• 最近の記事

  • Multi-Language

  • リトアニアの旅(その1)/大橋康隆@クラス1955

     武田兄のリトアニア史余談の刺激を受けて、6月26日~7月6日までバルト3国のツアーに参加した。


     ルート図に示すように、へルシンキ経由で、南からリトアニア、ラトヴィア、$00A0エストニアと北上した。改めて地図を見て、リトアニアは、東部はベラルーシ、西部はロシア領に挟まれ、南西部はポーランドに接し、北部の彼方にはフィンランドが控えており、地政学的に大変な位置にあることを認識した。
     6月26日11時に成田を出発して10時間20分で、ヘルシンキには15時20分に到着した。緯度は樺太やカムチャッカ半島より高いのに気温は30℃で驚いた。
    2ルート図(50%).jpg
    ルート図

     旅行案内書には、平均最高温度20℃と書いてある。双発の6枚羽根プロペラ機に乗換えて1時間45分で18時5分にリトアニアの首都ヴィリニュスに到着した。空港で現地通貨のリタスに換金した。間もなくユーロになるそうだ。宿泊したホテルの向かい側にビルがあり、その中にスーパーがあって飲料水などの調達に便利であった。
     6月27日午前は、「世界遺産」ヴィリニュスの市内観光であった。先ず聖ペテロ&パウロ教会(写真1)を見学。バロックの「凍れる音楽」と呼ばれる教会に入ると、2,000を越す漆喰彫刻群に時の経つのを忘れてしまう。それぞれの彫刻には製作者の技が結集され、とりわけ聖女の彫刻は素晴らしい。続いて「夜明けの門」を訪れた。9つあった城門のうち唯一残存している。場外から見た「夜明けの門」は(写真2)であり、上部にリトアニアの紋章(Vytis)があり、その下部に5つの銃眼がある。内側から見た「夜明けの門」は(写真3)であり、昔は城壁の一部であった。

    2写真1聖ペテロ&パウロ教会(70%).jpg 2写真2夜明けの門(70%).jpg 2写真3夜明けの門(70%).jpg 2写真4ゲディミナス塔(70%).jpg
    (写真1)
    聖ペテロ
    &パウロ教会
    (写真2)
    場外から見た
    夜明けの門
    (写真3)
    内側から見た
    夜明けの門
    (写真4)
    ゲディミナス塔
     朝方、ホテルの窓から見えたゲディミナス塔(写真4)のある丘にリフトで登った。昔は城壁の塔であったが、現在は博物館と展望台になっている。ここから眺めるヴィリニュス市街(写真5)は素晴らしい。 2写真5ヴィリニュス市街(70%).jpg 2写真6大聖堂(140%).jpg
    (写真5)
    ヴィリニュス市街
    (写真6)
    大聖堂

     博物館には1989年8月23日に約200万人が参加した「人間の鎖」(バルトの道)の写真が展示してあり、改めて独立への苦難の日々が偲ばれた。続いて大聖堂(写真6)を見学した。正面にある聖カジミエルの聖画には手が3つある。3つ目の手は、画家が何度消しても再び現れてきて、止む無く残されたと言われている。最後に、聖アンナ教会(写真7)を訪れたが、33種類の異なる形の煉瓦を使った火焔式ゴシック建築の傑作である。1812年にナポレオンがロシア遠征の途中、入城した時にフランスに持ち帰りたいと言ったそうだ。

    2写真7聖アンナ教会(70%).jpg 2写真8トゥラカイ城(70%).jpg 2写真9トゥラカイ城(70%).jpg
    (写真7)
    聖アンナ教会
    (写真8)
    トゥラカイ城
    (写真9)
    トゥラカイ城

     午後は、バスでトゥラカイ城を訪れた。ヴィリニュスから約28kmであるが、渋滞のため一時間以上かかった。トゥラカイ城(写真8)は島の上にあるが、本土とは橋でつながっている。城内は博物館になっており、見学後、小型遊覧船で城の周囲を外から眺めた。地上や遊覧船からの写真では、城の構造の全貌が判らないので、案内板を撮影して(写真9)に示す。絵画を描く人にとっては、色々な角度から眺めることが出来て、水面に映る影と共に様々な構図の宝庫である。
     ホテルに帰り、購入した絵葉書を日本に発送したが、切手の購入や発送を全てホテルで済ますことが出来て、便利であった。本日の現地ガイドは若い男性で、ヴィリニュス大学で日本語を学び、大阪に一年間住んでいたそうで、たどたどしいが日本語で説明してくれた。

    2 Comments »
    1. バルト3国めぐりの楽しい旅を無事終えられた由、何よりです。美しい写真の数々を有難うございます。長年見慣れた風景や建物の写真を見ていると、明日またこの街に出て散歩や買い物でもしそうな気分になりました。あの辺に行くには、ヘルシンキ経由がベストですが、僕が頻繁に行っていた当時は、フィンエアの便が週2便で、不便でしたから、殆どフランクフルト経由で行きました。ヘルシンキ経由は2回だけでしたが、ヘルシンキも夏はよい所です。
       トラカイの「島の城」を湖上からめぐる船に乗ったそうですが、その船は動力船でしたか。あの湖一帯は国立公園で、自然保護(湖水の水質保護)のため、昔は、動力船を禁止していて、観光客用には、数隻のヨットが営業していました。数人で乗り込んで、ゆっくりと、音もなく、湖上をめぐる素晴らしい時間を過ごすことができました。当時、料金は、確か50リタスで、乗る人数に関係なしでした。ヨットを操船する人は、皆、老人で、ソ連時代にオリンピックの選手としてヨット競技を経験したような人たちでした。日本から来た知人を案内して、何度もヨットにのりましたが、秋の全く人気のない寒い日とか、まったく風の吹かない日に乗ると、かえって印象深く、忘れられないという人もいました。
      次回の報告を楽しみにしています。

      コメント by 武田充司 — 2013年7月26日 @ 14:04

    2. 写真の選定には色々迷いがありましたが、武田兄にとって懐かしい写真が含まれていて安心しました。
      トラカイの遊覧船は動力船だと思います。ツアー参加者16名、日本からの添乗員、現地のガイドの計18名で貸切でした。遊覧中に撮影した写真には、一人乗りのヨット3隻と、女性3人乗りのボート、両親と救命具を着装した幼児2名のボートが写っていました。ボートは速度から判定すると動力ではないかと思います。また、2人乗りの足漕ぎボートとは、何度かすれ違いました。

      コメント by 大橋康隆 — 2013年7月26日 @ 21:44

    Leave a comment

    コメント投稿後は、管理者の承認まで少しお待ち下さい。また、コメント内容によっては掲載を行わない場合もあります。