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  • 生きていることの秘密-智慧ある60兆個の細胞/鳥越寿二

    ○3月29日から4回にわたって放映されたNHKスペシャル「人体ミクロの大冒険」は、「自分とは何か」、「いのちとは何か」といった、我々が一生に亘って抱え続ける問いに対して、深い示唆を与えるものであった。

    それは私にとって新しい知見への眼を開かせ、知識の不完全さに気付かせるとともに、これまでの日常的な体験や宗教的な経験からボンヤリと会得していたことがらに、科学としての実証的な裏付けを与えてくれるものであった。

    番組はiPS細胞でノーベル賞を受賞された山中伸弥博士が講師となって、劇作家で演出家の野田秀樹氏やゲストの著名人達と対話する形式で進められた。その内容が日経ビジネス ON LINE上に『山中教授×野田秀樹の細胞対談』(※)と題して公表されたので、以下ではそれを適宜引用させていただきながら、いくつか私が理解できたことをまとめてみたいと思う。

    (※)http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20140325/261750/

    ○今回の番組の主題を編集者は次のような一文から始めている。
    “人間1人ひとりの個性や人格、能力を築いているのは、親から受け継いだ遺伝と、経験や環境が作用する部分とがある。遺伝については、20世紀最大の発見のひとつ「DNAの二重らせん構造」を契機に科学的な解明が進み、一般的な知識として知られるようになった。その知識が広がったため、我々は「自分たちを支配しているのは遺伝子」と考えがちだ。だが、生まれた後の努力や経験、置かれた環境によっても、人は変ることができる。生まれた後に我々をどう変えているのか――。そのメカニズムの主役が「細胞」だ。

    細胞は、「体を構成する部品」と捉えられることが多い。DNAという設計図を使って作られる単なる部品だと。しかし、その認識が間違いであることが近年の研究で明らかになってきた。細胞は1つの自律した生命体のように、自ら周りを探り、状況を判断し、自らを変化させているダイナミックな存在なのだ。細胞のなかに、我々の経験を反映する仕組みが隠されている。”

    ○人の体は凡そ60兆個の細胞から成り立っていることが分かってきた。それ等は200種類くらいに分類されるが、個々の細胞には寿命があり、短いものでは1日単位で新しいものに入れ替わっており、1年過つと全体の99%は違う細胞になっているということである。正に「諸行無常」である。ただ心臓の細胞と、脳の神経細胞は、生まれた時の細胞が一生使われている。

    そしてこれらの細胞が、(全体の3分の1を占める20兆個の赤血球を除いて)核内にDNAを備えており、夫々がその時その時の状況に応じてDNAを読み解きながら戦略的に働いている。”細胞同士がつながってネットワークを作り、最終的に体と心を生み出しているのである。”

    ○個人の誕生は常識的には、母体から胎児が「出産」することであるが、番組では人体中最大の細胞である卵子に精子が入り、お互いの核が融合して受精卵となり、着床して新たな分裂を始めるという顕微鏡次元の有様を、コンピューターグラフィックを使って神秘的に表現している。

    出産前後に関連する細胞群の微妙な連携プレーは、正に「崇高」の一語に尽きる。母体のオキシトシン細胞から出る「オキシトシン」という物質は、出産時に子宮を収縮させるほか、出産後も脳のさまざまな領域の神経細胞に放出され、乳幼児への母性愛を芽生えさせる。男性にもオキシトシン細胞があり、子供をあやし、お互いの目があっているとき、盛んに「オキシトシン」が出ることが報告されている。

    出産や育児だけでなく、ダンスやスポーツなど人は一緒に何かをして心を開くことで、オキシトシン細胞が刺激されるという研究成果も発表されている。

    山中博士は ”この研究の素晴らしいところは、努力は裏切らないということが証明されているところだ。トレーニングや修行をすることや、本を読むことも含めて、色々な努力をすることで細胞やホルモンの状態を変えるという可能性があることを示している。” と語っている。

