度だけ南回りで帰国したことがあります。その時、アテネの飛行場に急降下着陸しました。理由は分かりませんが、外出できず残念でした。いずれ訪れる機会があると思っていましたが、遂になくFig.1~4の貴重な写真を感慨深く眺めました。
      キリマンジェロ上空から、断片的でも山頂を眺められ、素晴らしい経験をされましたね。私は、チリ出張の帰路、天候と航空会社のサービスに恵まれ、アンデス山脈を真上から眺め、硫黄の噴火口まで撮影しました。

      コメント by 大橋康隆 — 2018年11月17日 @ 16:03

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