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  • 「ミッドウェイ海戦」―【Ⅱ】/寺山進@クラス1955

    旧友南雲忠彦君を偲ぶ
    2. 朝比奈宗源師
     昭和30年(1955年)3月、我々のクラスは卒業してそれぞれの新職場に散っていった。小生は電気屋の少ない業界を選んだので、ある程度の覚悟はしていたが、環境は予想以上に悪かった。


    果たしてこんな状況で、技術屋としての活躍の場が与えられるのだろうか?入社早々に早くも深刻な悩みを抱えてしまった。
     この件では今は亡き恩師をはじめ、友人諸君にも多大のご心配をかけてしまった。南雲君もその一人で、この年最初の連休に上京して連絡を取ると、早速一席設けて話を聞いて呉れた。但しこの時、中林恭之君も一緒だった。彼の方は悩むというより寧ろ、もう転職という結論を出していたようだ。

    いずれにしても三人で遅く迄飲んだ挙句、北鎌倉の南雲宅に泊めて頂く羽目になった。
     
     次の日の朝、南雲君の出勤に合わせて失礼しようかと思っていた。所が、会わせたい人があると仰って母上が連れて行ってくれた先が何と、臨済宗・円覚寺管長の朝比奈宗源師であった。
    我々ごとき青二才がお会いするのも烏滸がましい程の相手だともよく知らずに、話を聞いて貰った。師の答えは「熟慮断行」という常識的なものであったが、この訪問の結果としてもう一晩泊めて頂く事になり、南雲君の帰宅後に、母上も交えて宗源師と父君の関係に話が及ぶことに成ってしまう。師と提督は心の友であって、提督がサイパンに赴任する前日も長い間話し合っていたという。

     この晩小生の記憶に残ったのは、「お父様はわざわざ死にに行かれたのよ」という母上の言葉と、南雲君の「自分は未だ小学生だったので、父からあまり難しい話をされたという記憶はないが、ただ“大艦隊を預かるという責任の重さは、その立場に立ってみないと絶対に分からない”というような意味のことを言われたのは良く覚えている」という回想であった。
     提督のサイパン赴任の経緯は、何年も後になって、小生が太平洋海戦史にのめり込んで初めて知ることになるのだが、母上の嘆きは全くその通りであった。

     ミッドウェイ海戦の四か月後、昭和17年10月に行われた南太平洋海戦で何とか面目を保った提督は、内地に帰還し佐世保と呉の鎮守府司令長官を歴任された。この上のポジションは軍令部のトップか連合艦隊司令長官位しかない。通常なら予備役編入というコースを辿る筈であった。
    しかし提督は海兵同期の沢本頼雄海軍次官に「前線に出してくれ」と懇願した。「死に場所を求めている」と直ぐに見抜いた次官は、格下げになるから・・と渋って、言を左右にしようとした。提督は承知しなかった。一旦言い出したら梃子でも動かない友人の気質を熟知している次官はやむを得ず、中部太平洋方面艦隊という実質的には名前だけの艦隊を作り、その司令長官という肩書でサイパンに赴任して貰うことにした。

     この後の経過は広く知られている。昭和19年にもなると日米の差は明白であった。圧倒的な戦力で押し寄せてくる米海軍機動部隊の前に、日本海軍最後の砦・小沢機動部隊はなす術もなく「マリアナの七面鳥撃ち」と揶揄されるほどの完敗を喫した。
    「太平洋の防波堤たらん」という決別電報を最後に、提督は自決された。

     第一章でも言及したが「南雲凡将論」の見直しの余波が、少しずつ表に出始めているように思う。提督への評価が特に厳しい一派は、殆どが熱烈な「山本五十六連合艦隊司令長官」フアンである。代表的な作家が半藤一利氏であるが、最近の著書では今まで酷評していた南雲中将を「権限は発揮しなかったけれど責任だけは取った」と、五段階評価で云えば1から2に上げたような感じの記述をされている。
     一方で「残念ながら山本元帥にも欠点はあった」などと遠慮がちに述べているが、何を今さら・・と云いたい位である。
     しかしこの問題は、本投稿のメイン・テ-マでもあるので、章を改めて詳述したい。

     厳密にいうと、この鎌倉宅での夜の後にもう一回、南雲君と小生の面前で父君の話題が出た事があった。それは他ならぬ南雲君自身の結婚披露宴の席上であり、大勢の会衆も同席していたのである。$00A0

                                    
    $00A0$00A0 $00A02013年2月22日 
    $00A0$00A0$00A0                                     つづく

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