    ○感覚、認識、考えることといった精神的な働きをつかさどる脳を中心とする神経細胞は、球状の細胞体から樹状突起が細かく分かれ、その樹状突起から「スパイン」と呼ばれるとげ状のものが突き出ている。スパインは一つの神経細胞におよそ1万本ついており、これが周りの神経細胞のスパインとつながり、ここを電気信号が通ることで新しいことが経験され、学習され、記憶される。

    しかし近年、一定年齢になると、「スパイン」の働きにブレーキをかける「Lynx1」という物質が出ることにより、神経細胞がいつまでも変化し続けようとする性質を止めることが分かってきた。動物実験による知見からこの現象は、脳が変化し続けることには極めて多くのエネルギーを必要とするので、脳の過剰な変化によるダメージから身を守るための自粛の働きであろうと推測されている。

    むしろ成熟した脳では「ミエリン」という特殊な物質が神経細胞にかぶさることによって神経細胞同士の結びつきを強くすることができることが分かってきた。山中博士はここでも ”細胞は年をとっても努力を裏切らない。私もまだまだ英語やスポーツを頑張ろうと思っている。” と語っている。

    ○免疫細胞が人の病や老化に深くかかわっていることについては、これまで漠然と知ってはいたものの、免疫細胞に色々な種類があり、それらが互いに戦略的に働いており、更に成長や加齢に伴って変化していることが分かってきた。免疫細胞というと素人には白血球 (その一種であるリンパ球)くらいしか思い浮かばないが、このほかにマクロファージや樹状細胞などもある。これらがネットワークを作って外部から侵入してくる細菌・ウィルスやガンのような異物を食べて排除してくれているのであるが、その司令塔となっているのがリンパ球の一種「T細胞」である。

    「T細胞」を作り出す胸腺は思春期を過ぎると小さくなって殆どなくなってしまう。これは胸腺から「T細胞」が送り出されるまでには、100個作った免疫細胞の中から成功品が5個くらいしかできないという、大変なエネルギーの消費を伴っており、子孫を残すという生物としての存在意義から、生殖年齢まではしっかり生きて、子孫を残す時期を過ぎたら免疫は更新されないということかもしれない。

    但し「T細胞」は寿命が非常に長く、年をとると働きは衰えてくるが、数自体は変らない。そしてある報告では、5分間全力で自転車を漕ぐといった運動で、その働きが活発になるという。これは運動によって筋肉から分泌される物質によって免疫細胞が活性化されるものと考えられている。

    ○番組ではこのほかに、アレルギーやリウマチといった免疫細胞の暴走に由来する疾患のことや、高血圧、糖尿病などメタボリックシンドロームと呼ばれているものと免疫細胞の間の微妙な関係について、最新の知見が紹介されている。更に実用段階に入った再生医療の実例や、山中博士の発明になるiPS細胞を利用しての、心筋細胞や神経細胞などこれまで回復不可能と思われていた疾患に対する将来的な治療の可能性についても取り上げられている。山中博士自身述べておられるように、これらの研究開発は人々の死生観にも関ってくるものであり、医療倫理の大きなテーマとなることは間違いない。

    ○以上のような壮大な番組を見終わって、いささか牽強付会かとは思われるが、以下に私なりの感謝や感想を記してみたい。

    標題にある通り細胞はミクロの世界である。電子顕微鏡などで捉えられた卵子や精子、神経細胞などの姿は周りの細胞と相まって、それ自体が一つの生き物か生態系をなしているように見える。

    聖書に「神は自分のかたちに人を創造された。」「神は土のちりでひとを造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。」という一節がある。この言葉をどのように捉えるかはその人の信仰であろうが、細胞の画像を見て受ける率直な感慨は「よくもこのように複雑で微妙な構造のものが、現実に存在するようになったものか!」という思いである。そして60兆個にも及ぶこうした細胞によって自分ができているということ、「生かされていること」に対して、言い知れぬ安らいだ感慨が湧いてくるのである。

    ○我々の気持や思考などのすべては、数でいえば細胞全体の1%にも当らない脳・神経細胞を通してしか自覚することができない。圧倒的多数の細胞は意識に上ることなく、黙して生命保存と種族維持のために働き続けている。こうした細胞の働きは他の動物や植物でも同じであろう。ただ人間は直立したことから脳が格段に発達し、他に類を見ない「理性」なるものが育くまれてきた。と同時に、この理性があることによって絶対的ともいえる「自我意識」を持つ存在となった。

