• 最近の記事

  • Multi-Language

  • 般若心経/斎藤嘉博@クラス1955

     私が初めて般若心経に出会ったのは八高での英語のテキストにラフカディオ・ハーンの「耳なし芳一」が使われたときだったと思います。

    人気のない墓地で平家の落ち武者の亡霊に囲まれながら琵琶を弾く芳一。その様子を想像して戦慄をおぼえたものです。それからずっと時代が下がって、父の三回忌の折、1984年の12月、菩提寺である東禅寺の和尚に「この機会に経を詠みはじめたいと思うのですが」と相談しましたら、一も二もなく「それなら般若心経を。これは般若経を中心に沢山のお経の心を込めた霊験あらたかな経です」と勧めてくださいました。その翌朝から今日まで、旅をして家にいないときを除いて毎朝仏前で般若心経を唱え、昨年11月28日に丁度10,000回になり、お礼の写経を寺に納めました。
     以前たまたま見たテレビで、海外、特に欧州で般若心経が話題になっていると報じていました。「無」という境地に関心があるのだそうです。般若心経は本文262字。そのなかに無の字が21入っています。さらに言えば無のほか空の字が7字、不の字が9字ありますのでこのネガティブな3字で全体の14%。この数字で経の精神は分かろうというものです。日本でも近頃写経に静かな関心が集まっているとか。
     友人との会合で折々、「般若心経を読経するのは功徳があるようですネ」と言われます。霊験がどのくらいあらたかかはなかなか測ることが出来ませんが、私自身の経験ではずいぶん多くの場面で救われたような気がします。車を運転しているときにそれを感じることが多い。アクセルの踏込が0.5秒早かったら多分悲惨な結果が待っていたであろうと言うようなタイミング。畑中で車がほとんど通らない道を横切ろうとしたときに、止まれと耳の後ろに声が聞こえたような気がしてブレーキをかけた途端に前方の道をトラックが通過して行ったのは過日の秩父参りの折でした。こうしたヒヤリハットのたびに「ああよかった」と般若心経のご利益を感じる次第です。まあこの年までまず元気でいられること自体が霊験の証ともいえるのですが、それは私の気持ちであって般若心経を詠むことと、健康や事故との間の因果関係をニュートン力学で立証することはできません。年に一回か二回、読経の最中に仏壇に紫雲がたなびいて、なにか異様な気分を感じることがあります。紫の色は金色の補色ですから、そういう色が見えることもあろうとは思うのですが、体調、心理などがどんな状況のときにそうした状態が生じるのか、まだ掴めていません。
     しかし読経は健康にもメリットの実態があるようです。経は大きな深呼吸をしてほぼ七息で詠みますが、深呼吸が体調の維持にいいことは周知の事実。とくに声を出して吐息をしますと肺の隅にある汚れた空気をすっかり排出します。そのおかげでしょうか、子供の時からの喘息がいつの間にか消えてしまいました。また日々の読経の声の出方でその日の体調を知ることができます。声を出すのは管楽器を吹くのと同じ。少しでも声帯に陰りがあると初めは良くても途中でおかしくなりますし、声帯の調子がいい時にはきれいに声が鳴ります。声を出すのには意外に多くの呼吸が必要なのだなと実感するのです。読経を終わると阿弥陀如来がにっこり微笑みを浮かべます。
     私の読経は何かの悩みを祈願するというより、仏界の多くの霊に活動のエネルギーを補給して差し上げるといった感覚です。安らかにお眠りくださいとは弔辞の常句ですが、仏界の霊は下界に残した人たちの願いをすべてご承知のはず。そしてその人たちの願い、幸福と安全を守るために、あちこちに目を配り、悪さをする餓鬼や天邪鬼を戒め、叱り、そして地上界の人たちに警戒情報を送るなどとても忙しいにちがいありません。安らかに眠ってなんかいられないのではないか、というのが私のイメージです。そうした活動にはエネルギーが必要なはずで、お寺のお坊さんのお勤め、プロの読経は大きなエネルギーを仏界に送り、私たち個人の読経はさしずめ再生可能なクリーンエネルギーといったごく小さいもの。それでも沢山の方のエネルギーが集まれば私たちの日常を守ってくださる仏の活動に繋がるでしょう。でも本当のことはわかりません。私が彼岸に行きましたら「地球の歩き方」に習って「冥界の歩き方」という本を書きたいと思っております。今の世の中ベストセラー間違いなしでしょう。
     このところ森山さん、納所さんと続いて元気なお二人が急逝されました。ご冥福をお祈りいたします。私も間もなくこの旧友にお会いする日が来るでしょう。それを楽しみにしながら毎朝般若心経を読んでいます。
    コメントはまだありません »
    Leave a comment

    コメント投稿後は、管理者の承認まで少しお待ち下さい。また、コメント内容によっては掲載を行わない場合もあります。