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  • 近頃思うこと(その34)/沢辺栄一@クラス1955

     21世紀は日本ではスポーツの世紀ではないかと思われるほどマスコミでのスポーツを取り上げる頻度が高いように思われる。

    NHKのニュースで毎日の普通のニュースの時間に野球の大谷選手の日々の結果を報じているが、スポーツニュースの時間に報ずれば良いのではないかと思っている。放送は時間を如何に何で埋めるかということが仕事である。大谷の行動を報道するより、もっと大事な放送すべきニュースがあるのではないかと最近感じている。
     ところで、トップクラスのスポーツ選手が試合前や試合後のインタービューで、この1、2年に特に多くなった発言で「試合を楽しみたい、試合を楽しんだ」と言う言葉をよく聞くが、「楽しむ」と言う言葉を私はいつも不適切な言葉として感じている。余裕を示しているのか、使命感を反らしているのか不明であるが、本当の気持ちを表していないのではないかと思っている。
     「武士が真剣勝負を行う場合、武術のレベルが高い方が勝つ、武術が同じ場合は体力の強い方が勝つ、武術と体力が同じ場合は頭の良い方が勝つ」と言うことを昔、本で読んだことがある。スポーツの試合も全く同じではないかと思う。当人の技術、体力、知能の全てを出し切って初めて強敵な相手に勝つことが出来るのではないかと思う。
     また、オリンピックとか世界選手権大会では国の代表として選ばれて出場しているので、或る程度使命感で圧力を受けているのではないかと思う。試合中は楽しむどころではなく、自分の力を如何に発揮するかに全精力を使っているのではないかと思う。試合の結果、1位とか上位を勝ち得たときに達成感を満たした結果、喜びに溢れ、「楽しんだ」という試合中と異なる感じの言葉が試合の後に、スポーツの最近の言葉の流行に乗って、他の選手が言っていることに合わせたり、格好をつけるために言っているように感じてならない。もう少し、実際に経験したり感じたりした本当のことを言葉で話してもらいたいと思う。
     同じようなことであるが、最近よく聞く言葉で選手が「感動させたい」という言葉を頻繁に聞くが、これも私はいつも違和感を受けている。感動させる目的で試合をするのは不純なことであり、本当は良い結果を全力で出すことを行っているのではないかと思う。観覧している人間が選手の試合の結果や試合中の行動を観て感動するのであって、感動させると言うことは僭越な不遜な言葉ではないかといつも感じている。
     私の知る範囲でマスコミのスポーツのニュースで最近、突然現れ、全米オープンテニス大会で優勝した大坂なおみ選手が、勝利を決めた瞬間にも喜びを表す行動は無く、自然体であり、優勝の挨拶でも相手のこれまでのナンバーワンであるセリーナ・ウイリアムズと試合が出来たことを感謝すると述べたその本当の気持ちを聞いたとき、謙虚な態度に感心した。混血であるが、日本人のDNAを受け継いでいるようで、すがすがしく感じた。
     話が変わるが、普通、一般の人は自分の特徴に合わせて職業に就き、業務の中で努力と工夫を交え、各種の苦労を乗り越え業務を遂行し、色々な経験を経ながら成長し、50歳~60歳で人生の真っ盛りを迎える。しかし、トップレベルのスポーツ選手は10代、20代、30代の若い時に栄光を受け、人生のトップの状態を経験する。現在100歳人生と言われるが、その五分の一~三分の一の年齢で、人生の最高経験をする。その後の非常に長い余生は過去の栄光を思い出しながら行動をするのであろうか、最近、他人ごとながら気になった。
     野球のイチローが「僕は心の中に磨き上げたい石がある。それを野球を通じて輝かしたい」と言った。その努力、鍛錬心、向上心、その考え方に感心する。栄光を背負ったスポーツ選手のその後の人生をイチローのように新しいそれぞれの分野で各自の心に画く宝石を磨き上げ続けることを願うところである。
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