    神のように善悪を知る者になるという木の実を食べたエバとアダムの原罪によって、死とあらゆる苦悩が人類にもたらされたという「創世記」の記事は、極めて深い意味合いを持つものであるが、細胞科学からみるとこれは「頭脳のみを至上のものとし、60兆個の細胞の一つ一つが、又それらの全体が整然と働いているという『生きていること』の真実に余り眼を向けようとしなかった人間、頭でっかちな人間」に対する鋭い暗喩だとも思えてくるのである。

    ○仏教では、人間存在は生・老・病・死に代表される 人にとって不都合な「苦」の連続であるとする。しかしこれを「苦」だととらえるのは自我への執われ=「自己を中心とした我執」がそうさせているに過ぎない。この我執を滅却することができれば、静かな「解脱(げだつ)」の境地に到達できると説く。そしてシャカは自らの体験的真理として、我執をなくするために修行すべき道を「戒(かい)」、「定(じょう)」、「慧(え)」の三つであると教えた。

    「戒」は殺さない、盗まない、貪らない、怒らないなどの戒律を守ることであって、修行の基礎となるものである。

    「定」は心静かに瞑想することで、日本の道元は「普勧坐禅儀」の中でその要領を次のように教えている。「心(しん)意識(いしき)の運転を停(や)め、念(ねん)想観(そうかん)の測量(しきりょう)を止(や)めて、作仏(さぶつ)を図ること莫(なか)れ。」と。

    これを現代風に科学の言葉を借りていえば、「坐禅では脳や神経の働きを停めなさい。体の全細胞が静かに周りと調和しながら働いているのだから、敢えて解脱しようとか、仏になろうとか思うな。坐禅しているときはそれだけで、そのまま仏なのだ。」

    「慧」は「戒」、「定」をベースとした日常生活を通して、「智慧」を完成させること――ものごとやものごとの背後にある道理を見きわめ(これは頭だけの知識ではない)、身と心の動きが周りと一体・一如の姿になるように修行を積むことである。

    苦しみや不安を感じたり、怒ったりするのは人の脳(心、頭)である。その一方で人が「戒律」を守ろうとし自らの振舞いをチェックするのも心(理性)である。静かに「坐禅」の時間を持とうとするのも心(意志)である。修行は心を出発点として始まり、身と心が一体となって実践し、身と心の全体で智慧のある世界を覚えてゆく――というところに仏教の特長があるように思う。

    山中博士がしばしば「細胞は努力を裏切らない」と語るときの「細胞」は、心の所在である脳・神経細胞はもちろんのこと、60兆に及ぶ全身の細胞を意味しているものと思われる。継続して努力することに成果が伴うことは日常的に実感するところではあるが、科学がこのことを実証しつつあることは、「努力」に対する大きな励ましである。

    ○大乗仏教ではシャカの教えを実践することは、修行者自身が「苦」から「解脱」することを超えて、一切衆生を慈悲する「菩提心」に目覚めることだと説く。この菩提心とは、母親がわが子のために一切を投げ打って愛(いと)おしむ姿に見られるような「人としての最高の心」であるが、研究ではこのとき「オキシトシン」が母体のさまざまな領域に放出されているという。しかもこのオキシトシン細胞など愛情の源ともいうべき細胞は、総ての人に備っているのが確認されているというのである。このような科学的事実を知ることは、自分というもの、相手や周りの人々、生きとし生けるものを見る見方を変えるように思える。努力や修行、機縁に応じて、人はさまざまな形で菩提心を発揮し得る存在なのだ。天与の資質に目覚め、周りをも、自分をも優おしむ人生を送る人は幸いである。

    ○今から2,000数百年前、シャカは入滅する前の最後の言葉として、弟子たちに次のように語っている。(大パリニッパーナ経、中村元訳)

    「みずからを島とし、みずからをたよりとして、他のものをたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとするな。世界は美しい。人間の生命は甘美だ。もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成しなさい。」

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