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  • フォエヴァーヤング/斎藤嘉博@クラス1955

      前夜は21号台風による大阪の大被害、そして今朝は北海道胆振の大地震と大ニュース連続の日に、高橋さんのフォエヴァーヤングを見てきました。過日高橋編集長から頂いたメールとひろしさんのHPをみて、面白そうと思ったからです。

      パンフには「都内のワンルームで一人暮らしの高橋さん。その彼に「生」への疑問がわいて悩んでいるとき、あるきっかけで演劇への登竜門と看板をかかげるスタジオへ通います。若い人たちとの交流のなかで高橋さんは次第に「生」へのあこがれを感じていく」とあります。さてその芝居が身につまされることになるのか、あるいは一笑にふされるのかと半信半疑。
      浅草といえば古川ロッパ、エノケン、阪妻といった往年の名優がのぼりはためく芝居小屋で一世を風靡した街。しかし今の雷門近辺は映画館も消えて、大きな提灯と仲見世の雑踏を撮ろうとする沢山の外国人が集まる街。 浅草1(88%).jpg
      観音様にお参りをしてその先、花やしきの裏手にある浅草九劇場へ。三方を百席ほどの椅子に囲まれた舞台は20畳ほどの平土間。演劇を身近に感じられるのでファンには格好のつくりです。
      序幕は高橋さんの部屋。毎日退屈で、生きるべきか死ぬべきかとシェクスピアの誰か、あるいは私自身のように無聊を囲う日々。
      暗転して次の幕は演劇学校のスタジオ。男女が跳び回り、抱き合って芝居の稽古。皆がそれぞれに舞台への深遠な考え、自分の生き方を声高に主張し、意見は分かれてつかみ合いまで始まります。 浅草2(88%).jpg
      しかしこうした「ギリギリの精神状態に追い込まれながらも人間であることの本質を問われるレッスン」(パンフ)のなかで若い人たちがしゃべる早い口調は、耳に手をあてて一生懸命に聴こうとしても残念ながら私の耳には二割ほどしか入らないのです。したがってこのお芝居の重要かつ深遠な核心はわからずしまいでした、でも私は往年ムサビの研究室で学生たちと喧々諤々、ディズニー論争をしていた頃を想い出しながらこの芝居を楽しんでいました。終演後、書いたものでもあればと受付で台本ないの?と聞きましたら、ありません。
      終幕は再び部屋に寝ている高橋さん。いろいろ気を使ってくれている子供たちのなかで目を覚ました高橋さんは、現実だったのか夢を見ていたのかわかりませんが、立ち上がって伸びをしながら「やっぱり元気に生きるかア」と大きく伸びをして終幕になります。そして暗転のあと、カーテンのないカーテンコールで全員が元気に歌声。ひろしさんが若い人たちをひっぱりながら舞台一杯に活躍する姿が印象的でした。
      というわけで肝心な台本作家の意図の大部分は闇のなかでしたが、大変爽やかな気分で帰りの銀座線に乗ることができました。若い人たちが全力で自分をぶつける舞台は見ていて気持ちがいいですネ。齢をとれば体の具合も気持ちも低下するのが当たり前。そのなかで勇気をだして演劇のスタジオに出向いた高橋さんの心意気がこの芝居のツボでしょう。そこでは若い人たちが年齢に関係なく、でも年上の人にはちょっとした敬意を表しながら元気にレッスンを励んでいました。若いっていいナと思いますが、やはり年寄りでも家の中に引きこもらないで外に出て歩くこと、若い世間と話をすることが必要でしょう。外にでれば電車の乗り降りにも気を使いますし、中吊りの広告を見て社会の動きがわかります。いや体調が不十分な方でもこのブログというスタジオに出向くこともできましょう。私ももう一息頑張って若い人たちを応援し、若い人たちへの負の遺産を作らないようにしなくてはとおもっていますが。
      ひろしさん、いつまでも元気で若い人たちを指導してくださいますように。
    1件のコメント »
    1.  「フォエヴァーヤング」を観劇して下さり有難うございました。同じ日に私は最前列で観劇しました。最前列にいたのですが、耳が遠くセリフが殆ど聞き取れませんでしたが、最後の「やっぱり元気に生きるかァ」は聞こえました。「身寄りのない生きる希望を失いがちな老人でも外に出て、若い人と接触してそれなりの活動をすれば生きる希望を持てるよ」ということを言いたかったのではないかと思っています。

      コメント by 高橋郁雄 — 2018年9月15日 @ 21:33

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