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  • 「ミッドウェイ海戦」ー【Ⅷ】/寺山進@クラス1955

             旧友南雲忠彦君を偲ぶ
    8. 勝負の非情
     南雲提督とは対照的に好運に恵まれたのが、米海軍第16機動部隊司令長官のスプル-アンス少将であった。

     本来指揮する筈だったハルゼー提督が急病の為、護衛巡洋艦隊の司令官で航空戦に経験のない彼が急遽代役に指名された。
     暗号解読により南雲艦隊の行動は予測出来ていたので、事前の計画通りの作戦を実行させるには寧ろ素人の方が好都合だったのかもしれない。
     
     しかし元々慎重な性格だった長官は、「この時しかない」という絶好の機会を前にして逡巡した。南雲艦隊との距離がやや遠かったので、技量が低い配下搭乗員の大部分に未帰還の恐れがあったからである。この時心を鬼にし、文字通り鬼気迫る表情で「即時全力攻撃」を強く進言したのが、ハルゼ-司令官子飼いのブローニング参謀長であった。後に彼は「あの時自分は人間ではなかった」と述懐している。

     結果的には、この時点における「全機発進」命令で、スプル-アンス提督は海戦史に残る栄誉を得た。
     しかしこの後は、提督の慎重な性格が作戦指導にも現れた。奇襲成功直後には未だ一艦だけ残っていた日本海軍の空母「飛龍」の追跡に当たっての指揮ぶりや、二年後の事になるが日本海軍にとどめを刺した「マリアナ海戦」での作戦指導には、米軍内にも「消極的」との批判が絶えなかった。結局、これだけの功績にも拘らず「元帥」への昇進は見送られた。
     ニミッツ提督ならまだしも、レイテ海戦で小沢中将の囮作戦に引っかかり、「あわやマッカーサー将軍まで海の底か」という大失態を演じたにも拘らず、ハルゼー提督まで元帥になった。慎重型よりも猪突猛進型の評価が高いのは、何処の国の軍隊でも一緒である。

     「強いチ-ムが勝つのではない。勝ったチ-ムが強いのである」
     甲子園常連の或る高校野球監督の言葉である。このクラスになると「母校の名誉と郷土の期待を背負って・・」という様な綺麗事では済まない。半ばプロの世界なので、監督にも自分自身の栄誉と人生とがかかっている。しかし、夏の大会を制するのはただ一校だけで、その結果がすべてである。
     野球ですらそうである。まして戦時の海戦では国家の盛衰と、何よりも多くの兵士の命がかかっている。指揮官の決断に多くの人が関心を持ち、勝敗の結果ひいては勝負の非情さに感情移入するのも無理からぬところである。 
     
     しかし当事者にとっては、どちらも悪夢の思い出しか残らない。むしろ敗者は「運も実力の内、自分の力不足」と割り切れるのではないか。勝者の方が「あの時一寸誤っていたら・・運がずれていたら、今頃は・・」と悪夢が襲うのではないだろうか。
     本海戦の真の功労者であるブロ-ニング大佐も、将軍職への昇進の話を断り辞意を表明したりしている。日本海海戦の秋山真之参謀も大勝利の後やや精神不安定状態になり、パッとしない後半生を送ることになる。

     スプル-アンス提督自体、この海戦に関しては殆ど発言していない。ただ「Just Lucky」と云うだけであった。
     「偉い提督が勝つのではない。勝った提督が偉いのである」

    9. 終わりに
     小生がこのような話題に興味を持つ様になったきっかけは、第一章でも述べたような六十年前の出来事だった。旧友の南雲忠彦君の前で何気なく「南雲中将」の名前を口にして、今から思えば一生に一度だけの、あからさまに不愉快な表情をされたのである。
     本稿に記述したような小生の見解が固まるにつれ「年取って閑になったら、酒席の話題に上る時も来るだろう」と思っていた。しかし、まだ現役で多忙な時期なのに、あっという間に彼は逝ってしまった。

     本海戦に関する小生の意見も「もう用が無くなったな」と思い、一度は忘れてしまう積りだった。
     しかし人生も終末期を迎えるにつれ、あの世で彼とゆっくり話し合う機会に備えて、まとめてみようかという気になった。
     南雲の代わりにクラスの旧友の誰かが、一部分だけでも読んでくれたら嬉しいと思って、あえて投稿することにした次第である。

    2 Comments »
    1. 南雲中将のお話、毎回感慨深く読ませてもらいました。人間の一生の評価は、本人が生きている間は正確になされることは殆どない。長い歴史の中で真実が明らかになる人は稀であるが、南雲君もあの世で少しは気が晴れたかと思う。
      私が格別に関心を持つのは、某会社の中間管理職であった父が無念のうちに世を去った日を思い出すからである。楽天的であった母は「復讐など考える暇があったら、まともなことを考えなさい。」と厳しかったので、これまで封印してきた。最近ある新聞記事で、母が言っていたように天誅が下ったと思ったが、結局は有耶無耶にされてしまうようである。

      コメント by 大橋康隆 — 2013年7月16日 @ 18:57

    2. Ⅷ編に亘る論文の最終編を拝見して、もう一度初めから読み直してみました。
      私は戦記ものは太平洋戦争を含めてあまり好きなほうではありませんし、南雲さんとそれほど親交があったのというのでもありませんでした。しかし特に後半の編を拝見し、その文の中に小生来し方のビジネスの中、人生の中での時々の決断、一瞬の躊躇、様子見待ちといった行動とその運、不運を重ねあわせて、つくづくと考えさせられました。そんな反省もこの年寄りには後の祭り。若い人に読んでほしい、示唆に富んだ論文でした。でも毎日の新聞に載せられた大本営発表を知らない方たちとは感慨が違うでしょうネ。

      コメント by サイトウ — 2013年7月17日 @ 20:53

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